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姑がボケた


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記事:猪口一世 (ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
ある日、83歳の一人暮らしの姑から電話がかかってきた。
「指輪がなくなったの」
家の中でなくなったというので、どこかにしまい込んでわからなくなったんじゃないのと言うと「まあ、私がボケたとでも言うの?」
少し甲高い声がツンときて、スマホを耳からいったん離した。
 
姑は定年まで長く働いていたせいか、頭も切れるし何より体力もある。
見た目も若く、とても83歳には見えない。
嫁の私が知る限り、大きな病気をしたこともないのだが、それだと大切にしてもらえないと思うのか、時々電話をしてきては「最近少し体調が悪くてね」と弱々しい声で呟く。
 
「しばらくうちに泊まりにくる?」と言うと、返事も終わらないうちに電話を切ると
ものの1時間ほどで、どうやって抱えてきた? と思うほど山のような食料品を抱えて
インターホンを鳴らす。
 
姑は嬉しそうに、持ってきた袋の中に手を入れると「このメロンは高かった、これはお隣さんから頂いたとうもろこし、そしてこれは……」
 
「お義母さん、具合悪かったんじゃないの?」と言うと、そうだったと思い出したようにゴホンゴホンと咳をする。
 
姑は通称SB、スーパーばあちゃん。
バスに遅れそうになるとダッシュで走るし、先日も一人で新幹線に乗り大阪の親戚の家に遊びに行ったばかり。
 
まさか、そんな姑がボケるはずがないと、私もたかをくくっていたのだが、
 
「指輪がなくなった」と言ってきた電話の数日後、今度は、
「こんなことを言いたくはないんだけど、大ちゃんが指輪を盗んだんじゃないかと思うのよ」と言ってきた。
 
大ちゃんとは自分の孫、つまりは私の息子のこと。
指輪がないと騒いでいた時期を同じくして、たまたま祖母宅に立ち寄ったらしい。
わざわざ顔を出したにも関わらず、泥棒扱いされた息子も面白いはずがなく、しかしいつもの祖母とは少し様子が違うことに嫌な予感がしたという。
 
認知症の初期症状に、物がなくなったと言い出し、身近にいた人を疑いだすと聞いたことがある。
 
もしかして? 予感は的中した。今度は預金通帳がなくなったと言い出した。
本当になくなったのかそれとも認知症の症状なのか、素人である私にわかるはずもなく
途方にくれた。
 
何よりもあんなに元気でどうでもいいことをいつまでも覚えていて、チラチラ嫌味も言ってくる、小憎らしいけど利発だったスーパーばあちゃんが……
病気で入院していたわけでもない、寝込んで弱っていたわけでもない。
 
これはきっと事件だ。本当に指輪も通帳もなくなったに違いない。
 
「警察に電話しよう。空き巣が入ったかもしれない」
そう言うと、
姑は何食わぬ顔をして「うちの家に傷がつかないかねえ」
まだ自分の孫を犯人だと信じている。
 
その後も、庭に置いていたスコップがなくなった、
他の指輪を隠していたのにそれもなくなった。
毎日、毎日、物がなくなる。
 
事実はない。
 
「お義母さん、以前、私にプレゼントしてくれた指輪は覚えてる?」
 
「覚えているわ。ダイヤの指輪」
 
「違う、アメジストよ」
 
「オパールの周りにダイヤを埋め込んだ指輪だったかしら」
 
本当に姑がボケた?
 
それから、平和だった我が家に大波が押し寄せてきたように様々な問題が起きた。
私の実母に、一日に何度も同じ内容の電話をかける。
話し方や言葉遣いはいつもと同じ。
どう対処したらいいのかもわからない実母は、毎日かかってくる電話がストレスになり、過呼吸を起こしてついに寝込んでしまった。
 
 
「病院へ連れて行こう」
 
私と息子が何度言っても、夫は断固として信じなかった。
いや、認めることが怖かったのだ。
「きっと何かの勘違いだよ。母さんがボケるわけがない。あいつがどっかに置いたんじゃないか?」
夫は自分の母を信じ、息子の勘違いを疑った。
 
「あの子がおばあちゃんの指輪をどうするって言うの? 疑われても文句一つ言わず、おばあちゃんの心配をしているわ」
私は自分の息子を信じ、姑の認知症を疑った。
 
夫は自分の母を信じ、私は自分の息子を信じた。
 
病院で診断が出るまで、私たち夫婦は同じ会話を何度となく繰り返した。
 
そして、今ようやく夫は現実に目を向け、重い腰を上げて動き出した。
 
大丈夫、大したことはない。
指輪がなくなったというだけのこと、頭が少し風邪をひいて本来の調子が出ないだけ。
姑が認知症だろうがなんだろうが、そのことで困ったという事実を作ることのないように、
家族でサポートしていけばいいだけのこと。
そのことで誰も困らなければいいだけだ。
そしてこれ以上、姑に寂しい思いをさせないことを考えていこう。
 
今回のことは、家族にとって少なからずショックな出来事だったけど、色んなことを考えさせられた。
そして、これまで私の中でぼんやりとしていたものが、確信めいたのも事実だ。
 
それは、家族の究極のつながりとは「母と息子」しかないのではないか、ということ。
息子にとって母が一番、母にとっても息子が一番。誰も割っては入れない信頼関係。
そりゃ、嫁いびりの一つくらいしたくなるよね。
 
「指輪がなくなったのよね」
今日もまた同じことを繰り返す母に、夫は新しい指輪を買ってあげたのだった。

 
 
***

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2018-06-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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