ママの真夜中ヘミングウェイ・ドライブ
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:吉田けい(ライティング・ゼミ超通信コース)
子どもが生まれて初めて、息抜きというものが必要になった。
それまで息抜きしていなかったわけではない。息を抜きまくっていたと思う。ただあまりにも自然に息を抜いていたので、「息抜きしよう」としっかり意識して来なかった。仕事をしていても、通勤で電車に乗っていても、ちょっと気になることがあればすぐにスマホやPCでネット検索できる。トイレ休憩のついでに手軽に遊べるミニゲームがたくさんある。本は本屋さんにも図書館にもたくさんあるし、駅前の華やかな商業ビルには素敵なお洋服と雑貨が溢れんばかりに並んでいる。ちょっとトイレ。煮詰まってきたからあの件の調べ物。定時で上がったらまっすぐ帰らないで、あの雑貨屋を覗いて行こう。漫画の新刊が出てるはずだから、本屋に寄っていこう。あそこの定食屋が美味しい。あそこのトラットリアがオシャレ。途中下車してレイトショーでも見て帰ろうか。深夜アニメにバラエティにYouTube、FacebookにTwitter。この世界には数え切れないほどの息抜きに溢れていて、私はその息抜きにまみれて生きてきていた。
子どもが生まれ、特に活発に動くようになってから困ったのが、スマホを触れなくなったことだ。ママがあの四角い板を持ってる! 上の子も下の子も、スマホを持った途端にまっしぐらにやってきて画面をのぞき込む、手からひったくる。上の息子はゲームがしたい、動画が見たいと大騒ぎするし、下の娘はよだれたっぷりのお口をあーんとして、どこに置いたか覚えてもいないスマホをべろりんと舐め上げようとする。これはダメ、ゲームも動画も一日一回。くどくど怒るのも疲れるので、子どもの前では一瞬だけメールやLINEをチェックするだけにせざるを得なかった。
それでも子供が寝静まった後、幼稚園に行った後、ついスマホをチェックすることはやめられない。自宅・幼稚園・小児科・スーパーよりも遠出するには、誰かに子供を預ける段取りを整えてからでないと出かけられないのだ。子どもが生まれる前までは何の苦労もなく立ち寄れていたところが、ドラクエのダンジョンにでも行くような覚悟と準備が必要になる。それは今までは空気のように摂取していた息抜きは、すべて贅沢品に返信してしまったのである。そうすると、私の手元に残った息抜きはスマホのネットサーフィンやSNSチェックくらいしか残されていなかった。
だが、息抜きをスマホだけに頼るとだんだん息が詰まってくる。面白おかしいまとめ記事やネットニュース、コミックエッセイを見ていても、どれも同じようなものに見えてくる瞬間があるのだ。そして何か違う刺激を求めて別のSNSやアプリを開くのだが、そこでも同じような記事が並んでいるだけ。ゲームに興じてみても、熱中しすぎて何十分も浪費してしまうのも罪悪感がすごいし、ある時突然、こんなパズルをしても何一つ生産性がない、と達観してゲームを見るのも嫌になってしまうのだ。
育児をしていると、やり場のない感情をぐっと飲みこむようなシーンの連続だ。マラソンのようにずっと走り続けているとはよく言ったものだ。マラソンの給水場のような休憩が育児にもあったらいいのに。でも、スマホのネットニュースやSNSは賑やかすぎて、休憩しているはずなのにだんだん心が疲れてくる。夜のベランダで何をするでもなくタバコをふかすような、そんな時間こそが欲しいのだ、タバコ吸えないけど。一番近いのは風呂なのかもしれないが、風呂に入っている時に限って、下の娘がぐずり出したりする。しかも風呂は体や髪の毛を洗ったりしないといけないので割と忙しい。そしてそもそも、夜のうちに風呂に入れず、朝になって慌ただしくシャワーを浴びるだけの方が多い。風呂はかなりいい線言っているけど、ちょっと惜しい、ちょっと違う。
「…………」
今日も幼稚園の送迎でしか外に出なかった。毎日めまぐるしく忙しいのに、何と淡々とした日々だろう。子どもが二人とも寝入った後も、しばらくの間は横で待機している。布団を蹴飛ばしたり、布団から転がり落ちて泣き出したりするからだ。その間にできることといったら、結局スマホを見るしかない。今日も変わらない日常に、変わらないスマホの記事。うんざりだ、ネットニュースも育児漫画もSNSももううんざりなんだ。
どうせスマホしか見れないのだったら、もう少し賢そうなものを読みたいな。
私はふと青空文庫のことを思い出した。著作権が切れた小説などを有志がテキストデータ化したサービスで、誰でも無料で過去の作品を読むことが出来る。同じスマホでも、青空文庫で名作を読んでいればちょっとは有意義な時間になるのではないか。「今日の夫に物申す!」みたいなコミックエッセイを読み漁っているよりは、育児から気持ちが離れられるのではないか。そんなことを考え、さっそく青空文庫を開いた。確かだいぶ前に、夏目漱石の「こころ」、太宰治の「人間失格」、芥川龍之介の「羅生門」を青空文庫で読んだはずだ。今度は外国の作品を読んでみようか。あんまり長いのだと気疲れしてしまうから、文庫本一冊か、それより短いのがいいな。ちょっと前に、漫画にちらりと出てきた、ヘミングウェイの「老人と海」にしてみようか。
「…………」
ネットサーフィンに疲れていた私の脳は、確かな文章と物語にあっという間に飲み込まれて行った。子どもが寝静まった後に少しずつ読み進め、三日ほどで読み終わっただろうか。カリブ海の青い海に大カジキが飛び上がる様が目の前にありありと浮かび、海面に落ちる水飛沫の音さえが聞こえてくるようだった。苛酷なはずの大魚との戦い、いや遭難は、不思議と美しい空と海に彩られ、まるで異次元のはざまを垣間見ているような心地ですらあった。いいなあ、サンチャゴ、いいなあ。カジキだけを追って、海と空しかない世界をたった一人で漂流していくサンチャゴ。なんていう非現実。なんていう美しい異世界。技術も経験も持ち合わせた老獪な漁師、あるいは猟師が自然界の大物に立ち向かう物語を他にも読んだ気がする。白鯨だ。大造じいさんとガンだ。漫画にもそんなのがあったな。彼らが獲物に狙いを研ぎ澄まし、そのために自然を受け入れて一体化していく様はなんと美しいんだろう。男たちはその過程を通して、自分の人生を、運命を見据えていくように思える。それはきっと、獲物をしとめることだけに集中し続けることで得られる境地なんだろう。
感動に浸る間もなく、娘の昼寝時間が終わり、息子の幼稚園のお迎え時間になった。せっせとずりばいで家じゅう探索する娘を捕まえ、着替えをしたくないと泥だらけの体操着で逃げ回る息子を追いかけ、風呂の支度に離乳食の準備。夫に声をかけ、一緒に献立を決め、夕食を作ってくれるよう頼む。ひっきりなしに話しかけてくる息子、構ってちょうだいと泣く娘、料理に没頭している夫。いつもと同じ、賑やかで幸せでせわしない夕方の光景だ。子どもたちが眠るまではタスクが列をなしていて息をつく暇もない、息抜きだってロクにできない。早く終われ、早く一日よ終われ。でもその頃には私も疲れ果てて、子どもたちと一緒に寝てしまうんだ。
「ねえ、もう牛乳がないよ、買いに行かなきゃ」
冷蔵庫を覗いた夫がそうぼやいた。そうだねえ、といいつつ、子どもに取られないよう立ったままスマホを操作して予定を確かめる。明日の子守やタスク、ZOOM会議などの状況を考えると、買い物に行くのはなかなか厳しい。でも夜寝る前にたくさん牛乳を欲しがって、明日の朝までになくなってしまったらどうしよう? 麦茶でしのげるかな。おや、パンもハムももうほとんどないじゃないか。息子のお気に入りのハムとトーストの朝ごはんが作れない。
「ねえ、ご飯食べ終わってるし、私今から買い物行ってくるよ」
「わかったー」
今買い揃えておかないと、明日の朝が大変なことになる。焦燥感に追い立てられるように私は車の鍵を握り、ヴィッツに乗り込んだ。エンジンボタンを押すと、ぱっぱっといろいろなメーターのライトが付いていく。いつみてもちょっとカッコいいと思ってしまう挙動だ。ハイブリッド車なので、エンジン音は少し遅れてから聞こえてくる。車内という小さな空間の中で、サイドブレーキを下ろすまでのほんの一瞬、私はしみじみと息を吐きだした。タバコ吸ったことないけど、あの煙を吐き出すのはこんな気持ちなのだろうか。
夜の街を私のヴィッツが走る。音楽もラジオもかけていないと、頭の中で老人と海の文章が浮かんでは消える。声優の石田彰と思しき声が朗読しているように感じるのはさすが私の脳みそだ。海面に浮かんでいる海藻が、海が金色の毛布をかぶっているよう、と書いてあるシーンがあったな。なんだか柔らかくて独特で、少しエロスすら感じさせる表現だった。実際にその光景を見たら、ちょっと汚いとすら思うかもしれないのに、海の毛布だって。やはりノーベル文学賞をとる作家の表現は段違いだな。これは原文の英語だとどんなふうに書いてあるんだろう……。思考が老人と海の世界にゆっくりと浸り始めた頃、ヴィッツはショッピングモールについてしまった。頭の中ががしゃりと切り替わり、私はスマホとエコかごを持って売り場へと足早に歩いて行った。
食品コーナーというのはぐるりと一回りすると、二つ三つはなにかしら余計なものも買ってしまう。パンと牛乳とハムを買いに来たはずなのに、お菓子やらインスタントスープやらも買い込んで、会計を済ませて車に戻ってきた。ヴィッツの荷台のドアを開けてエコかごを載せ、再び運転席にぼさりと座る。買い忘れはない筈だ、一仕事終えた。家はどんな状況だろうな。そう思いながら、またしても私は深く息を吐きだしていた。
「…………」
ああ、そうか。
今、私、息抜きしているんだ。
車に乗って、夫とも子どもとも仕事とも切り離された空間に一人でいると、こんなにもしみじみと息が吐ける。いや、息はいつだってしているのだけれど、しみじみと息をするという事が大事なんだ。買い物をすること、寄り道をすること、なにか楽しい体験をすることが息抜きで、それが出来ていないとずっと思っていたけれど、それは間違っていた。こうやって頭の中をざわつかせるものと自分を断絶させて、しみじみと息を吐くことこそが息抜きなんだ。サンチャゴ老人は、大カジキに引っ張られて、小舟にたった一人で縄を引き続けて、それでも大カジキを釣り上げてやろうと心に決めた。心に決めてそれだけをやり続けた。そうするとかえってこれまでの思い出が思い起こされたり、人生についての考察を深めたりと思考の幅が広がっていった。彼の周囲にはカリブ海と空しかなくて、野球のニュースが気になってもラジオを聴くこともできない。周囲との断絶がサンチャゴの思索を深めていったように、私も車に乗ることで、深く息を吐いて、少しだけ思考を深めることが出来ている。
私は大カジキとは戦っていないけれど、それでもあの青い海と空の狭間に浮かんでいるような心地になれるんだ。
「……海じゃなくても良かったんだな」
サンチャゴ老人は、大カジキを仕留めてから故郷の村に帰るまで数日を要した。それは彼にとっての人生を研ぎ澄ませる特別な数日間だったに違いない。彼に倣うわけではないし、大カジキを追ってもいないが、私もしばらくヴィッツに乗っていてもいいんじゃないか。
「…………ちょっと遠回りして帰ろう」
こうして私は、新しい秘かな息抜きを見出したのだった。
次にドライブする時は、素敵な海の雰囲気の音楽でもかけてみようっと。
***
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