落合博満が二人の恩師から学んだこと
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記事:篁五郎(「超」ライティングゼミ受講生)
元プロ野球選手の落合博満は現役時代に7人の監督の下で野球をしてきた。どの監督も個性派揃いで何かしら影響を受けて自身の監督業に活かしたと思える。
ところが落合自身は「野球を教えてもらったのは,山内さんと稲尾さんだけ。後の5人からは,野球を教わってはいません」と答えている。
山内さんと稲尾さんというのは落合がロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)時代に監督していた二人である。山内一宏は落合が入団してきた時の監督で選手としても一流の成績を残し、バッティングコーチとしての実績も豊富で多くの選手を育ててきた名伯楽である。
しかし、山内と落合の出会いは最悪であった。プロ野球選手になって初めての自主トレでのこと。山内は球団OBで1978年まで監督を務めていた金田正一と二人で新人選手の視察をしていた。
バッティング練習をしていた落合を見ると金田がが大きな声で「こんな打ち方じゃプロでは通用せんぞ」、山内も「そうだね」と同調。落合は反発を覚えたという。
「俺は25歳でプロ入りしたからそういった言い方も免疫ができているけど高校出たばかりの子どもが野球界でもトップの人にそんなこと言われたらなんて思うか?」
後日、このエピソードについて聞かれた際にこう答えている。しかし、山内は落合に見所があったと思ったのか熱心に打撃指導を始める。ところが山内の言うとおりにしても一向に打てない。指導されてもピンとこない。それでも山内は落合に指導を続けてくる。このままではダメだと思った落合は山内にこう告げてしまう。
「山内さんすいません。ダメならクビで結構ですから放っておいてください」
なんと監督からの指導を拒否したのだ。山内は落合の言葉を聞いて指導するのを止めたが、見捨てたわけではなかった。二軍で成績を残した落合を山内は一軍に抜擢。レギュラーとして使った。
山内がロッテで監督をする最後の年となった1981年に落合は首位打者(打率がリーグでトップになること)を獲得。その頃には山内から受けた指導がすごく理論的で高度だったことがわかったという。
「当時の俺は、山内さんの指導を理解できるほどレベルが高くなかった。でも、練習して山内さんの言うことがわかるようになってきたら、あの人から教えてもらったことを全部試してみた。それで自分に合うなと思うのは言うとおりずっとやってきたよ」
こう感謝の言葉を述べた。現役時代に落合が実践してきた体の正面に来るマシンの球をバットで打つ練習は山内からアドバイスされたものである。それから二人は見込みのありそうな後輩選手のバッティング指導をお願いするほどの間柄となった。落合は後年、山内からは人を教える難しさと育てるのには一朝一夕ではいかないことを学んだという。
それは自身が山内の指導をわからなかったという経験からであった。
そしてもう一人、野球を教わった稲尾和久もロッテオリオンズ時代の監督と選手という間柄での付き合いから始まった。稲尾との出会いも衝撃的だったという。稲尾は現役時代「神様・仏様・稲尾様」と呼ばれるほどの投手。1957年の日本シリーズでは5連投、4完投と大活躍をして所属していた西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)を日本一に導き、1961年には歴代最高記録のシーズン42勝を果たした大投手であった。
その稲尾が監督に就任した84年、落合は球団と年俸で合意できずまだ契約を終えていなかった。そんな中、稲尾から一本の電話が入る。「もしもし、稲尾だよ」という声に「誰? どこの稲尾」と返した。「監督の稲尾だよ。早く(契約の)はんこ押せ」と言われて「それとこれとは話が別」と反論。これが落合と稲尾の最初の会話だった。
それから稲尾と落合は「監督と選手でありながら試合後に杯をよく傾けた不思議な間柄」だったという。練習場でも遠征先でも、時には落合の自宅でも二人は酒を交わしながら「会えば野球の話ばっかり! 投手はこういう生き物だ、打者はどういう考えなんだって。あれだけ勝ってきた人に打者が分からない投手心理を聞いた。私の中で財産です」と語った。
稲尾監督の下で落合は4番バッターとして期待され、1985年には二度目の三冠王(ホームページ、打点、打率がすべてリーグトップ)を獲得し、86年も活躍すると思われていた。ところが前年の成績が信じられないほど極度の不振に陥いる。何がきても打てない。周りは落合を4番から外すように進言をするも稲尾は落合を4番で使い続ける。
落合の妻・信子が直訴しても首を縦に振らなかった。
その理由を当時の投手コーチ・佐藤道郎に「オチ(落合博満)は絶対に打つから。目見てりゃわかる」と言って4番に置き続けた。稲尾の言葉を聞いたのかは不明だが、予言通り落合の打撃は元に戻り、終わってみれば二年連続三度目の三冠王を達成した。
その時も落合と稲尾は試合後も野球談義を続けており、「あそこは手堅くバントでいくべきだったでしょう」と自分の意見を遠慮なく口にしていた。今なら越権行為として二軍に落とされても当然だろう。いや、当時でも干されて当たり前だ。
ところが稲尾は「監督は俺だぞ」と言いながら、じっと耳を傾けていたという。そして、落合がシーズン50本の本塁打を打ったときには監督室へ呼び、「王(貞治)の記録(シーズン55本塁打)を抜きたいか?」と聞いてきたという。その上でチームに対する展望を話し、来年ロッテを優勝させたいから残り試合は若手の力を見極めたい。だから記録に挑戦するか,残り8試合を若手に譲るかを落合に決めてもらおうとしたのだ。
落合はその気遣いに感謝して残り試合を若手に譲った。
稲尾から指導者としての振る舞いを教わったという。自分と意見を違う者を大切にすること。選手への気配りだ。
「組織の上に立った時、裸の王様になりたくなかったら、いかに人の話に耳を傾けられるかだ。特に、自分と反対の意見を持つ人間は大切にすべきだろう」
こう語った落合は中日ドラゴンズで監督を務めた8年間で4度のリーグ優勝と1度の日本一を達成し、名称の仲間入りをした。その時も恩人と公言している山内一宏ろ稲尾和久の教えを守ったのだろう。
今では、現場から離れて10年も経つがもう一度監督をしている落合の姿を見てみたい。
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