余命1ヶ月の父からの宿題
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記事:牧野倫子(ライティング・ゼミ特講)
「おそらく長くて1ヶ月でしょう」
父の余命は、娘の私にだけ告げられた。
ああ、余命って年単位じゃなくなると、本人に直接言わなくなるんだなと思った。
余命告知は3年ぶり、2度目だった。
1度目は手術で大腸から取り除いたはずのガンが、肺へ転移していると判明した時。
その時は余命2年と言われたが、父は命の終了予定日を過ぎてもしぶとく生き続け、体調は低空飛行ながらも、趣味の韓国ドラマを楽しめるくらいには元気に過ごしていた。
ただ、ガン発覚後に禁煙したものの時すでに遅く、長年の喫煙習慣とガン転移で弱まった肺には生きるのに必要な酸素を取り込む力はわずかしかなく、医療用酸素ボンベが手放せなくなっていった。
さらに、長患いをしていた母が他界してからは明らかに気落ちし、入退院を繰り返すようになっていた。
「先生なんて言ってた?」
病室に戻ると、父はすかさず訊いてきた。
「肺の機能が落ちてるから、念のためもう少しここで様子見ましょうって」
私は父と目を合わせず、努めてなんでもないことのように淡々と言った。
「いつ退院できそうだ?」
「まだわかんない。詳しい検査結果が出たら知らせてくれるって」
かつて大学の演劇サークルで大根役者をしていた私に、自然な演技ができているだろうか。
父はそれ以上は訊かずにイヤフォンをしてテレビを見始めた。
「今日はクリスマスか」
バラエティ番組を見ていた父がポツリと言った。
サンタやトナカイの着ぐるみ姿の芸人たちが、画面の中で音もなく爆笑している。
「ほんと勘弁してよ。病院で父親とクリスマスなんて」
「そんな冷たいこと言うなよ。オレはそう先が長くないんだぞ」
カマをかけているのかとドキリとしたが、父は笑いながらテレビを見続けていた。
私は、父がそれほど好きではなかった。
小さな土木建設会社を経営していた父は、工事現場で毎日泥だらけになって帰ってきた。
子供の頃、父の作業着と一緒に洗濯されると、自分の服に土汚れが付くのが嫌だった。
ネクタイを締めて出勤する他所のお父さんがカッコよく見えて、薄汚い格好の父が恥ずかしかった。
それにいつも仕事ばかりで、旅行はおろか休日に遊びに連れて行ってもらった記憶がほとんどない。
テストでいい点を取っても「上には上がいる」と、手放しで褒めてくれたことがない。
ヘビースモーカーでタバコ臭い。糖尿持ちなのに酒が止められない。脱いだ服をその辺に散らかす。放っておくと風呂に入らない。不潔でだらしのないところが大っ嫌いだ。
それなのに。
父がもうすぐ死ぬかもしれないとわかった時、心の底から恐ろしかった。
私には夫や血の繋がった妹たちもいるのに、この世にひとりぼっち残される感覚に陥った。
わかっていたのだ。
好きじゃないと言いつつも、父は私を条件なしで愛してくれる理解者だということを。
なくす時になってかけがえのない人だったと焦るなんて、まるで安いドラマみたいだ。
私は、父に余命を伝えるべきか悩んだ。
まず、余命を伝える場合。
タイムリミットを知ることで、会いたい人に会ったり、身の回りの整理ができるだろう。
ただ、強そうに見えて意外と繊細な父だ。
なんだかんだもう少しは生きられると思っていたのに、急に残り1ヶ月と知らされたらショックを受けるかもしれない。
余命告知が引き金となって生きる気力を失い、みるみるうちに弱っていく姿が容易に想像できた。
じゃあ、伝えない場合は?
しばらくは騙し通せるだろうが、病状が悪くなれば、いずれ自らの死期を悟ってしまうかもしれない。
体が動かせなくなってから、それを知るのは残酷すぎないか。
ベッドから起き上がれなくなった父に「もっと早くに教えてくれていれば、最後にやりたいことがあったのに」と言われてしまったら、後悔という言葉では到底片付けられない。
考えれば考えるほど結論は出なかった。
いっそ本人に「どっちのパターンがいい?」と訊いてしまいたい。
訊けたらラクなのに。お父さんが決めてくれればいいのに。
どうしたらいい? どうするのが正解なんだろう? 伝える? 伝えない?
私のせいで父を傷つけるのが怖い。取り返しのつかないことになるのが怖い。
悩む私を後押したのは夫の言葉だった。
「あなたが覚悟して決めてあげなきゃ。娘が決めた選択なら、きっと文句は言わないはずだよ」と。
私は考えた。
父はどんな人だったか。どんな性格なのか。何を大事にしているか。何をされると怒るのか。何をしてあげた時喜んでくれたか……。
考え抜いた末、私は、父に余命を伝えないと決めた。
会社勤めの合間を縫い、残された時間で父のためにできる限りのことをした。
父の友人たちに連絡を取った。たくさんの人が見舞いにきてくれた。
短時間の面会のために新幹線を乗り継ぎ、訪ねてきてくれた同級生もいた。
「父には余命のことは伝えていないので……」と言うと、わかっているという顔でうなずき、明るく昔話に花を咲かせ、「退院したらまた会おう」と笑顔で病室を後にしてくれた。
一時帰宅し、家族で食卓を囲むこともできた。
「病院のメシは味気ないからいいもんだなあ」と喜んではいたものの、好物の寿司にほとんど手をつけていない様子に胸が締めつけられた。
余命告知から約1ヶ月後。立春を待たず父は旅立った。
そして父の死から約1年後、私は10年勤めた会社を辞め、フリーランスの広告制作者として独立した。
大事な決断を人任せにしないこと。
考え抜いて決めたなら、責任を持って最後までやり遂げること。
父に余命を伝えるべきか否かで悩んだ経験から得たことは、今も私の中に生きている。
もしかすると、あれは三十過ぎても人のせいにしながらふらふら生きていた優柔不断な私に、父が命をかけて出した宿題だったのかもしれないと思うのは、感傷的すぎるだろうか。
私の選択が正しかったかは今もわからない。
ただ、父は死の数時間前も口から食事を取り、明日も生きようとしていたことは確かである。
***
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