高3男子、「好き」まみれ。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:由紀 みなと(ライティング・ゼミ7月コース)
「ねえ、これってどう思う?」
高校3年生の息子は、AIに聞けば一瞬で答えが返ってくる時代に、なぜか母親を壁打ち相手に選ぶ。
母の頭の中にはChatGPTほどの情報も、Copilotほどの演算力もない。
けれど、沈黙と相づちだけはけっこう得意だ。
一貫校に通っている息子には、大学受験がない。
だからなのかどうか「これを知りたい」「行ってみたい」という興味のアンテナを常に全開にして、街や自然や人との出会いから、いつも何かを学んでいるように見える。
そんな息子を見ていて、ふと思う。
この子は、意識せずリベラルアーツを生きているのかもしれない。
「リベラルアーツ」とは、資格試験のように即効性のある知識ではなく、じわじわ効く「人生のビタミン剤」みたいなものだ。
もともとは「自由な人のための学び」という意味を持つ。
人が偏見や常識の檻から抜け出すための教養だとも言える。
たとえば、
「男は外で働き、女は家を守る」
「偏差値の高い大学に行けば幸せになれる」といった、
そんな「おかしな常識」を疑う力が、リベラルアーツの本質なのだ。
それは、知識を詰め込むことではなく、
得た知識をどう考え、どう使うかという「知識×思考」のかけ算だ。
料理にたとえると分かりやすい。
「知識は食材、思考は調理法」。
両方がそろって初めて「おいしい人生」ができあがるのだ。
息子を見ていると、この「知識×思考=教養」という式を、
まるで体で覚えているように思える。
幼い頃から、息子はハリー・ポッターにどハマりしていた。
魔法使いになる可能性を本気で信じ、困った時には「エクスペクト・パトローナム(守護霊よ来たれ)」や、口うるさい母親には「アレスト・モメンタム(止まれ)」とこっそり呪文を唱えていた。
やがて私たちは世界のユニバーサル・スタジオを巡ることになる。
シンガポール、フロリダ、カリフォルニア、北京。
どこへ行っても、息子はマイ・杖を振り回して呪文を繰り出していた。
親は旅費を見て軽くめまいを起こしたが、息子を見習い「モノヨリ・オモイーデ(モノより思い出)」と呪文を唱え続けていた。
旅といえば、ウルル(エアーズロック)に登ったときもだ。
登山が中止になる直前の年だった。
登る意味を親子で確認し、厳粛な気持ちで歩き、世界の中心の風を感じた。
赤い岩肌に立ち、息子はアボリジニーの人たちの聖地を全身で受け止めていた。
同じ頃、私は歌舞伎に夢中だったので、
息子が小学生になるのを待って、建て替え前の歌舞伎座へ連れて行った。
三階桟敷席から見下ろす舞台。
太鼓が鳴り、笛が響き、役者の声が客席に響く。
息子は、まるで「バグった人形」みたいに身を乗り出したまま固まっていた。
でも、音と色と人と場の気配が息子の中にストンと落ちたと感じた。
言語や文化を越えて肌で感じた経験。
それが、リベラルアーツの核である「多様性を知る力」につながっていったと思う。
こんな風にして、小学6年生までの息子は、親が用意したレールの上を、楽しそうに走っていた。
だが、息子が中学1年の春、コロナ禍となり
街は静まり返り、美術館も劇場も閉まった。
学校の授業はすべてオンライン。
息子はパソコンの画面を見つめながら、無言でノートをとっていた。
私は不安だった。
「この子、Wi-Fiより人とのつながりが切れてないか?」
でもその心配は杞憂に終わる。
息子はひとり自転車に乗って出かけ、本を読み、空を眺める日々の中で、
自分の中で「考える時間」を楽しんでいた。
やがて、外の世界が少しずつ動き出したとき、
息子はこう言い始めた。
「今日、展覧会行ってくる」
「来週、ライブ行っていい?」
親が誘うのではなく、息子自身が選ぶようになった。
舞台、美術館、ライブ、ロックフェス。
時に、私の知らないアーティストの名前が飛び出す。
「スタンプじゃなくて、ストンプだよ」と息子の添削が入ったのは記憶に新しい。
息子はAIのおすすめではなく、自分の「感覚」を頼りに世界を見つけていく。
それはまさに、「偏見を疑い、自分の問いを立てる」リベラルアーツそのものだった。
高3の夏休み、息子は一人で広島を訪れた。
修学旅行ではない。完全にソロ旅だ。
原爆資料館を見学して帰ってきたとき、
息子は珍しく無言だった。
「どうだった?」と聞こうとして、私は口を閉じた。
息子の沈黙には、言葉より深いものがあった。
それはきっと、「知識」ではなく「思考」の時間。
「考える力を持った先人を真似る」ことがリベラルアーツの始まりだとすれば、
息子は自分の中に「問いを持つ人間」としての第一歩を刻んだのだと思う。
そして今。
高3の秋。
朝、駅まで一緒に歩く途中で、ふいに声をかけてくる。
「ねえ、これってどう思う?」
たぶん、AIに聞けば正解らしき答えはすぐに出る。
だが息子は、母に聞く。
正解よりも「考え方」を求めているのかもしれない。
私はいつも即答しない(できない。というのが本音)。
「どう思う?」と聞き返してみる。
すると、少し沈黙のあとに、息子は決まってぽつりとつぶやく。
「なんかさ、人によって違うんだね」
その瞬間、私は思う。
ああ、この子は自由だ。
大学受験のない高校3年生。
自由すぎる時間を、息子は自分なりの学びに使っている。
図書館もライブハウスも美術館も、すべてが息子の「教室」だ。
私はただ、息子の背中を見送る。
そしてときどき、「ねえ、これってどう思う?」と声をかけられる。
AIでもなく、親でもなく、「考える相手」として選ばれる。
そのたびに、私はちょっと誇らしい。
息子の毎日は「好き」まみれだ。
考えることに時間をかけ、感じることを怖れない。
それこそが、息子なりのリベラルアーツなのだと思う。
そして、母である私もまた、息子に引っぱられて
「おかしな常識」を一枚ずつ脱ぎ捨てている。
その証拠に「正解を出すのが母の役目」と思っていたのが、
息子に「ときどきハズレるお母さんの返しが面白い」と言われて
いまではわざと半歩ズラして答えるのが、私の小さな楽しみになっている。
唱える呪文は「ママラルアーツ・ハズレール」だ。
気づいたことをひとつだけ。
「高3男子、リベラルアーツ沼で好きまみれ」
≪終わり≫
***
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ
■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム
■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
■天狼院書店「天狼院カフェSHIBUYA」
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-20-10 RAYARD MIYASHITA PARK South 3F
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00
■天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
■天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜20:00■天狼院書店「名古屋天狼院」
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先 レイヤードヒサヤオオドオリパーク(ZONE1)
TEL:052-211-9791/FAX:052-211-9792
営業時間:10:00〜20:00■天狼院書店「湘南天狼院」
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸2-18-17 ENOTOKI 2F
TEL:0466-52-7387
営業時間:
平日(木曜定休日) 10:00〜18:00/土日祝 10:00~19:00







