メディアグランプリ

運命を分けたもの


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:堀井 灯 (ライティング・ゼミ 平日コース)
 
 
その日、大阪港から、1隻の船が出港した。
乗客は、皆、重苦しい沈黙に包まれていた。これから先に待ち受けているであろう運命を恐れながら。残してきた者への断ち難い想いに身を焦がしながら。
 
コロナ禍との闘いが続く今年の夏、日本は戦後75年を迎える。
 
私の祖父は、今から10年前に、この世を去った。
戦争については、多くを語らないまま逝った。
 
今年に入り、あるウェブ記事を読んでいたところ、「軍歴証明書」なる文字が偶然目に止まった。
軍歴証明書とは、主に満洲事変(1931年)以降に従軍した陸軍及び海軍の元将校・兵士について記録した文書のことである。兵籍簿とよばれる文書を基に作成され、本来は、恩給や各種共済組合員期間の通算のために用いるものであるらしい。
軍歴証明書又は兵籍簿の記録は、陸軍の軍人・軍属(高級文官、従軍文官等を除く)については除隊当時の本籍地を管轄する都道府県が、海軍の軍人・軍属及び陸軍の高級文官、従軍文官等については厚生労働省が保管しているという。
 
私が子どもの頃、祖母から「おじいちゃんは、昔、満洲に出征していた」と聞いた記憶が、かすかに残っていた。
満洲(現・中国東北部)であれば、陸軍であろう。学歴からして祖父が高級文官等であるはずもないので、一般の兵士であろう。だとしたら、記録は県庁に残っているはず。そう当たりを付けて、さらに調べてみた。
 
県庁のホームページを調べたところ、恩給等を所管している部署名は分かったが、軍歴証明に関する手続等については載っていなかった。
そこで、さらに検索を続けると、同じ県に対して軍歴証明書の交付を申請した人のブログを見付けることができた。
まず分かったのは、軍歴証明を取得できるのは、従軍した本人又はその3親等以内の親族に限られるとのことであった。たしかに、プライバシーや名誉に関わる情報も多く含まれていそうだ。
そして、申請に際しては、従軍した本人と申請者との身分上の繋がりが分かる戸籍謄抄本と、申請者の本人確認書類(運転免許証など)の提示又は写しの郵送が必要とのことであった。
そこで、さっそく、本籍地の市役所から、祖父を筆頭者とする戸籍謄本と父を筆頭者とする戸籍謄本をそれぞれ取り寄せた。
また、県庁に事前に相談したところ、申請様式と申請方法が記載された紙が送られてきた。
そこで、申請様式に必要事項を記入し、戸籍謄本の原本と運転免許証のコピーを添付し、返信用封筒に簡易書留分の金額を上乗せした切手を貼付したものを同封し、県庁の担当課あてに郵送した。
 
それから約2週間後。
ついに、県庁から書類が届いた。
 
封を開くと、中から出てきたのは、「臨時陸軍軍人(軍属)届」と題する紙の写し1枚、兵籍簿の写し1枚、所属部隊の活動履歴を表にして活字に打ち直した紙の写し2枚であった。
このうち、前2者は、戦時中又は終戦直後に作成されたものと思われ、手書きの細かい文字がびっしり書き込まれていた。それは、一種異様な生々しさを感じさせるものであった。
特に、兵籍簿の写しには、召集年月日、出港地、配属、進級、従軍記録(勤務地・勤務内容等)、召集解除年月日等が、日付入りで詳細に記録されていた。
 
これを基に、祖父の足取りをたどってみると、おおむね次のとおりであった。
 
昭和11(1936)年に第一補充兵役に編入され、翌年に臨時召集されたが、このときは何事もなく、すぐに召集解除となった。
 
しかし、昭和16(1941)年8月1日、再び臨時召集が下った。そして、同月11日、祖父の所属する部隊は、大阪港を出て大連に向かった。
戸籍謄本を見ると、ちょうどこの頃に、祖父と祖母は婚姻届を提出していた。元々この時期に結婚予定であったところに召集令状が偶然届いたのか、それとも、召集令状が届いたから急いで婚姻届を出したのか、そのあたりの事情は分からない。
しかし、いずれにせよ、まさに新婚生活が始まろうというときに、外国に出征しなければならなかった祖父と、独りで銃後を護らねばならなくなった祖母の心境は、察するに余りある。
 
大連に到着した祖父らの所属部隊は、その後、満洲国内を転々と移動した。
奉天市(現・瀋陽市)と錦州市では外国鎮戍(軍隊を駐在させその土地を守ること)の任に当たった。また、穆稜県八面通(現・穆稜市八面通鎮)では警備を、綏陽県(現・東寧市)綏西では国境警備を行った。
なお、記録を見る限り、祖父が直接的な戦闘行為を経験したかは不明である。
 
昭和20(1945)年3月17日、同部隊は綏西を離れ、羅津港を出て、同月29日に新潟港に到着した。
その後、同部隊は、東京都多摩郡町田町(現・町田市)を経て横浜市戸塚区で8月15日の終戦を迎えた。そして、同月24日に静岡県三島市に移駐し、8月30日に同地で復員完結し召集解除となった。
 
なぜ、中国大陸での戦況が悪化の一途をたどっていた昭和20年3月に、部隊が満洲から日本国内に引き戻されたのか。同年3月10日に東京大空襲があり本土決戦が現実味を帯びてきたことと関係があるのか。私には分からない。
 
ただ、もし、あと5か月、日本に戻るのが遅かったら、同年8月9日に日ソ不可侵条約を一方的に破棄して侵攻してきたソ連軍と交戦し、祖父は戦死していたかもしれない。あるいは、捕虜となってシベリアの強制収容所に抑留され、飢餓と極寒に苦しみながら無念の死を遂げていた可能性もある。
もし、そうなっていたら、今の私は存在しないのだ。
 
この運命を分けたものは何だったのだろう。
私には分からない。
 
ただ、言えるのは、今を生きる孫世代の私たちが受け継ぎ、遺していかなければ、祖父母たちの記憶と記録は半永久的に失われてしまうということである。
「受け継ぎ、遺す」ということ。これが私たちに託された運命だと感じた数か月だった。
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


2020-08-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事