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それでも僕は生かされた


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:小川大輔(ライティング・ゼミⅡ)
 
 
「お父さんの容体が急変したの! 早く帰ってきて!」
早朝に突然母からかかってきた電話。混乱する頭を落ち着かせながら父の入院する地元の病院へ向かう。実家を離れて一人暮らしをしながら仕事をしていた僕は新幹線に飛び乗り「大丈夫、絶対に大丈夫」と祈り続けた。
病室のドアを開けると、横たわる父を取り囲むように家族が座り、涙を浮かべた視線で僕を見つめる。
急変を聞き、急いで帰ってきた僕は父を看取ることはできなかった。
受け入れたくない光景。
「ああ、お兄ちゃん、間に合わなかった……」
泣き声の混じった弱々しい声で妹が僕に言った。
動かなくなった父に少しずつ近づく。持っているカバンを落としそうだ。頭の中は渦を巻き、思考にならない。
「見て、お父さん、笑ってるのよ」
母の言うとおり動かなくなった父の顔にはわずかに笑みが浮かんでいた。
そっと父の額に触れてみる。
 
冷たい。
 
視界が徐々に白くなる。「お父さん」とすら言えなくて、「うう……」という言葉にならない嗚咽だけが漏れる。
 
あの日、父は還暦にも満たない年齢で息を引き取った。肝臓癌だった。
僕にとっても家族にとっても心の支えであり、大きな存在だった父。失ったものはとてつもなく大きく、胸に穴があいたような感覚だ。
 
しかしこの父の死がこれから起こる大きな出来事の引き鉄になるなんてこの時は想像もしていなかった。
 
父の死を受け入れることがなかなかできないまま元の生活に戻り、数か月したある日、
母から一本の電話が入る。父が生前勤めていた会社の連帯保証人になっており、今どうなっているのか聞いてほしいというのだ。
「ちょっと待て。そんなの全然聞いてないぞ。会社の人からもそんな話、なかったじゃないか」
法律にはあまり詳しくないが、連帯保証人は危ないということは聞いたことがあったのですぐに父の勤めていた会社に連絡をとり、会社まで行くので詳しい話を聞かせてもらえるように約束を取り付けた。
後で詳しく知ったことだが、「連帯保証人」とはお金を借りた人が返せなくなった場合、その人に変わってお金を返さなければならない者の事で、連帯保証人本人が何らかの理由でお金を返せなくなったとしてもその配偶者、子、子の子と返すまで終わらない恐ろしい制度らしい。
しかも父は「個人」ではなく「企業」の連帯保証人だという。規模が全く違う。
 
約束の日、応対してくれた会社の人に状況を詳しく聞いた。
 
母の話は本当だった……。
 
父は勤めていた会社の連帯保証人になっており、しかも会社がお金を借りている金融機関は複数ある。会社の経営状態が悪く、弁護士をいれて経営再建のための交渉に精一杯で連帯保証人の話まで今はできない状態だ、とのこと。
父は連帯保証人から外れていない。
父のいない今、会社がお金を返せなくなればそのお金を返さなければならないのは僕たち家族だ。具体的には配偶者である母、子である僕、妹、そして僕たちが何とかしなければ妹の子どもにまで借金が降りかかってくる。妹には子どもが2人いる。その子たちは何も知らないのに生まれた瞬間から借金を背負っているのと同じだ。
 
「じゃあ、どれくらい借金があるんですか?」
 
「会社の資金だから……20億くらい……」
 
20億!?
笑ってしまった。そんな額、どうしろというんだ。じゃあこの会社が潰れたら道連れじゃないか。
言いたいことは山ほどあったが、とりあえず毎月状況を聞きにきますと約束をしてその日の話は終わった。
毎月毎月、時間を取っては状況を聞きにいく。会社がコンサルタントとして入ってもらっているという複数の弁護士さんにももちろん会う。毎回ほとんど状況は変わらない。でも僕にはそれしかできなかった。
母や妹は僕が話し合いから帰ってくるたび、心配そうに様子を聞いてきたが本当のことなど言えるはずもない。いつも「大丈夫だよ」と言っていた。
 
そんなある日。一人暮らしの部屋の中、机のパソコンに向かっているときである。突然ゾクッという感覚と共にとてつもない不安に襲われ出した。精神がおかしくなり、心が壊れ始めた瞬間だった。必死で耐えたが症状は僕を蝕んでいき、とても仕事ができる状態ではなくなった。それどころか一人で生活するのさえ困難になり、僕は凄まじい葛藤の末、仕事を退職して実家に戻ることになる。
今思えばわかる。
連帯保証のストレス、仕事のストレス、勤務体系による不規則な生活、父がいなくなったことにより実家に戻った方がいいのではないかという悩み、様々なことが知らず知らず積み重なり僕の心は動けなくなるほどに押しつぶされてしまった。
 
職を失い、精神を病み、それでも連帯保証の問題は終わらない。母が知人に紹介してもらった精神科の先生の病院とその先生に紹介されたカウンセラーの先生のところへ通いながらながら、父の会社で行われる話し合いには顔をだした。無職であるという後ろめたさも、精神を病んでいるという辛さも押し殺して。これが解決しなければ家族や妹の子どもにまで影響がおよんでしまう。絶対に僕のところで解決しておかなければならなかった。
 
やっと会社の経営再建のめどが立ち、連帯保証人の交渉が進みだしたころには数年がたっていた。それまで連帯保証人から父をはずしてくれなかった金融機関もようやくはずしてくれるところが出始めた。
これで解放される……。
 
でも、本当の苦痛はここからだった。
 
金融機関の1つが父の会社の経営再建過程を見計らって、我が家のすべての口座を凍結した。その金融機関は我が家が主に利用しており、ほとんどのお金を預けている。また父とのつながりも深く、仲の良い友人すらいたほどだ。言ってみれば信用していた金融機関である。
「お金が全部無くなってる! 私らに死ねって言うこと?」母の声が忘れられない。
 
通帳を見てみると残額がいきなり0になっている。血の気が引いた。その金融機関「A」に当然僕は足を運ぶ。話を聞くと口座も保険も何もかも差し押さえられていた。長年信用し、信頼して利用し、貯蓄のほとんどをしてきたAにだ。
「なんなんだこいつら? 長年の付き合いはどこへ行った? 情はないのか?」
このままでは本当にまずい。父の会社の弁護士さん達とも結構長い付き合いになっていたので、直接やりとりをし、Aと話し合ってもらうことになった。
 
ところが。
 
交渉している期間であるにもかかわらず、Aはさらに信じられない行動をおこしてきた。
何の前触れもなく、いきなり僕たち家族を訴えてきたのだ。金を払えと言って。まるで後ろから刀で斬りつけてくるかのように。訴状を見た時、にわかには実感がわかなかった。こちらの弁護士さんに連絡すると憤って言った。「ふざけてますね」
 
裁判は本当に消耗戦だ。
約1か月半に1回、たった15分ほどの裁判所での法廷ために、これでもかというくらい証拠を集める。例えば印鑑1つとってみても、これは本当にその時に使われた印鑑なのかという証拠がいる。母は「まるで家の中を丸裸にされるようだ」と嘆いていた。弁護士さん達も我が家に足を運び、次の回のために打ち合わせをし、こちらに有利になるよう方向性を決める。そして証拠を集める。もちろん電話で話し合いをすることも多々ある。資料を要求されれば、こちらから郵送する。
そんな戦いが延々と続く。
裁判所の法廷で僕は相手側の弁護士をずっとにらみ続けていた。
 
そしてAは裁判期間中であるにもかかわらず実家にニコニコしながら保険や預金の催促にやってくる。催促に来るのは裁判をしている上層部ではないからその人達は関係ないと言えば関係ない。でもAという組織としては同じだ。一方で僕達を訴えておきながら、一方で昔から馴染みがあるということで良心的な顔をして寄ってくる。片方の手で銃で撃たれながらもう片方の手で死なないように輸血されているような気分だった。
大きな組織が僕ら家族に壮絶ないじめをしているように感じた。
 
加えて「無職」「精神疾患」が解決しているわけではない。就職活動と通院・心理カウンセリングをしながら裁判を闘う。
苦しい、苦しい、苦しい! 家の中で荒れに荒れた。
大好きだった父。世界一尊敬していた父。その写真を見ながら心の中で語りかける。
 
「お前」、なんてことしてくれたんだ
 
ある時ふと思った。僕らを訴えてきたAの代表は誰なんだ? ここまで僕らを追い込んでいる人物を知りたかった。
どうやって調べたらいいのかわからなかったが、送られてきたAの書面の1枚の中にその名前を見つけてしまった。知らない方がよかったのかもしれない。
 
「代表原告○○○○」
……そこに書かれていたのは、父が生前仲良くしていた友人の名前だった。
 
こんなことが、こんなことがあるのか。
愕然とした。ドラマや小説の中の出来事が現実になった気がした。
おそらくはAという組織の役員の代表として名前を書かざるをえなかった、というのが実情だろう。本人も後ろめたさを感じていたと思いたい。でも、僕ら家族に起こっていることは何ら変わりない。もし罪悪感があったとしても。
 
裁判は続く。僕たち家族は消耗しきっていた。でも僕は弁護士さん達を信じていた。なんだかんだで知り合って数年。人柄もわかってきていて、なんだか弁護士と顧客をいう枠を超えたような親近感を覚えていた。
こんなことがあった。ある時の法廷の後、別室で僕、こちら側の弁護士、A側の出席者、A側の弁護士で話をしたことがある。その話し合いの中、普段は穏やかなこちら側の弁護士さんが強い口調で言った。
「あなた達はなぜここまでこの家族を苦しめるんですか! 何か恨みでもあるんですか!?」と。
それは法律を超越した人間の感情からくるものだった。本気で僕達のことを思ってくれている言葉だった。
「もし負けたとしても、この人達で負けたなら仕方ない」そう思えた。
 
1年以上の期間を戦い、裁判は終わった。
結果は、「A側が僕たち家族の財産の一部を返すことで示談」
事実的にはかなり不利な条件での示談だ。差し押さえられていた財産の大半はAに持っていかれてしまった。
でも……これで父の連帯保証は全て外れた。
問題が発覚してから、数えてみれば4年以上が経っていた。
上告の話も出たが家族全員、それは望まなかった。もういい、これで終わりにしてください、と。僕ら家族は全員ボロボロだった。悔しいけど、これで十分だ。
 
長い期間一緒に戦ってくれた弁護士さんが去り際にさらっとこう言った。
「いや~、ほんとはもらってない弁護士報酬が200万くらいあるんですけどね、もういいです」
びっくりした。こんなドラマみたいな人、ほんとにいるんだな。
「ありがとうございました」
その言葉しか出てこなかった。深々と頭を下げた。
1つの大きな大きな問題は解決したが、僕にはまだ「就職」「精神疾患」という問題が残っている。僕は裁判と並行してそちらとも戦わなければならなかった。何十社も応募したが落ち続ける。精神科の先生とカウンセラーの先生に「助けてください」とこぼす。朝、目が覚めると「また、この世で目覚めてしまった」という感じ。死んだ方が楽かなあと何度も思った。あの頃、生きているというより「無理やり生かされている」という感覚だった。
死にたいほど辛かったけど行動に移すほどの勇気もない。「連帯保証人問題」「就職」「精神疾患」この3つの中でもがき続けた。
 
「連帯保証人問題」が解決したのが6月。それから数か月、ようやく1社最終面接まで行くことができた。季節は冬になっていた。「ここがだめならもう無理だな」そんなことを思いながら最終段階に入った治療を受けにカウンセラーの先生と病院の先生のところへ向かう。カウンセラーの先生とはカウンセリングをするため、ありとあらゆることを話す。しかし病院の先生とは症状を話すことがメインで話す時間は少ない。その日たまたま時間があり、初めてこれまでの経緯を病院の先生に全て話した。温厚で優しい先生の言葉が忘れられない。
「あなた、よく生きてたね。それだけのことがあったのに、すごいよ」
 
そして家に帰ると1通の封筒が届いていた。最終面接を受けた会社からだ。
「採用」の文字を見た時に感じたのは嬉しさよりも安堵のほうが大きかった。
 
就職活動もなんとかクリアし、精神疾患のカウンセリングと通院もできうることはすべて終えた。
 
数年たった現在、今も症状は残るものの、克服すべく戦いながら仕事も続けることができている。
 
父の死から始まった一連の出来事を今思い返すと、僕はきっと無理やり生かされたのではない。あれだけのことが起こったにも関わらず、「それでも生かされた」のだ。次から次へと救いの神が降りてきてくれた。それは弁護士の先生方であり、病院の先生であり、カウンセラーの先生であり、病院の先生を紹介してくれた知人であり、家族だった。他にも多くの人に救われた。「神様や仏様って、この世にもいるんだな」と心から思った。
あの期間に亡くなってしまった僕のおばあちゃん。おばあちゃんにも救ってもらったよ。家も僕もあんな状態で向こうにいかせしまって本当にごめんね。
そしてお父さん、見てくれてますか? こっちはみんな何とかやってます。あの出来事があって、家族の絆と僕の家族への思いは深まったよ。
あれほど憎んだけど年月が経って今ならわかる。お父さんは人が良すぎたから、きっと嫌と言えず無理やり連帯保証人にされたんでしょう? だって僕の夢の中に、ものすごく申し訳なさそうな顔をして会いに来てくれたもんね。
 
もう憎んでないよ。優しくて、世界一尊敬していたお父さんのまま、僕の心にいます。

 
 
 
 
***
 
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