「あの日」から~東日本大震災からの12年~
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記事:あんこ(ライティング・ゼミ2月コース)
私の出身は宮城です。29歳で結婚するまでのほとんどの期間をずっと宮城で暮らしました。親戚もほとんどが宮城に住んでいます。
父は県内転勤のある仕事に就いていました。幼稚園から小学校4年生までは家族で石巻に住みました。多賀城という仙台の隣の市に新居を構えた後も、父は2度も単身赴任して石巻で仕事をしました。高校生の時には、気仙沼にも単身赴任しました。長期の休みの度に父の勤務地に遊びに行き、たくさんの美しい景色を見て、地元のおいしいものを食べ、素敵な人達に出会いました。
12年前のあの日。私は、千葉にいました。前年末に旦那が転勤になり、札幌から引っ越してきたばかりでした。仕事が休みで、隣駅のカフェでかなり遅めのお昼を食べていた時、地震に遭いました。電車が止まり、最寄り駅に帰れなくなった私。たった一駅隣なのに土地勘がなくて、帰り方がわかりませんでした。近くの人にバスで帰れることを教えてもらうも、バスが来ない。バスが来ても、道が混んで進まない。そんなこんなで1時間くらい経った頃、やっと最寄りのバス停に着きました。その時、遠くの方に千葉の製油所火災の炎が見えました。その時まで家に帰ることしか頭になかった私は、初めて強い不安感に襲われました。
アパートに着くと、近所の奥さんがガス復旧の仕方を教えていて、そこで少し立ち話をして部屋に入りました。物が棚から少し落ちていたのでそれを片付けた後、テレビを付けました。そこで目に飛び込んできたのは、津波の映像。札幌在住時によく利用した仙台空港への道の途中だったので、映像で見ている場所が明確にどこなのかわかりました。通常、津波が来るような場所ではありません。目を疑いました。信じられなかったです。まるで映画のワンシーンを見ているような、現実味のない感覚。絶句というのは、まさにあの時のことでした。
実はあの日、私の両親と弟が、仙台からのバスツアーで水戸の偕楽園に行っていました。仙台にいないのはわかっていましたが、すぐには状況がわからない状態。結局夜まで連絡が取れませんでした。仙台からのツアーだったため、乗り合わせた全員が仙台近郊の人達。旅行中止になった後、全員バスで家の近くまで送ってもらったそうです。両親達が家に着いたのは次の日3/12の夕方でした。実家は多賀城市の内陸の方。津波の直接的被害はありませんでしたが、ほんの1キロメートル先まで、津波は到達していました。真っ暗な夜空に仙台港の火災の炎が不気味に光っていた光景が忘れられないと言っていました。
旦那は、メールでのやりとりはできたものの、仕事場から次の日の朝まで帰ってこられませんでした。
引っ越したばかりで、周りに友達がいなかった私は、あの夜、1人居間で余震に震えつつ、各地の津波の映像や気仙沼の火災の映像など、様々な映像や情報を見て泣きながら、一晩を過ごしました。
震災後、初めて宮城に帰ったのは、約一ヶ月後の4月の上旬。電気が復旧し、仙台駅から最寄り駅まで電車が通ったということで、実家に帰ることになりました。新幹線がまだ止まっていたので、夜行バスで仙台へ行きました。しかしその夜、夜行バスの中でけたたましく緊急地震速報が鳴り響きました。3/11以降最大の余震でした。仙台に着くと再び停電となっていて、電車は止まっており、私は仙台駅からバスを使い、何とか実家にたどり着きました。実家は、水道は復旧していたものの、ガスが止まっていて(結局GW明けまで止まっていました)、卓上ガスコンロで調理をしていました。その日の夜、暗い夜にすっかり慣れていた両親とは対照的に、暗さと揺れで、私はなかなか寝付けませんでした。次の日、停電状態のスーパーに両親と買い物に行くことに。店員さんもお客さんも手慣れていて、「ああ、この人達は一ヶ月もこの状態でここに生きているのだ」と、すごく複雑な想いを抱いたのでした。
震災から1年後、実家に帰った時に、海沿いに行くことになりました。叔母が、仙台港近くの蒲生という地区に住んでいました。叔母の家族は無事だったものの、家が流されたと聞いていたのですが……。叔母の家があった場所に行ってみると、衝撃の光景が。震災前までたくさんの家々があったのに、そこには、家々のコンクリートの基礎だけが広がっていました。頭が追いつきませんでした。
それ以降帰省する度、以前の風景と違う光景をたくさん目にしてきました。変わりゆく街の様子も見てきました。震災から数年後、旦那と石巻や南三陸、気仙沼にも行きました。石巻では、小学校4年まで住んでいた場所も見に行きました。アパートは頑丈な鉄筋作りだったので建物は残っていましたが、津波で窓が壊れてしまったせいか、ベニヤ板で囲われていました。アパートの近くには、まだ残骸が残っていたのでした。
震災から10年が経った頃、たまたま私だけが帰省したタイミングで、両親と3人で石巻に行きました。父は震災後、その時まで石巻を訪れていませんでした。きっと、変わってしまった石巻の姿を見たくなかったのだと思います。私達が住んでいたアパートに行こうとした時、私達3人に衝撃が走りました。住んでいたアパートどころか、住んでいた地域の区画が整備され、道路も変わり、どこにアパートがあったのかすら、わからなくなっていました。唯一、私達が住んでいたアパートの近くにあった神社だけがそこにありました。面影がなくなってしまったものの中に、変わらないものがあることに、少しほっとしたのでした。
あの日、津波によって何もかもが壊されてしまった故郷。そこから立ち上がるために必死に生きてきた人々。そして、復興という名の下で変わっていく風景。そんな故郷を純粋に応援したい気持ちだけでなく、ちょっぴり寂しさを抱えた私がいます。現在東京に住む私が、東北のために何かできていたのかを考えた時、本当はもっとできることがあったはずなのにと思うことの方が多いです。しかし、「じゃあ何ができたのか?」を考えると、たいしたことが浮かびません。
そんな想いを抱えたまま、2023年の「あの日」は、今年もやってきます。
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