メディアグランプリ

目やにを震わす決死の覚悟


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:新谷 幸菜(ライティング・ゼミ8月コース)
※この物語はフィクションです。
 
 
「最期の頼みを聞いてほしい」
その犬は目やにの付いた濁った目で、私にそう訴えた。
 
私は鳥取県内のとある中学校で養護教諭をしている。ある朝、その通勤途中で一匹の犬がじっとこちらを見ているのに気が付いた。その犬は白と黒の斑模様で、足腰は細く衰え立っているのもやっとという体だった。
「汚い犬だな……」と思っていたら、その犬が急に話しかけてきたのである。
 
「最期の頼みを聞いてほしい」
濁った目にたっぷりと目やにを浮かせ、その犬は痩せこけた足で必死に体を支え震えながら訴えた。
1年生の男子がいたずらしているのかと思い、周囲を見渡すも人影はない。恐る恐る犬を見ると、依然として震えながらまっすぐこちらを見ている。
「最期の、願いを聞いてほしいんだ」
映画の吹き替えにあるようなハードボイルドな低音ヴォイスが犬の方から聞こえてくる。私の頭が変になったか? 誰かのいたずらなのか? だが、どう見ても周りに人影はない。……この犬が本当に喋っているのか? 今まで話す犬に会ったことはないが、世の中には言葉を話す犬がいないとは限らない。
しかし万が一犬が話したとしても、その依頼を聞かないといけない理由はどこにもない。人だろうと犬だろうと、私には断る権利がある。この犬が無害なものだという保証もどこにもない。多方面に思考の網を張り巡らせた結果、答えが出た。
「ごめんなさい!! 仕事があるので!」
そう言ってくるりと犬に背を向けた。現代人は忙しい。私だって仕事があり家庭があり人生があるのだ。犬に長時間構っている暇はない。
視線を背後に感じながら私はダッシュでその場を後にした。
 
翌日、断ったとはいえ喋る犬の存在も気になりそっと見に行ってみた。……と、昨日となんら変わりない姿で犬が立っているのである。さらには彼の足元には、手を付けていないと思われるドッグフードが置かれているではないか。犬の決死の覚悟と、飼い主への申し訳なさもあり、私は再度犬に近づいた。
 
「あなたか。戻ってきてくれたんですね」
パクパクと動く口から発せられる低音ヴォイス。視線もしっかり私を捉えており、これは犬が話していると考えてもう間違いないだろう。そう思い私は腹を括った。
「……なんで、話せるんですか」
「私は長く生きた。たいがいの生き物は20年人間の中で生きると言葉を話せるようになる」
え、だったらうちの愛犬も話してくれたらよかったのに……。
「生前に人間の前で言葉を話すと、転生輪廻のタブーを犯したとして再び畜生道に落ちることになるのだ」
畜生道……聞きなれない言葉にとまどったが、なんとなく事情は掴めた。この犬は人間に転生できなくなることを承知で私に声をかけたのだ。それほどまでに叶えたい願いとは何だろう。
「私には恩返しをしたい娘がいる。私の飼い主の孫娘である前田ゆいだ。あなたが勤めている学校に通っているだろう。ショートカットの可愛い女の子だ」
確かに前田ゆいという子はいる。ショートカットではあるが、長い前髪で顔を隠している陰気な雰囲気の子だ。
「その子にもう一度、絵を描いてほしいんだ」
「絵!?」
前田ゆいさんと絵が繋がらない。
「本当に素晴らしい絵なんだ。小学校まではそれは幸せそうに絵を描いていた。しかし中学生になって、あの子はぱったりと絵を描くことをやめてしまった。あの子の素晴らしい才能を、死ぬ前に世間に見せたいんだ! あなたなら他の教員より話しやすいだろうと……」
目頭に付いた目やにまで震わせながら全身で訴える犬に、私はとうとう折れた。
「分かりましたよ! すればいいんでしょう。けど前田さんといつ話せるか分からないですよ。教室までは行かないですからね!」
やけくそで話す私。
「それでも構わない。どうか、頼みます」
そう言って足を折り感謝の意を表す犬。
「妙なことになったな……」
と、ため息とともにその場を後にした。
 
正直に言うと、時が経ち依頼はなかったことになればいいと思っていた。しかし翌日、あっさりとその機会は訪れてしまった。
「先生~お腹痛くって」
と言って保健室に入ってきたのは、なんと前田ゆいさん本人だった。
いきなりの本人の登場に動揺しながら、授業を休むと言う彼女をソファに座らせる。
「さて、どうやって絵の話を持ち出そうか……」
と、横目で彼女の様子を伺う私。
「えっと、前田さんはバレー部だよね? バレーは昔からやっているの?」
「いえ、中学校に入ってからです」
「何か昔から続けてる趣味とかあるの?」
絵と言ってくれ。
「いえ……特にないですね」
そこは絵と言ってくれ! 時間は刻一刻と過ぎていき、焦りを感じ始める。強引に本題に踏み込むことにした。
「前田さん、絵が上手なんだって?」
……え? 見ている方が驚くほど顔が険しくなる彼女。
「……絵はもう描きません」
頑なに目をそらす彼女。丁寧に話を聞いていくと、時間をかけてだがうつむきながらも、ぽつりぽつりと話し出してくれた。
 
彼女は小さいときから絵を描くことが好きだった。両親に褒められるのも嬉しかった。しかし5年前に弟が生まれ彼女の生活は一変した。両親の目は弟に注がれるようになり、彼女はだんだんに絵を描かなくなった。そしてある時決定的な出来事が起きた。
もう一度両親の愛情がほしかった彼女は、渾身の一枚を描いた。両親と彼女の家族3人の絵だった。彼女がそれを母親に見せようとした時、まだ1歳にならない弟が彼女にまとわりついた。彼女は転び、絵が破れてしまった。彼女は激怒し、弟を叩いた。母親は「なんてひどい子なの!」と言って彼女をぶった。涙に揺れる視界の中で破れた絵が漂っていた。彼女はそれ以降一切絵を描かなくなった。
 
話しきった後の保健室は沈黙に包まれていた。親の一言が子どもにとっては一生残る傷を作ることがある。彼女の痛みを受け取った私は、それでも彼女の未来のために言った。
「気持ちは分かったよ。褒めてほしかったのに、辛かったよね。……けどさ、前田さんの絵が人を幸せにすると思ったら、どうかな?」
「え……」
顔を上げる彼女。
「人が褒めるってことは、その人の心に届いてるんだよ。前田さんにはその力があるんだよ。辛かったのは分かる。けど前田さんの未来のためにも、周りの人の幸せのためにも、もう一度描いてみない?」
「……」
彼女は一点を見つめたまま動かなかった。チャイムが鳴り、彼女は保健室を出て行った。
 
数日後、文化祭があった。美術部の展示コーナーに人だかりができていたので、不思議に思い見に行ってみると、そこには中学生のレベルを越えた彼女の絵があった。
彼女は様々な色合いを用いて鳥取県の星空を描いていた。
文化祭に訪れた人は、誰もがその絵の前で足を止め、写真を撮った。
彼女の絵は異例の待遇で県の作品展に出品され、堂々の最優秀賞を獲得した。クラスで冴えない存在だった彼女は、その立ち位置を一変させたのだった。
 
さて犬については、それ以降姿を現すことはなかった。数日後、犬小屋は片づけられ、犬がいた場所には1本の絵筆が置いてあった。
彼女は彼女のために命をかけたヨボヨボの犬がいたことは知らないかもしれない。だが、今回のことで彼女の将来が大きく変わったことは間違いないだろう。
星降る夜、彼女の描いた星々の一つに彼が加わることを願い、私は秋の寒空を見上げるのだった。
 
 
 
 
***
 
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2022-11-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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