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メディアグランプリ

部屋と天才と私


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:高瀬敬子(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
「大事な話がある」
 
留学先のハンガリーの空港に到着すると、約束通り迎えにきてくれた部屋の大家になるカタリンが言った。こちらは飛行機を乗り継ぎ12時間の長旅と、これからの留学生活への不安や緊張ですでに疲労困憊であったのですぐにでも部屋に入って休みたかった。大事な話とは? 嫌な予感がした。
 
「あなたが契約した部屋には今他の人が住んでいる」
 
は?
 
7月に期限ギリギリ、大騒ぎで日本の銀行からカタリン指定のハンガリーの口座へ確かにデポジットを送金した。控えもある。今は9月。それまで部屋については何も連絡がなかったのになぜ今ハンガリーに到着してからそれを言うのか。
 
私はいきなりホームレス?
これからホテルを探す?
しばらくホテル滞在になるの?
 
カタリンは、「別の部屋を用意した」と言う。もう日本ではあり得ない予想外すぎる展開にびっくりしすぎて、「え、あ、はい……」としか言えず、とりあえずカタリンに従うしか選択肢はなかった。一体どこに行くのか。
 
ハンガリーの首都ブダペストのど真ん中にある美しいゴシック建築のオペラハウスの真裏のお部屋を契約したはずだったのに、連れて行かれたのはそこからトラムで3駅ほど、さらに徒歩で5〜6分離れた薄暗いアパートの2階の部屋だった。後でわかるがハンガリーの建物はだいたい薄暗いのでこれは普通なのだが、その時は不安しかなかった。
 
案内された部屋は日本で言うと広めの1K、バストイレ別、バスタブありで悪くはなかった。家具も調理器具も食器も備わっている。電子レンジの上に電気コンロが二つくっついている見たことのない機械があった。カタリンは、部屋の変更により契約書を作り直す必要があるので後日オフィスに来いと言う。
 
何が何だかわからないまま、その日は寝るしかなかった。とにかくいきなり異国の洗礼を受けた気分であった。
 
さてカタリンに言われた通り、契約書再作成に行った。彼女のオフィスは最初に契約していたはずのオペラ座裏の物件のそば、古びた建物(ハンガリーの建物はだいたい古びている)の1階にある。ところが着いてもまずドアの呼び鈴の鳴らし方がわからない。途方に暮れていたら通りすがりの工事現場で働いているようなコワモテのおじさんが助けてくれた。異国にいるとちょっとした親切が泣けるほど嬉しい。
 
ブダペストの建物は石造りで、中庭があり吹き抜けになっていて、部屋がその周りにぐるっと配置されている構造が多いように思う。カタリンのオフィスのある建物もそんな感じで中庭には色々なお花や植物が植えてあり、緑が目を和ませた。
 
オフィスに入ると古くて埃っぽい建物の外観とは印象が異なり、小ざっぱりした綺麗な部屋だった。大きなピカピカの木製のデスク、後ろには本棚。壁にはキャビネット。奥には小さなキッチンもあるようだ。カタリンが契約書を準備する間座ってぼーっとしていたら、呼び鈴が鳴った。
 
入ってきたのは日本人の青年だった。少年、と言っても良いくらいの風貌だ。黒髪、眼鏡でひょろっとして身長は160cmくらいだったか。
 
「こんにちは」
 
この歳になると若者と接するのに気後れするが、彼はアラフォーおばちゃんの私にもきちんと挨拶をしてくれて、礼儀正しい好青年であった。彼もカタリンの管理するお部屋に住んでおり、家賃を払いにきたと言う。話を聞くとなんと東京藝術大学のピアノ科に現役で入り、卒業して今はハンガリーの名門リスト音楽院に留学しているというとんでもない才能の持ち主だった。未来のピアニストである。
 
私は楽器奏者に憧れる。外を歩いていてバイオリンを背負った人を見たりするとかっこいいなと思う。これまでピアノ、三味線、クラリネットなど様々な楽器に手を出したがどれも続かなかった。家で練習しないからだ。
自分がバレエをずっと続けてこられたのは家で練習する必要がないからだと思う。
 
彼にそれを言ってみた。藝大生なんて一日8時間くらい練習するはずである。練習そのものが好きか、苦にならない人たちだ。
ところが彼は「僕も練習嫌いです」と言う。「8時間なんて無理ですよー。ははは」と笑う。
……本物の天才か……。
この天才は本当に良い子で、留学生活について色々お話をしてくれた。
 
カタリンが新しい契約書を出してきた。契約書にはカタリン、私、そしてもう一人保証人として第三者の署名がいる。日本から契約したはずの部屋は自分の家族に保証人になってもらったが、ハンガリーに身内はいない。着いたばかりで知り合いもいない。留学先の学校に留学生を世話する担当者がいるのでその人ににお願いする、と告げると、
「あなた名前書いて」
なんとカタリンは藝大出身の彼に私の部屋の保証人になるように言ったのだった。
今さっき会ったばかりの人に保証人になってもらうって適当すぎるでしょ……。
藝大卒の彼はこのハンガリーのカルチャーとカタリンにすっかり慣れているのか、特に動揺することもなく、ハイハイと名前を書いてくれた。大丈夫か。
しかしありがたいのは事実。こうして私は見知らぬ天才ピアニスト(仮)の名前が入った契約書で新しい部屋を契約したのだった。
 
留学先の学校生活が始まる前につまづいてどうしようと思ったがとりあえず正式に住む場所が確保されたことには安堵した。ここから数ヶ月後にキッチンの床に下の階の光が見えるほどでかい穴を開けられ、その穴と共に約一ヶ月暮らし、色々あって最終的には日本大使館に相談に行くという展開が待っているのだがこの時点では知る由もない。
 
ところで彼はピアニストになったのだろうか。
 
 
 
 
***
 
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2023-05-31 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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