メディアグランプリ

大嫌いな人と過ごした、坂の上にある家


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記事:レモネード(ライティング・ゼミ12月コース)
 
 
ずっと避けてきた話題がある。
決して、秘密にしていたわけではない。
だがきっと私は、話の途中で余計なことまで思い出して、言葉を詰まらせてしまう。そんな話だ。
 
私が小学2年生の頃、父は坂の上に家を建てた。これ見よがしに大きな窓。ピカピカのグランドピアノ。リビングルームだけで5つもあるルームフレグランス。夜景が見えるベランダ。父はそういうものが好きだった。
 
私の家は、ずいぶんと入り組んだ急な坂を、15分ほど登ったところにあった。コンビニに行くにもスーパーに行くにも、とにかくこの坂を登り降りしなければいけなかった。
 
ありがたいことに、学校までは私たち兄妹を母が送り迎えしてくれていた。だが、下校時間をお互いに勘違いしてしまうと、かなり面倒なことになった。
 
「お母さん、なんで来ないんだろう。とにかく連絡しなきゃ。でも小銭を使い切ってしまったから、公衆電話は使えない」
 
校門前に立ちつづけること1時間。前を通り過ぎていく上級生たちの視線が「何してるんや、この子」と言いたげで、いちいち胸に刺さる。友だちと仲良く帰る同年代が羨ましい。この間までは幼馴染と一緒に帰っていたのに、もうひとりぼっちだ。
 
やっぱり、歩いて帰るしかないか。そうと決まれば、急がなければ。車で迎えに来た母と入れ違いになって、習い事に間に合わない。
 
1時間ほどかかる家路を急いだ。平坦な道をひたすら歩いたら、その後はぐねぐねした激坂が待ち受ける。
 
のし、のし、のし。
気を抜けば転がり落ちそうな坂を、歯を食いしばって登っていく。途中、パラパラと降ってきた雨がどんどん強くなる。こんな日に限って傘を持っていない。むしゃくしゃして涙が込み上げてくる。
 
なんで父は、こんな厄介なところに家なんか建てたんだろう。そんなことを呟いていたら、キャンピングカーのある洋風の豪邸が見えてきた。そして、みかん畑を横目に進んだら突き当たりを曲がる。ラストスパートは、もっと急な坂道が立ちはだかる。
 
「おかあさん」
 
やっとのことで玄関を開けると、ずぶ濡れで立ち尽くす私に気付いた母が、あんぐりと口を開けていた。
 
こんなに広い家に住んでいるのだから、私の家庭はきっと裕福なんだろう。小さい頃から、そう思い込んでいた。いつからだろう。それが完全な誤解だったことに気がついたのは。父は必死に「裕福な家庭」を演じているだけで、実際のところ、全く余裕などなかったのだ。
 
良い家。良い車。良い妻。父にとって一番大事なのは、ステータスだ。だから特に何の才能もない私たち兄妹は、父のステータスにもなりきれない、ただの邪魔者だ。ずっとそう思っていたし、別にそれでも構わないと思っていた。
 
実の父に対して「よく同じ家にいる母の恋人」という感覚にしかなれなかった。「お父さん」と呼ぶたびに、ちょっとした違和感がふわっと湧き上がった。
 
不便な場所だったけれど、私はこの家が好きだった。夜になると大きな窓から「あそこらへんがAちゃんの家かな。今頃何してるのかな」と街を見下ろした。家の前には桜並木があり、春になると玄関前がピンクの花びらで埋まった。リビングの吹き抜けを通じて、母の弾くピアノの音が2階の私たちの部屋まで響いた。
 
この家が私にとっての「実家」になるんだ。だから私は、20歳になっても30歳になっても、この家に帰ってくるだろう。将来は祖父母も一緒に住んだり、結婚して自分の子どもがこの家に来ることだってあるかもしれない。そんなことを想像していた。
 
「あたし、お父さんと離れようと思う」
 
小学4年生のある日のこと。キッチンに立つ母がなんの前触れもなく口にしたのは、衝撃のひと言だった。時が止まったように、体が動かなくなる。そっか、私が聞き間違えたのかと思って、笑ってみせる。表情とは裏腹に、心臓がどくどくと音を立てていて、少し気持ち悪い。母がポツリポツリと話し始めたのは、10歳の頭には少し難しすぎる内容だった。すごく分かるような、全く分からないような、そんな話だった。
 
「泣いてもいいよ」
 
私は引きつった顔でずっと笑っていた。テレビの音がやけにうるさい。きっとすごく悩んで決断したのだろうから「おめでとう」と言おうと思った。しかし、いろんな気持ちが渦を巻いて、何も言えなかった。
 
それから、私たち家族はバラバラになった。兄と母は二度と父と顔を合わせなくなり、私は母と二人でワンルームのマンションで暮らし始めた。家の広さもテーブルも布団も、あらゆるものが一気に小さくなった。
 
それなのに父は、何かと私に電話をかけてきた。学費は大丈夫なのか。暮らしは大変じゃないのか。何か困りごとがあったら言ってほしい。話題はそんなことばかりだった。余裕なんてないくせに、そんな調子の良いことを言ってくる父が許せなかった。
 
私が社会人になると、毎週のようにメッセージが届くようになった。私の誕生日さえ、覚えられないような人だ。私の運動会や発表会にも、関心を持たなかった人だ。どうせすぐに私のことなんて忘れる。そう思っていたのに「今週はどうだったか」「元気にやっているか」と、いつまで経っても同じようなことを聞いてきた。
 
ひとりになって寂しいだけかもしれないし、そんなものが愛情と呼べるのかは分からない。だが私は、初めて親子になれた気がした。
 
そして、これまで蓋をしてきた思い出が、ふわふわと浮かんでくるようになった。
 
初めてあの家に足を踏み入れた時のわくわく。母の弾くピアノでカラオケ大会をした日。家族みんなでひたすら草むしりをした日曜日の朝。
 
それらが思い出せるようになって初めて、「自分は父に愛されたかったんだ」ということが分かった。
 
もう私たちは、二度と4人家族には戻れないだろう。だが私は、今でも「実家は?」と聞かれると、4人で暮らしたあの家が浮かんでくる。
 
つらい思い出も楽しい思い出もたくさんくれた、あの家が。
 
 
 
 
***
 
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2023-12-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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