いろんなことが逆さまの国で生きてみた。
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:西山千登勢(ライティング・ゼミ8月コース)
「ああっ、また間違えた!」自宅は出発地から見ると、大まかに言えば北だ。それなのに、さっきから真逆の南に行ってしまう。やられた。「あー、これ、一体いつになったら慣れるんだろう?」
やられた、とは方角の見立てだ。ここはオーストラリア。南半球だ。いろんなことが北半球とは違うと、頭ではわかっていた。しかし体感としては? 残念ながら知識と体感は別物であると認めざるをえなかった。
例えば日中の太陽のある方角を、つい南だと思ってしまう。だから北に向かうなら、太陽の方向に行くべきところ、つい太陽と逆の方向に進んでしまう。北半球では、日中の太陽に向かって左が東で、右が西。太陽は左から上って、右に沈む。しかし南半球では、日中の太陽の方角を向くと、朝日は右手から上り、左手に沈む。私の体感的には西から日が上り、東に沈むことになる。バカボンの歌を思い出す。頭がクラクラする。
なぜこうなるのか、といえば地球が丸いからだ。ここでは、日中太陽があるのは、北の空。そうはわかっていても「北向き、日当たりの良い住宅!」という広告には、どうしても違和感が拭えない。太陽は北側なの! と、何度自分に念を押したことか。
夜空を見上げて、ある日オリオン座そっくりの星座が目に入った。でも左下にあるはずのシリウスが右上にある。ベルトの星の並びも変だ。それから数時間、図面を書きながら考えた。わかった。人間は自分の立っている地面を「下」と呼ぶ。天空の星はそのままの形でも、北半球と南半球は「下」が真逆なのだ。そのため、ここではオリオン座が逆立ちして見えるということだ。解明した時には、ため息が出た。南十字星に浮かれている場合じゃ無い、と。
そして。逆さまはまだまだ続く。クリスマスが近づくと、日に日に陽射しが強くなる。当然暑くなる。何しろ12月末は真夏の入り口なのだから。日も長くなり、サマータイムの導入とあいまって、夜8時過ぎまで明るい。
それでもクリスマスデコレーションには、綿の雪が乗っている。子どもたちと記念撮影に応じるサンタクロースも、おきまりの赤い長袖・長ズボンに真っ白な長いヒゲ。よく見ると滝汗をかいている。いくら湿度が20%以下とはいえ、35℃越えで長袖長ズボンは辛いだろう。真夏の空に、白い綿の雪。終わらない悪い夢を見ているようだ。
こんな季節感の逆転だけでなく、ここではいろんなことが逆さまである。まず店に入ったら、客が店員に「ハロー!」と元気よく挨拶をしなければ、半永久的に無視される。店員からの「いらっしゃいませ」を期待してはいけない。スーパーのレジでも「ハロー! 忙しそうね。今日はどんな気分?」とご機嫌を取るのは客だ。レジのお姉さんは「あ~あ、今日はさあ、忙しくってたまんないのよね」と、かったるそうに言いながら、POSを通したタマゴをかごに放り込む。「うううう、タマゴが割れる!」と思いながらも、笑顔を崩してはならない。文句を言っても、時間のロスになるだけだから。「謝罪される」なんて期待したら、一生かかっても受け取れない。上司を呼び出しても、部下をかばって、謝罪はしない。この国のサービス業従事者は全員、日本で1ヶ月研修を受けろ、そして日本人は「お客様は神様じゃない」ことを体感するために、オーストラリアに1ヶ月滞在してみろ! と心の中で毒づく。
でも、人間は全員平等、たまたま売る側・買う側にいるだけで、買う側にいるのが偉いわけじゃない、というこの国の考え方が、私は好きだ。お互い人間どうし。明日は売る側と買う側が逆になることもある。だから客は「金を払うんだから」という考えが無いし、店側も「買っていただく」という意識は無い。むしろ「売ってやっている」意識がチラチラ見える。
ここで買う側が売る側の機嫌をとる、という変な習慣が成立しているのは、この国の人達が一般に「忙しい」状況が大嫌いだからだ。忙しくても、暇でも同じ給料なら、なぜ私が忙しい目に合わなければならない?と考える人が大半。だから、忙しいと当然不機嫌になる。それを和らげるのが、買う側からのご機嫌とり、ということらしい。忙しければ忙しいほど、アドレナリンが放出されてハイになる人が多い日本と、見事に逆転している。
そして「餅は餅屋に」「職人技」ということばはここにはない。餅は餅屋に、を期待すると大変つらいことになる。例えば月に1回、会社の金庫にたまったコインを銀行で札に変える業務がある。日本だったら両替機に小銭を放り込むか、窓口に出せばものの10分でできることなのだが、ここではかなりな難題になる。窓口の長い列に並び、やっと自分の番になって銀行員に「ハロー! 今日は忙しい?」とご挨拶。そしてコインと計算式を書いた紙を渡す。紙を見るなり、銀行員Aはのたまう。「この計算式、1行目から間違ってる」「え? だって5セントが100枚なら5ドルでしょ?」といえば、素早く「違うわよ!」と言い放つA。
ここで怒ってはダメだ。ぐっと堪えて笑顔で「じゃあ、電卓で計算してみて」と促す。Aは自分のデスク周りを見回して「電卓が無いわね」と言いつつ、どっこいしょ、と電卓を取りに行く。電卓くらい準備しておけ! と心の中で叫ぶ。やっと電卓を持ち帰ったAは得意満面に、0.05✕100と押す。出た答えは5.0、つまり5ドルだ。「あら! 5ドルだわ!」「ね? 大丈夫でしょう?」「変ねえ」と言いながらAは銀行の帳票に5ドル、と書き込む。変はあなたの頭です、と思いながら次の行へ進んでもらう。10セントが40枚。私が書いた計算結果は4ドル。Aは無言で0.1✕40と電卓を叩く。出た答えは4.0、4ドル。息を飲むA。次は50セントが60枚。「30ドルでしょ?」と私が言うと、ちらりと私を見たAは電卓を叩かず、帳票に30ドル、と記載する。
この亀の歩みのような両替が終わるまで、およそ20分。その間、他の窓口でものんびりしていて、待っている人の列は全く進んでいない。私の後ろにいたお兄さんBは20分間立ちっぱなしだ。やっとAが両替をした結果の札を持ってきて、月に一度の苦行から開放される。「ありがとう。良い午後を」と言いながら窓口から離れる。ずっと待っていたお兄さんBが満面の作り笑顔でAのもとに歩みだした瞬間「疲れたわ。私には休息が必要よ」とAは言い放ち、「CLOSED」の札を窓口に置いて、ブラインドをおろした。お兄さんBは凍りついた笑顔のまま、列に戻る。がんばって、お兄さん。化石になる前にはきっと終わるから、と心の中でエールを送る。
太陽の方角も、買い物の「お客様」扱いも、銀行員の計算能力も、全てが逆さまだったオーストラリア。10年間住んで日本に戻り、寒いクリスマスとお正月を迎えると、身体と心の底から「これだ」と納得して安心する。でもあの国で身につけた「売る側にもリスペクトを」の精神は気に入って使い続けている。時々店員さんにびっくりされても。
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