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メディアグランプリ

初めて母に話しかけた日

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:高村小百合(ライティング・ゼミ4月開講)
 
 
母の遺品を整理したい、と父から連絡があった。
遺品と言っても、服や、着物や布団や食器など、日常使っていたもの達だ。
下着やパジャマや靴下まで母に用意してもらい、自分ではチャンネルも変えない、箸も自分では取らない父だったから、1人暮らしになって難儀していたのだろう。
千坪もある敷地に母が趣味で作っていた花畑や野菜畑も、父1人では手入れする気も起きず、自宅は売りに出すことにしたのだった。
 
布団類を100キロ捨て、服も全部合わせて100キロ位あった。ほとんど着ていない真新しい服も多く、もったいないと思ったが、自分自身の服も断捨離が必要な位だ。しようがなく、どんどんゴミ袋に放り込んだ。
食器にはなんの思い入れもない父は、アンティークの食器も作家ものの大皿もお構いなしに、片っ端から叩き割っていった。
最後に着物。
箪笥いっぱいの仕付け糸も取っていない着物をゴミ袋に入れていくのは躊躇われた。
「これは、おばあちゃんが蚕から育てて織って、仕立ててくれた大島紬」なんて話も思い出して、手が止まるが、残念ながら私には娘もいない。捨てるしかない……。
 
その時、父が、隣の奥さんを呼んだらどうだ、着物を欲しいかもしれない、と言い出した。
「え、まさか、隣の奥さんってまだ若いんでしょう? 着物なんて着るかなあ」
 
私が帰省した時に、時々隣家の小さな男の子が2人、「じいちゃん、ばあちゃん」と両親に会いに来て、両親が自分達の孫のように可愛がっていたのは見ていた。でも、その子たちのママには会った事がなかった。
 
父が慣れた様子で電話をすると、彼女はすぐやってきた。
そして、意外な事に、母の着物を、欲しい、何か形見分けをして欲しいと思っていたから、と言った。
人付き合いを殆どせず、葬式も家族5人でひっそりと済ませた位だったから、母が隣家の奥さんとそんなに親しかった事を私は知らなかった。
 
彼女は、ポツポツと母との思い出を語り始めた。
震災の時に義父母や旦那さんが他県に行っていて不在で、赤ちゃんと家に取り残され、暖房器具も使えず途方に暮れていたのを母が自宅に招き入れて世話してくれた事。
料理が苦手で、初めての息子さんの保育園の運動会のお弁当をどうしようか、困っていたら、早朝にこっそり窓から母がおかずを差し入れたこと。
お姑さんと折り合いが悪く、何度も泣きながら庭を突っ切って母に会いに来て話を聞いてもらった事。
「いつも優しく励ましてくれたけれど、時には本気で怒ってくれて、本当のお母さんのように思っていたんです」と彼女は言った。
義父母と同居の息の抜けない生活の中で、こっそり2人でお茶を飲みながら愚痴を言い合うのが、大事な時間だった、と。
 
私には、厳しい母だった。
 
弟が2人いたこともあり、母に触れた記憶もない。
最後まで携帯電話を持たなかった母と、電話で話しても、いつも内容は悲鳴のような、暴君である父の愚痴。聴き続けるのが辛くて話を遮ってしまう私を、寄り添ってくれないと感じていたのはわかっていたが、上手く対応出来なかった。
そして子供を持たなかった私を、「人間として半人前。女として、人として生まれてきた意味がない」と責めるのでいつも口論になるのが常だった。
亡くなる何年か前からは病がちになり、会いに帰っても、1人になりたいから父を連れ出して欲しい、と言う。
私とは、楽しい思い出を作りたいと言う気持ちはないんだな、と寂しく思っていた。
 
だから、母が隣家の若い女性と、そんな穏やかな時間を持てていた事を知って驚くと共に、少しホッとした。
と同時に、彼女に強烈に嫉妬もした。彼女が羨ましかった。
彼女が話す母は、私が思い描き、求めていた母親そのものだった。
 
私には育めなかった母娘の絆のようなものが、2人にあった事を知り、母の、母としての優しさは、私に向けられることはなかった、と言う事実が寂しかった。
 
「お父さんと同じお墓にだけは入りたくない」と母が言うほど、両親の仲は悪かったと思っていたけれど、父の頭の中では「仲の良い夫婦」として母との思い出が美化されているようだった。
「俺は毎日お母さんとお茶を飲みながら何時間も話してる。お前も話しかけてやれよ」
と父は言うが、私は、母はもう苦しみのない天国で大好きな花に囲まれて神様と一緒にいるのだから、父や私の事はもう忘れて幸せなんだ」と思い込むようにして、母に話しかけることはなかった。
 
亡くなって2年が経ったが、長年の叶わなかった片思いを封印するように、母の事は考えないようにしていた。
 
先日、私宛の古い手紙類が入った箱を、引っ越しで発見した。
その中に、私が夫に宛てて書いた手紙があった。
その手紙には、父の定年退職祝いを家族だけでやった時のことが書いてあった。
上の弟が、何も退職祝いを持ってこなかった時に備えて、父の好きな酒を包んで用意しておき、玄関で弟にそっと手渡すよう、母が私に命じたこと。そして下の弟に、父に電話をするようにお願いしていたこと。そんなことは知らずに、父は弟たちからのプレゼントと電話に驚き、大変喜んでいたこと……。
面白い可笑しく書かれたその手紙の内容を、私はすっかり忘れていた。
 
そうだった。
母は言葉にはしないけれど、優しかった。自分には何の得もないのに、よく他人を助けていたっけ……。
その優しさが、自分にだけは向けられていなかったと、なぜ思い込んでいたのだろう。嫌っていた父にも向けられた優しさ。この時の父のように、私が知らなかっただけで、母が影で私のためにしてくれたことは沢山あったのかもしれない……。
 
きっとそうだ、と思うと涙が溢れた。
目に見える事だけが、事実じゃない。見えていなかっただけだ、そう思えた。
 
「ごめんなさい。ありがとう」
 
初めて、天国の母に私は話しかけた。
 
 
 
 
***
 
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2022-06-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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