メディアグランプリ

父が亡くなる前に私のために用意してくれていたもの


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記事:牧 奈穂(ライティング・ゼミNEO)
 
 
「お父さんが、危篤なの……」
ある日、突然、父の奥さんから電話があった。父は再婚している。
具合が悪いことは、何となくは知っていたが、急な連絡に慌てて病院へ向かった。父の変わり果てた姿を見て、ガンの恐ろしさを知った。4ヶ月前に会った時は、そんなに具合が悪いとは思えなかったからだ。二人きりになった病室で、意識のない父に語りかける。
「育ててくれて、ありがとう……」ショックで、短い言葉しか出ない。でも、亡くなる前に感謝の言葉を言わないと、一生後悔する気がして、涙を流しながら静かに話しかけた。
 
父は、事業が失敗した過去がある。多額の借金を負ったため、母は兄と私の将来を思って、家を出る決断をした。ある日、突然、家を出なければならなくなった時は辛かったが、私達のためなのだと、子供ながらに伝わってくるものがあった。父がいない寂しさはいつも心にあったが、母を思うとそれを口にしてはいけない気がして、言葉にすることはなかった。
 
そして、私が20歳の時、父がだいぶ前に再婚していたことを知った。父と母に、もう一度一緒に暮らして欲しかった私は、父が遠くに行ってしまったような気がして、寂しかった。ある日、再婚を知ったことで、父とひどい口論になり、平手打ちをされたことがある。そしてその日以来、私は、12年間父に一度も連絡をしなかった。
12年の歳月をつなげてくれたのは、息子の存在だ。息子が生まれた時、血のつながりのある父に会わせないのは、間違っているのではないか? と思い始めたからだ。だから息子のために、息子の写真を添えた手紙を父に送った。父は、ずっと私を待っていたかのように、すぐに連絡をくれた。父の嬉しそうな電話の声を、今でも覚えている。
それからは、たまに父と食事をしたりするようになった。父と会う時は、父の家庭の話を聞かないことが、私の中でのルールだ。きっと、私が聞きたくなかったのだろう。父にとって、私達だけが家族なのだと、私が思いたかったのかもしれない。
 
父に会いに行った日の翌日、父はこの世を去った。
父の通夜、告別式の日程を聞き、私は家族として参列することになる。
私は、父を見送りたかったが、それと同じくらいその場に行きたくなかった。私は前妻の子供である。そして、父を捨てた家族でもあるわけだ。だから、父の「今の世界」に足を踏み入れることが、怖かった。父の奥さんとも、かつて口論になったこともあり、心にわだかまりがある。父の周りにいる人達に、どんな顔をすればいいのだろう? 気乗りがしないまま、父の実家に、兄、夫、息子と向かった。幼い時にいたその場所を、ずっと訪れてはいけない気がして、30年ぶりくらいに訪れた。住んでいたマンション、すぐそばの公園、小学校、よく歩いた海への道、全てが懐かしかった。そして、弟達にも初めて会った。「初めまして……」とても居心地が悪い。
すると、「遠くから大変だったでしょう? あぁ、やっと会えたわ。初めまして」と、父の奥さんが息子に向かって話しかけた。当時息子は、小学1年生だ。父は、孫の存在を心から喜んでいたらしい。いつも嬉しそうに、息子と私達の話をしていたそうだ。
そして、奥さんの親戚家族とも初めて会う。「いらっしゃい。お話はよく聞いていたのよ。あなたがとても小さかった頃を知っているの。よく来てくれたわね。ありがとう」私に優しく話しかけ、迎え入れてくれる。私達が全く知らなかった世界で、私達の存在はずっと生きていたのだ。
初めて会ったのに、皆が私達を、当たり前のように温かく受け止めてくれる。決して社交辞令でもない。想像していた環境と全く違っていた。もしかしたら、いつか、この日が来ることを考え、私達が来た時に、居心地が悪くならないよう、ずっと前から、父が私達のために、この環境を用意していてくれたのではないか……父にとって、私達は過去の家族ではなく、ずっと大切な家族のままだったことを、周りの空気から感じ取った。もう父はこの世にいないのに、父がまるでそこにいるようで、温かい。それが、父が最期に残してくれた、私たちへの贈り物のような気がして、葬儀の間、心が温かくなった。
その温かさのおかげかもしれない。しばらくは父が亡くなった後、私は涙が出なかった。だが、些細なことがきっかけで涙が出たら、止まらなくなってしまった。父を失ったことを実感できるまでに、タイムラグがあったのだろう。
 
私は、生きている間に、大切な人に何を残すことができるだろう? 何を残してあげたいだろう? 形があるものではなく、父のような温かな心を、大切な人達に残せる人でありたい。父の死を通して、父の私達への深い思いを受け取ることができたからだ。誰よりも父によく似た私は、今でも父に会いたいと思うことがある。父の娘として、父を悲しませないよう、父のような生き方をしたい。
 
 
 
 
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2022-05-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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