メディアグランプリ

ありがとうは、あの紙吹雪のように


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:緒方愛実(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「ありがとうー!」
 
観客席のあちらこちらから、声が上がる。
その声を受けて、お互いの手をしっかりと握ったまま一列に並んで、キャストさんたちがさらに深く深く頭を私たちに下げた。
この千秋楽が終われば、このカンパニーは解散になる。このキャストさんたちが一堂に揃う舞台演目を見ることができるのは今日が最後になる。キャストさんも観客も、涙で顔がぐしゃぐしゃだった。
ひらりひらりと劇場内に紙吹雪が舞い散る。舞台に、観客席に、桜の花びらの様に積もるそれはまるで、私たちの言の葉のようだった。
私はそっと目を閉じ、祖母のことを思った。
 
「おばあちゃん、ガンだった。ステージ4だって……」
 
4年前の夜、そう母が車内で呟いた。前を向いたまま、私の隣でハンドルを握る母の表情はわからない。いや、怖くて見ることができなかった。母の言葉は、まるで劇のセリフのようで、現実味がない。
下腹部に痛みがある、そう祖母は数日前から訴えていた。随分前から定期的に、近所の小さな病院に高血圧の薬をもらいに通っていたし、もうすぐ88歳とは思えないくらいに元気な祖母。町医者も、私たちも膀胱炎か何かだろうと思っていた。
 
なのに、
末期の大腸ガン。
いつ、何が起こるかわからない。
 
ポツリポツリと語る母の言葉が、頭の中で反響する。じわじわと現実味を帯び始める。
勝手に足がガクガクと震えて、力が入らない。
世界の底が抜けてしまった、胸に広がる絶望に私は本気でそう思った。
 
「おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
 
居間のふすまを開けると、いつもの様に祖母がテレビを見ている。
何かもっと言いたいことがあるはずなのに、私はそれだけを言うのが精一杯だった。
 
自室に戻ると両目から大粒の涙があふれる。私は崩れ落ちるようにその場にうずくまった。
私たち孫が成人した今も誕生日をいつも欠かさず祝ってくれて、みんなが集まれば得意なかしわご飯を作ってくれる料理上手な祖母。つげの木で作られた櫛を、祖母の大切な物を隠すという、悪い悪戯をした幼少の私を許してくれたやさしい祖母。
みんなが安心して集うあたたかな場所。枝葉を広げる大木のように、私たちを守り支えてくれる、大事な心のよりどころ。
たくさんの愛情をくれた、大切な大切なたった一人のおばあちゃん。
 
そのおばあちゃんにもしかしたら、明日会えないかもしれない。
いつまで?
いつまでこの日常を続けられる?
言葉を交わせるのはあと何回?
私、おばあちゃんにもらった分返せてた?
 
ハッとした。泣いてる時間なんてない。
メソメソするのは今晩限り。
赤くなった目を乱暴にぬぐって私は立ち上がった。
今度は私の番だ。
 
祖母自身に、ガンであることは知らせなかった。
入院はせず、自宅療養を。定期健診は必ず訪れると、母たちは主治医と約束をした。
「もしもの時は、延命治療しなくていい。家で静かに過ごしたい」
随分昔、祖母はそう話していた。だから、私たちは祖母の日常を守ることに決めた。
 
私たちは日常に、祖母へのありがとうを散りばめた。
いつものあいさつを丁寧に。今日あった楽しいことを毎晩話した。
祖父の十七回忌と正月、遠方に住むいとこたちが駆けつけてくれた。祖母を囲んで思い出話に花を咲かせた。
いつも留守番をして家を守ってくれてばかりの祖母。お花見や紅葉狩りに一緒に行った。
「きれいかね」
祖母は目を細めて笑っていた。
本当は、祖母は自分がガンであると気がついていた、と思う。でも、私たちのことを思い知らない振りを貫き通してくれていた。
焼き付けるように、舞い散る桜の花びらを見つめる祖母。その憂いを帯びたあの横顔が忘れられない。
みんなが集まる度、私はシャッターを切った。思い出を、祖母がいた証を、私もまた焼き付けて残したかったから。
ガン宣告をされて一年が過ぎた。祖母のシャンとした姿は主治医も驚くほぼだった。しかし、静かに確実にその時は迫っていた。
次第に食事をとることも、起き上がることも困難になり、ホスピスに入院した祖母。
みんなで代わる代わるお見舞いに行った。叔母は毎週往復四時間かけて通ってくれた。近所の方もお見舞いに駆けつけてくれた。
 
そして、祖母はそっと静かに、眠るように旅立って行った。
あの日から一年半後の、春の早朝のことだった。
 
お通夜、葬式と、本当に多くの方が参列してくれた。遠方の親戚、祖母の友人、近所のみなさんが、祖母に会いに来てくれた。私が撮った写真たちを兄がタブレットで映し出してくれた。それを眺めながらみなさんが、思い出話を語って聞かせてくれた。
「たくさんしてくれてありがとうって、入院中言ってたのよお母さん」
叔母がそっと教えてくれた。
あぁ、ちゃんとおばあちゃんに届いていた。
押しつけになっていなかっただろうかと、心配だったけれど。
祭壇に飾られた祖母の笑顔の写真を見上げながら、私は涙をぬぐった。
おだやかな悲しみと、祖母へのありがとうが、式場にあふれていた。
 
ひらり、ふわりと舞って降り積もる紙吹雪。
桜の花びらの様に劇場を白く染めるそれは、私たちの気持ちを代弁してくれているよう。
ありがとう、大好きです、あふれる思いが詰まっている。
出し惜しみしてはいけない。
伝えられる今だからこそ、ありったけの感謝を込めて。
 
「ありがとうー!」
涙でぐしゃぐしゃの顔を笑顔に変えて、私もまた舞台にありったけの声で叫んだ。
 
当たり前に忙しなく過ぎていく日常。
ルーティーンを繰り返していると次第に、色々なことがぼやけて来てしまう。
でも、本当に明日は、今日と同じだろうか?
あなたが当たり前と思っている日々は、明日もやって来るだろうか?
 
もしかしたら、あなたの大切な人は明日いないかもしれない。
もしかしたら、明日あなたがいなくなるのかもしれない。
もしかしたら、当たり前に過ぎていった昨日は、掛け替えのない時間だったかもしれない。
あなたが大切な人と過ごすいつもは、当たり前ではないから。
 
突然感謝を伝えるのは照れ臭いかもしれない。
そんな時は、いつもの言葉に込めてみるといい。
「おはよう」「行ってきます」「お疲れ様」「ごちそうさま」
まずは簡単なあいさつから。
すると、今まできちんと相手のことを見ていなかった日々に気づく。
あなたも想像してみて。ありがとう、と大切な人に言われた時のことを。
ほら、ほんわりと胸があたたかくなるはず。
 
どうか、ありがとうを出し惜しみしないで。
時にはあふれる思いを叫んだっていい。
特別なことをしなくてもいいから。
降り積もるように、丁寧に日々を、言葉を、心を大切な人と重ねて。
 
劇場をふわりと白く染める、カーテンコールのあの紙吹雪のように。
 
 
 
 

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2019-07-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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