片寄った弁当箱の中身を元の位置に戻すクレーム処理
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:榊原豊晴(ライティング・ゼミ日曜コース)
「男性のお客様が怒鳴っています! 早く来てください!」
顔を真っ青にした女性スタッフが、事務所の扉を勢いよく開けながら、走りこんできた。
「ああ、またか……」
ため息交じりにボソッと呟きながら、口元がゆるむ自分に気づく。
「男性のお客様には男性が対応した方が良いと思うので」
毎度、お決まりのセリフで幕が開く。
「女性のお客様の時も呼ぶよね?」
とは決して言わない。なぜなら、言ったら呼ばれなくなってしまう。
何を隠そう、クレーム処理が大好きなのだ。
高校生の頃、持っていった弁当箱を開けるのが、学校での唯一の楽しみだった。
毎日、全力疾走で自転車をこぎ、自転車置き場から教室まで、大きく揺れるカバンを抱きかかえながら、遅刻ギリギリ滑り込みセーフで走り込む。
午前中は、つまらない授業を聞かず、「赤毛のアン」に出てくる主人公、アン・シャーリーのように空想をし、好きな演劇の戯曲を読みながら過ごす。
そうこうしているうちに、ついに、お昼のチャイムが鳴る。
ついに、あの弁当箱を開ける時間が来たのだ。
丁寧にナプキンで包まれた包みをほどき、そのままランチョンマットにする。
上に乗っている箸箱を横に置き、恐る恐る弁当箱の蓋を開ける。
「おお! 寄っている!」
登校するときに、全力疾走をした甲斐があって、弁当の中身が振られて、全体的に寄っているのだ。
丁寧に詰められていたであろう、ブロッコリーとレタス、玉子焼きや油で固まった焼肉が満員電車のようにギュッと詰められている。
それを一つ一つ、箸で丁寧に定位置へ戻していく。
特にご飯は難関だ。ご飯は冷めて固くなっているだけではなく、のり弁が二重になっているので簡単にはほぐれない。それを箸で少しずつほぐしながら、戻していくのだ。
その作業を10分くらいかけた後、5分以内で完食するのが、月曜日から金曜日にかけて、毎日の日課となっていた。
物心ついた頃から、「定位置に戻す」というのが大好きでたまらなくなっていた。
クレーム処理も同じだ。
お客様が、何らかのきっかけで、お店の出来事によって心の中が振り乱され、心の中のおかずやご飯がバラバラになっているようなものだ。
その時の弁当箱といったら、烈火のごとく激アツだ。
特に今回のクレームは、店員の対応の悪さだったので言い逃れもできない。
「こっちはレジでずっと並んで待ってんのに、店員と客でずっと世間話しやがってよー!」
怒鳴っていて恐怖も感じるが、しっかり話を聴けば、確かにこちら側が悪いことは確かだ。
「さて、目の前で怒鳴っている激アツな弁当箱を冷まして、どうやって定位置に戻して行こうか……」
決して心の声は口から漏らしてはならない。お客様の弁当の汁を少しでも漏らしてしまったら大惨事だ。いかに、お互いの汁を漏らさずに、綺麗に並べるかが腕の見せどころだ。
まずは、激アツな弁当箱に直接触れてはならない。怒鳴っているお客様は、たいてい、こちらから「なぜ、お怒りになっているのか?」などと聴かずとも、勝手に出来事を話してくれる。わざわざ感情的になっている方に、感情的になっている理由を聴いてはならない。激アツの弁当箱を、さらにコンロで火にかけるようなものだ。
とにかく、徹底的に「出来事」についての聴き役に回る。
「……そうでしたか、ええぇ、お気持ちは分かります」
冷静に聴き入ってみると、気持ちが分かることの方が圧倒的に多い。分かることは分かる、分からないことは丁寧にお聴きしていく。しっかりと話を聴き、気持ちを肯定させていただくだけでも、お客様は冷静になってくれるのだ。
ここまで来れば、激アツで触れられなかった弁当箱の蓋も、ようやく冷めて開けることができる。
冷ますことができたとはいえ、弁当箱の中身はというと、おかずの位置はもちろん、ご飯の位置も分からない状態となっている。
「ブロッコリーの位置はどこですか? ウィンナーはタコさんなんですね。ご飯はのり弁ですね。のりは一番上だけでしたか? 二重でしたか?」というように、場所を一つ一つ確認していく。
「その時、店員はどのような態度でしたか? ずっと喋り続けていたんですね。他の店員はお声がけしなかったということですね?」など、その場で感じた気持ちを正直に伝えていく。
細かく出来事や状況を丁寧に、肯定しながら「質問」を間に入れ込むことで、お客様は自然と答えてくれる。
言葉にして答えてもらうということは、頭を使って心の中を整理していくことだ。頭を使えば冷静になっていただけることが多い。
「いや、こちらもカッと来てたから、言いすぎた部分もあるけどさ」
このようなお言葉を頂いて、初めて謝罪の言葉を受け取ってもらえるようになる。
弁当箱の中身が整理できたからといって、このまま蓋を閉じてしまっては、空腹は満たされない。
どこからどう食べれば、最後まで美味しくいただけるのかを考える必要がある。
それだけではない。突然、ご飯から食べ始めて、血糖値を上げるような食べ方をしては、元も子もない。
「どのように食べたかったのか?」という心を汲み取るだけではなく、「健康的に食べるには、野菜から食べた方が良いかと思います」と、美味しいだけではなく、健康的に食べる提案をすることも必要だ。
「どのようにしてもらいたかったのか?」
「実際には、どのような扱いを受けたのか?」
「本人たちからの謝罪と、できうる限り上の責任者からの謝罪をさせていただく」
という提案をしていく。
ここまで来てもホッとしてはならない。食べ終わった後に必要な、何かを忘れてはいないだろうか。
「デザートをどうぞ」
ダメ押しで、最後にデザートというお土産をお渡しする。
サービス券、ノベルティグッズなど、できうる限りのものだ。
そして、最後に出口までお見送りするところまでが基本だと心得る。
こちらの対処が誤っていた場合はお詫びとしてお渡し。対応が適切であった場合は、お客様自身の心をお慰めいただける意味としてお渡し。
どちらにしても、最後はデザートで和らいでもらうように努める。
世の中には、クレーム対応の仕方という本が多く出版されている。それほど、クレームは心理的にも疲弊しやすい人が多い。
「クレームは、あなたを否定しているものではなく、そのサービスという物事について問題提起をしてくれているんですよ」
激アツの状態の弁当箱をいかに冷まし、片寄った中身を綺麗に整え、美味しく健康的に食べ、最後にはデザートを持って帰ってもらう。
クレーム処理は片寄った弁当箱の中身をいかに元の位置に戻すかのように考えることがポイントだ。
これで、お客様が再びご来店いただける関係となるのかが決まるだろう。
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