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逃げた魚は新車になる(はず)


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:久慈桃子(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
私はいつか、スズキの山田さんから新車を買う。
 
それを目標にして毎日の仕事を頑張っている。
 
「うわっ、嘘ぉ!」
 
車の免許を取ってこの方、無事故無違反ゴールド免許を更新し続けていた私にも、ついにこの日がやってきた。
 
事故だ。
 
右折待ちの停車中に、わき見運転の車に突っ込まれてしまったのだ。
 
幸いにして私自身には命に別状はなく、むち打ちと腰痛でしばらく整形外科に通うことになった程度。
 
過失ゼロで免許証に傷がつくこともない。
 
しかし私の愛車の方は、車の外枠であるフレームが曲がってしまったため、ディーラーのメカニックから「直せと言われれば直しますが、もう乗らない方が安全ですよ」と廃車を勧められる有様だった。
 
「嘘でしょ、2カ月前に車検通したばっかりなんよ、この車……!」
 
本当にお気の毒です、とスズキの山田さんは沈痛な面持ちで言った。
 
彼はディーラーの担当営業で、外見がチャラいわりにとても信頼のおける人だ。
 
というのも、車のディーラーは、自分の店で新車を購入した客と、他店で購入した車を持ち込んできた客とで、対応にやや差をつけることが珍しくない。
 
田舎の自動車店ではかなり露骨な塩対応をされる場合もあり、私の母は地元の自動車店に、他店で購入した軽自動車の車検を拒否されたことすらある。
 
さらに普通車ユーザーと軽自動車ユーザーとで、あからさまに態度を変える営業の話もよく耳にする。
 
これは販売側の立場になればまぁ分からない話でもない。自分の店で高額な新車を購入した人が一番のお得意様であることは間違いないのだ。
 
しかし、他店で購入した車を持ち込む客や、軽自動車の主力ユーザーである女性も、立派な客である。客のクチコミ力を軽く見ている点で、マーケティング能力が低いのだろうなと思わざるを得ない。
 
ところが、スズキのディーラーは違った。
 
別の中古車専門店で購入した車を恐る恐る持ち込んだ私に、茶髪細眉のチャラい営業さんはニコニコしながら「よくウチに来てくれました」と言った。このチャラい営業が山田さんだ。
 
山田さんは、私の車が年式のわりに走行距離が長いので、ディーラーのメカニックに点検を任せた方が安心安全です、だから真っ先にウチに来てくれて正解です、と分かりやすく説明してくれた。
 
そしてその内容は、車を購入したときに中古車専門店の営業が「ディーラーに任せた方がいいですよ」と言った理由とそっくり同じだった。
 
私はすっかり山田さんのファンになった。
 
外見はとってもチャラいけど、この人の話は信用できるな、と思ったのだ。
 
チャイルドシートの利便性だけを理由に初めてスライドドアの軽自動車に乗る私に、彼は「風が強いと車が横滑りするから低速で」「子供が自分でドアを開けて隣の車にぶつけることもあるので、小学校低学年まではスライドドアが安全です」などなど具体的なアドバイスをくれた。
 
山田さんにも同世代の子供がいるそうで、子育て中のママの使い勝手を考慮した車のアドバイスや、ときには保育園の情報交換や育児の話なども交わすこともあった。
 
そんな楽しいスズキ車ユーザーライフも5年目を迎えた頃、追突事故に見舞われたのだ。
 
そもそも中古で購入した車だったこともあり、車両保険をつけていなかったのも災いした。相手方の提示した賠償額が低すぎて、新しく別の車を購入するにあたり、かなり自腹を切る羽目になったのだ。
 
私は車に思い入れを持たないタイプだけれど、それでも何の不満もなく快適に使っていた自分の車を突然ぶち壊されて平静でいられるはずがない。
 
しかも相手の保険会社からは同等クラスの中古車に買い替えることもできないほど低い賠償額を提示され、世の理不尽に打ちのめされて気分がどん底に落ちていた。
 
「山田さん……どうして世の中のスライドドアの軽四はこんなに高いのかしら……」
 
私はとりあえず真っ先に、山田さんにスズキのディーラー中古車の在庫を問い合わせた。
 
同じタイプの中古車なら、乗り換えにあたって一番ストレスが少ないという判断からだった。とてもじゃないが新車は買えない。
 
山田さんは取り寄せできる新古車の在庫を見せてくれたが、これがびっくりするほど高い。とてもじゃないが中古車でも買えなかった。
 
「スライドドアの軽四は子育て中の人が欲しがりますから、中古でも値段が落ちにくいんですよ。特にディーラーの中古車は、状態が良いから高値で取引されるんです。中古車専門店を回ってみたら、状態の良いスライド軽四があるかもしれません」
 
山田さんは、首にギプスをはめて打ちひしがれた私にローンを勧めることは絶対にしなかった。
 
ただでさえ品薄のスライド軽四。私が次に買う車がスズキであるとは限らないのも分かっていただろう。
 
そして私は本当に仕方なく、嫌々、別のメーカーのスライド軽四を中古で買った。
 
しばらくして、事故関係の書類を受取りに、私は申し訳なさいっぱいにN社の軽自動車に乗ってスズキの山田さんを訪ねた。
 
山田さんは私のむち打ちの様子を気遣い、廃車にした元愛車の書類を出してきた後「久慈さん、N社の軽にされたんですね。年式分かりますか?」と言った。
 
私が「確か25年式」と答えると、山田さんは急に身を乗り出してきた。
 
「N社の軽、平成25年式まで中身はうちがOEMで作ってたんですよ。この年式はリコールが何回か出ていたはずですから、念のためN社ディーラーに持って行って確認してください。中身は確かにスズキなんですが、ガワは他社の車だからウチのメカニックでは見てあげられなくて……」
 
驚いた。山田さんの頭の中には、他社OEM車のリコール情報までインプットされているのか。
 
いくら中身がスズキのエンジンでも、車についてるエンブレムは他社のものなんだから、スズキの営業である山田さんの管轄外なのは明白だ。
 
それでもかつての顧客にちゃんと情報を提供してくれるその姿勢に感動してしまった。
 
見た目はチャラい兄ちゃんなのに、神対応過ぎて涙が出る。
 
私はこのとき心に決めた。
 
新車を買える金を貯めて、スズキの車を買うのだ。もちろん山田さんから。
 
本当に効果的な営業とは、逃げた魚にも餌をやり続けることなのだろうなと身に染みて分かった出来事だった。
 
 
 
 
***
 
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2021-01-24 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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