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「沈黙を聴く」ことだけが、大切なときもある。(1995年のレクイエム)


202*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:大村隆(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
何もできない。どんな声も掛けられない。ただ、そばにいることしかできない。そんなときには、きっとそれが最善なのだろう。
 
朝目が覚めると、いつものようにテレビのリモコンを手にとり、スイッチを入れた。画面には、東京のどこかの様子が映し出されていた。上空からの映像で、複数の救急車が乱雑に停まっている。座り込む人々、救命活動を急ぐ救急隊員、遠巻きに呆然と眺める会社員たち。「地下鉄の構内で、何かあったようです」「情報が錯綜し、はっきりしたことはまだ分かっていません」。アナウンサーはそう繰り返すばかりだった。
 
また、何かとんでもないことが起きたのだ。
 
1995年3月20日。当時、僕は大阪のワンルームで暮らしていた。布団代わりのこたつを置けば、もう歩くのも窮屈な6畳の部屋。そんな狭い空間に、友人のKと一緒にいた。しばらく黙ったままテレビを見つめていた彼は、たばこに火を付けると、ため息とともにゆっくりと煙を吐き出した。
 
Kは尼崎市で暮らしていたが、ふた月ほど前から頻繁に僕の部屋に来るようになった。「俺んとこのガスと水道、いつ復旧するんやろか」とよく呟いていた。同じ年の1月17日に発生した阪神・淡路大震災で、彼のアパートも被害を受けていたのだ。
 
夜になると、Kはよくビールとポテトチップスを持って部屋にやってきた。きっと何度も泊まったり、シャワーを借りたりするのが心苦しかったのだろう。無口な男だったが、アルコールが入ると哲学的な話で盛り上がることもあった。だが、きまって最後は「ふん」と鼻で笑うようにして、彼は話を打ち切った。どこか、人生に冷めたところがある奴だった。
 
彼は神戸市出身で、高校時代に父親を亡くしていた。それが原因なのかは分からないが、虚無的な人生観を持っていた。何かに打ち込んだり、情熱を傾けたり、人と深く関わったりということを避けているようにみえた。
 
だから、阪神・淡路大震災についても語ろうとしなかった。その話題になると「俺にとっては他人事や」と目を伏せた。なんて冷淡な人間だと、僕は思った。でも、本当は逆だったのだといまは分かる。生まれ育った街が崩壊したのだ。心を閉ざすことでしか、彼はバランスが保てなかったのだ。
 
どこかで、何かが損なわれてしまった。Kを思い出すと、そういう言葉が浮かんでくる。でも、それは僕も同じようなものだった。寄る辺がなく、自分の方向性も決められず、心のなかに恥ずかしさや後ろめたさを抱えていた。いつか大きく崩れるときが来る。そんな不安が常にあった。
 
思えばあのころに20代前後だった人たちの多くは、みな同じような不安定さを抱えていたのかもしれない。足もとの覚束なさ、存在の不確かさを解消したくて、周囲の知人たちは留学したり、自己啓発に走ったり、音楽活動にはまったりしていた。バブル崩壊、日ごとに増していく閉塞感、そして迫り来る世紀末。華やかだったときは過ぎ去り、逃れようのない闇が巨大な渦巻きのように近づきつつある。そんな時代だった。
 
未来への漠然とした恐怖と、どうしようもない虚しさや無力感から脱したくて宗教に飛びついてしまう人たちの気持ちも、僕には分からないでもなかった。あの日、地下鉄で化学兵器による無差別テロを起こしたカルト教団も、そんな何かにすがり付かずにいられない若者の心に、救いや悟りという「都合のいい物語」を刷り込むことで急拡大していったのだ。
 
僕はそれから数カ月後に大阪を離れ、出身地の小さな町に戻った。一度だけ、僕のところにKが遊びに来たことがあった。彼は税理士を目指し、働きながら勉強を続けていたが、あるとき貯めていた数百万円を通帳ごと盗まれたという。ショックから、なにもやる気が起きないと話していた。「おまえの田舎にいけば、ちょっとは気持ちが晴れるかもと思ってな」。そう彼は言った。
 
少しでも癒やされるならと考え、Kを助手席に乗せてカルスト台地や日本海沿いなどを巡った。でも、どこに行っても彼は俯いたままだった。「ごめんな、こんなんで」。新幹線の改札口で別れるまで、彼は何度もそう繰り返した。
 
それからしばらく、彼から何の連絡もなかった。心配になって電話をかけると、「ああ、おまえか……」と寝起きのような声が聞こえてきた。どうしてるんだ? 調子はどうか? 何を尋ねても、彼は「ああ……」としか言わなかった。
 
何か、彼にとって意味のある言葉を掛ける必要がある。そう思った僕は「なあ、過去は変えられないかもしれないけど、未来は変えられる。そう思わないか」と語りかけた。
 
どうしてそんなことを言ったのだろうかと、いま考えても悔やまれる。そんな教訓じみた一般論、言われなくても分かっているはずだ。それができないから、悩み、苦しんでいるのだ。それなのに、なんて軽薄で無神経だったんだろうと……。
 
「ああ、わかっとる」。そう言うと、彼はガチャンと電話を切った。
 
それ以来、Kとは連絡がつかない。いまどこにいるのかさえ、分からない。
 
僕自身、これまでに何度も窮地に追い込まれる体験をしてきた。現状を打開するため、自称ビジネスコーチなどにヒントを仰いだこともある。どの言葉も的を射たものだった。けれど、そうしたアドバイスの類いはいずれも教科書的で、心の奥底には響いてこなかった。
 
苦しい状況のなかで最も有難かったのは、ただじっと話を聴いてくれる人たちの存在だった。こちらの状況を否定することなく、以前と変わらず、ただ側にいてくれた人たち。何ひとつ話したくないようなときでさえ、その沈黙をそっと聴きとりながら、そばに居てくれた人たち。そんな数少ない友人たちのおかげで、時間とともに心は自然と変化し、新しい一歩を踏み出せるようになっていったのだ。
 
Kにとって、僕はそういう存在になれなかった。
 
3月20日が近づくたびに、あの日の朝、ため息交じりにたばこをふかしていた彼の横顔を思い出してしまう。沈黙を聴きとれなかった自分の未熟さと、冷たい痛みを伴いながら。
 
 
 
 
***
 
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