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イチローになった嫁さんに、完敗した日


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:大村隆(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
「このままじゃ恥ずかしくて、死ねない」
 
ひと月ちょっと前まで、嫁さんは口ぐせのようにこう言っていた。
 
「もし事故かなにかで突然死んだとしても、『もっと海外旅行に行きたかった』とか『美味しいものをたくさん食べたかった』とか、そういった執着はぜんぜんないんだけど、どうしてもこれだけは耐えられない。こんな散らかった部屋を見られるのだけは、絶対に」
 
嫁さんはこれまでにも、本気になって片付けに取り組んだことがあった。急にスイッチが入ったように、朝から一心不乱に徹底的に整理整頓し、不要なものは処分。日付が変わるころにはモデルルームのような空間に生まれ変わらせていた。
 
だが、そのあとは必ずリバウンドに襲われていた。理由は簡単。燃え尽きてしまうのだ。ものすごい集中力で長時間取り組むため、疲れ果てた上に、「片付けをすると恐ろしくエネルギーを消耗する」という前提が強化され、しばらく片付けから遠のいてしまう。そして気がつけば以前にも増して散らかって……。
 
僕も散らかさないわけではない。ただ、散らかしてもそれほどひどい状態にはならない。リビングの隅にある仕事用のデスクは、ちょっと雑然としているといった程度で落ち着いている。その周囲で散らかっているのは、ほとんどが嫁さんに関係する物だった。
 
「なんとかしなければ……」という気持ちからだろう。「かんたん片付け術」「お掃除の魔法」といった類いの本を買ってきては、考え方や方法論を学んでいた。だがどれも続かず、やがてそうした本自体が散乱するようになった。
 
だから「もういや。いい加減にきれいな部屋で過ごしたい。片付ける」と嫁さんが言ったときも「また始まったか」と思っただけだった。
 
燃え尽きないようにと、これまでも「一度にムリしないで、少しずつやったほうがいい」とアドバイスしてきた。よく知られたイチローの言葉にあるように、小さなことの積み重ねだけが、大きな結果へと続く唯一の道なのだからとかなんとか、権威性のある言葉を付け加えて説得力を持たせながら。
 
もちろん、そんなことは嫁さんも分かっている。分かっているけど、できないのだった。「始めてしまうと、どうしてもほかのところも気になって、放っておけなくなる。それで一気にやっちゃうんよね」。でも、それではいつまでもリバウンドを繰り返すだけだ。そして「死ねない」ほどの恥ずかしさを死ぬまで引きずるはめになる。半ば諦めながらも、このたびも僕は同じ話をした。そして、思いつきで新しい試みも提案してみた。
 
「1日10分でもいい。1か所だけきれいにできたら、その部分をSNSにアップするっていうのはどう? 専用のアカウント作って。僕しか見ないから、恥ずかしさもないし」
 
「うん、じゃあ、そうしてみる」と嫁さんは素直に応じた。
 
SNSにアップする。ただそれだけ。
僕以外、誰も見ない。
 
ほんのささやかな「楽しみ」だ。小さな楽しみが待っていれば、少しはモチベーションが続くのではないか……。僕自身は、その程度のつもりだった。夕食を終え、ため息をつきながら片付けにとりかかった嫁さんを横目で見ながら、「いったい、何日くらい続くんだろう?」と思っていた。
 
ところが、その日から嫁さんはどんなに疲れていても1か所だけはきれいにするようになった。食後にウトウトして深夜になってしまう日もあったが、それでも「今日はしんどいからやめる」とは言わなかった。
 
翌朝になると、SNSにその成果がアップされていた。ローチェストの上やソファの周りといったわずかなエリアではあるものの、手を掛けた部分だけは見違えるようにきれいになっていた。僕は「すごい。こんなきれいな家にお住まいなんですか?」とちょっとからかい半分のコメントを残して遊んでいた。
 
1週間後、ごちゃごちゃとしていたリビングの一画がきれいに。2週間が過ぎるころには、モノで溢れて中に何が眠っているのか分からなくなっていた段ボールも姿を消した。それだけでなく、この度はリバウンドせず、美しさをキープしているのだ。
 
「一度きれいにしたら、維持するのは簡単だね。出したら戻す。片づける。ただそれを繰り返せばいいだけ。それに、ほかをきれいにしているときに前やったところが散らかるのは耐えられないから」
 
嫁さんにそう言わせているのは、SNSへアップする影響もあるようだった。プロフィールページに、自分のつけた小さな足跡が毎日ひとつ、確実に増え続けていく。その軌跡を無駄にはしたくないし、途切れさせたくもない。そうした思いも、継続を支えている要因のひとつのようだ。完全に思いつきだったが、意外なほどの効果があった。
 
継続によって変化を起こす力を手にした嫁さんは、片付けにとどまらず炊飯器やケトル、換気扇なども磨き始め、キッチン周りをどんどんピカピカにしていった。取り組みはじめて1か月が過ぎた現在は、いつ誰が訪ねてきても「どうぞ~」と笑顔で言える状態にまでなっている。
 
正直、僕自身はもう十分だと感じている。だが嫁さんは「いや、まだまだ。あそこも、ここもきれいにしなきゃ。終わったらソファに新しいベージュのシーツを掛けて……」などと理想を追求し続けている。
 
そこで最近、困った事態が起きつつある。リビングがきれいになっていくにつれて、僕のデスクの散らかり具合が相対的に目立ち始めたのだ。
 
「あなたはしないの? 1日1か所」。先日、ついに嫁さんからこう言われた。「専用アカウント作って、アップしたら楽しいよ~。継続の力、イチローも言ってるよね」
 
まるでレーザービームのような返球……。完敗だ。勝負などしていないけど、完全に負かされた気分だ。「ああ、そうだね。やってみよう」と僕は力なく答えるしかなかった。このままじゃ、恥ずかしくて死ねないじゃないか。
 
 
 
 
***
 
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