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ショート小説『極楽こたつ』兄と妹 編


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:鳥井春菜(ライティング・ゼミNEO)
※この記事はフィクションです。

ごくらく ごくらく
ごくらく こたつ

ここより先は、極楽浄土。
全ての欲が抜け落ちて、ただ幸せのあるところ。

あの世とこの世の境目で、
記憶の海にちりばめられた、幸せのカケラが形をむすび
「ごくらくこたつ」が現れる。

さぁ、今日も誰かがやってきたようです。

* * *

「ちょっと!」

思わず声を荒げたのは、仕事から帰ってくるなり、また兄が自宅へ上がり込んでいたからだ。しかも、遠慮もなくこの冬に新調したばかりのこたつにごろんと寝転んでいる。

「なんでまた、お兄ちゃんがいるのよ!」

のっそりと体を起こす兄。少し考えるように宙を見つめる様子は、まだ頭が夢の中から醒めきっていないらしい。

「なんでってお前……ここは俺の家だしな」

やっと出てきた答えに、「はぁ!?」っと思わず呆れてしまう。

兄ときたら、いつもそうだ。妹の迷惑ということはいっさい考えないらしい。いつだって、ほしいものを口に出し、結局はやりたいことをやって、それが当たり前だと思っている。そんな兄がいると、妹はいつだって親のフォローをしたり、せめて自分は迷惑をかけられないと遠慮ばかりになってしまうのに。

「ここがお兄ちゃんの家なわけないでしょ! もう帰ってよ!」

おいおい、ちょっと待ってくれよ、と寝転んだまま見上げてくる兄。ともかく、このマイペースさが癪にさわるのだ。

「……みさき。お前どこからここに来た?」

ようやく起き上がったと思ったら、こたつでお茶をすすって一言。

「このスーツ姿を見ればわかるでしょ。仕事よ、仕事!」

ここ半年ほど、兄は働いていない。せっかく四年大を出たのに両親の反対など意に介さず、ただの憧れと思いつきでデザイナーの道へ。せめて私だけでも両親を安心させたくて、兄から一年遅れて社会人となり、大手企業の営業の座を勝ち取った。
兄はといえば、結局二年足らずで業界の厳しさに退職。今度はカメラマンになると言い出して、ローンを組んで高いカメラを買ったはいいものの、仕事は一向に舞い込んでこないようだった。

その頃からだ。ちょこちょこと私の部屋を訪れるようになり、ついには合鍵まで作ってしまった。

「なぁ、本当に仕事だったのか?」

ごくり、とお茶を飲む音がした。

「何? どういう意味? だからスーツ着てるんでしょ」

「いや……あのさ、俺たち、スキー旅行にいくって話、してたよな?」

そういえば、そんな話をした。車の運転もコテージの予約も兄担当。近くの温泉と評判の焼き肉店までプレゼンされて、ついに根負けして久しぶりに有給をとったのだ。
仕事がなくて暇なのか、このところ、映画だの、コンサートだの、果てはスカイダイビングまで、何かにつけて誘ってくるのだ。兄のマイペースさには苛立ってばかりだけど、昔からいつも新しいことを家族に持ち込んでくるのも兄だった。悔しいけれど、そういうときはやっぱりいざとなると楽しんでしまう。

「してたね、そんな話」

あれから、どうなったんだっけ? 日程も決まっていたし、予約も取れたはずだった。

「俺たち、車でスキー場に向かってたと思うんだけど……」

兄は、自分の言葉を噛み締めるようにゆっくりと話した。その声は、わずかに震えているように聞こえる。

「なぁ、本当に今日、どんな道を通って帰ってきたか覚えてるか? 職場でどんなことがあったか覚えてるか?」

どんな道って、いつもと同じように……仕事だっていつも通り……
あれ……? でもこれって、いつの記憶だろう。本当に今日の記憶?
何しろ、毎日忙しくて……

「何言ってるの、お兄ちゃん」

笑ったはずの声が、裏返っていた。
だって、たしかに何かがおかしい。なぜだろう、記憶が上手くつながらない。

「あのな、さっきからお前、スーツなんか着てないんだ。俺には、白いニットにコートを着込んでるように見える。今からスキー場に行くために……」

私、今日どうやって過ごしていたっけ? この違和感はなんだろう……
スーツの裾をぎゅっと握りしめる。

「俺の記憶が正しければ、俺たちスキー場に行く途中で……」

怖い。シャツの下、肌がゾワリとあわだつのが分かる。やめて、聞きたくない。

『ピリリリリリリリ……』

その時、急にコール音が鳴った。兄のスマホが、こたつの上で光っていた。

『ピリリリリリリリ…… ピリリリリリリリ……』

発信元には、母の名前が表示されている。奇妙な静寂の中、私と兄は、そのスマホの画面をじっと見つめた。電話が、何かを叫ぶように、鳴り続けている。

「……みさき、出てくれ」

「……嫌。嫌だよ」

今、猛烈に母の声を聞きたい。このゾワゾワとした感覚から抜け出して、安心したい。けれど、この電話は何かもっと特別なような……

「切れるから! 早く!」

その瞬間、兄が私の腕をグッと引き寄せ、スマホを押し付けた。

「みさき、今日もお前は仕事をしてきた。いつも俺よりずっと頑張ってる。たまには、母さんに愚痴でも言ったらいいじゃないか」

違う。そうじゃない。私はきっと今日、仕事へ行っていないのだ。

「ほら、ちゃんと持って……そういえばまだ、スキー旅行の話を母さんにしてないんだ。だから、話しといてくれないか?」

兄はいつもみたいにへらっと笑ったが、その手はヒヤリと冷たかった。そして、その指でスマホの画面をスライドすると、そのまま私の耳元へ押し当てた……

『お願い! お願い……!!』

すがるような金切り声が、電話の向こうから私の胸ぐらを掴んで、全身がグッと引き寄せられた。音も、酸素も、匂いも、水中から顔を出したときのように、一気にリアルが全身に流れ込んでくる。

ーー薄く目を開けると、白い天井に、消毒液の匂い……

あぁ、ここは……眩しくて眩暈がする。だからこのまま目を瞑っていれたらいいのに……

けれど、パタパタと走り回る足音、人の声、「ピーーー」という機械音が、私を現実を知らせていた。

* * *

聞けば、スキー旅行へ向かう途中、私と兄を乗せた車に、前方不注意の車が突っ込んだそうだ。助手席に乗っていた私は重症で、電柱に突っ込んだせいで兄もあばらを折ったらしい。それでも、兄の方が助かる見込みは高かった。

けれど、目を覚ましたのは私だった。

あの電話。あの電話は命綱だったんじゃないか。あの奇妙な空間からこの世界へ戻ってくるための呼び出し音じゃなかったのか。
そして、本当は兄のスマホへかかってきていたのに……

母の話では、兄は、仕事ばかりの私を心配していたのだそうだ。
実家に帰らない私の様子を一度見に来て、あまりの荒んだ生活のしようにたびたび休暇を取って会いに来ていたのだ。そういえば、映画も音楽も空の写真を撮るのも、昔私が好きだったことばかりだ。

数ヶ月後に、会社を辞めた。両親のためとか、兄のせいとか、そんな言い訳を辞めた。
あの時私の耳にスマホを押し当てた兄は、ずっとそんな風に生きていたから。

そしてきっと、これからもそうやって生きていくはずだったのだから。

***

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