忘れるべき人と忘れられない人のハザマで、元カレを考える《週刊READING LIFE Vol,92 もっと、遠くへ》
記事:布施 京(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
母校で教育実習をした時、私を慕ってくれた女子生徒がいた。
当時、彼女は高校三年生、私は大学四年生だった。
女子トークで盛り上がり、それから20年以上、年賀状のやり取りが続いている。
私が離婚したばかりの時、彼女は、会った私にこう言った。
「先生には、あの大学の時に付き合っていた彼とうまくいってほしかったなあ……」
彼女は、その彼と私の関係をよく思ってくれている唯一の人だった。
それは、彼と私が付き合いだして間もない、初々しい頃を知っていたからだ。
教育実習が始まる3ヶ月前の桜の季節から、彼と私は付き合いだした。
大学四年生の私たちは、授業をフルで受けていた。
私は、教職課程に書道専攻コースを取っており、四年生まで授業や教育実習で忙しかった。かたや、彼の場合は、一年生から単位を落とし続け、フルで授業を受けなければ卒業できない崖っぷちの状況だった。
彼は、見かけはロッカー。ヘビースモーカーに、昼間からお酒。2時間の遅刻は当たり前の常習犯。ルーズでどうしようもない人だった。
では、なぜ、好きになったのか。
初めて一緒に出かけた時、『100万回生きた猫』という絵本をプレゼントしてくれた。
それがいけなかった。ロッカーからの絵本のプレゼント。
ギャップに弱いのは私だけではないはずだ。
本が大好きで、書籍についていろいろと語ってくれた。
私が大変な時は、心にしみる本にメッセージを書き込んで、贈ってくれた。
会うと、彼から学ぶことは多かった。
彼が住む地域の教員採用試験も受けた。結婚を意識した、最初の人だった。
今のように携帯電話があれば、違っていたかもしれない。
だが、彼の本心が見えず、不安と待つことに疲れてしまった私は、自分から終わりにした。
1年半の短い付き合いだった。
だが、自分から終わりにしたのに、その後、私は、10年以上も彼を引きずることになる。
適当に誰かと付き合ってみたり、一度は結婚もしたけれど、結局は、彼を忘れてはいない自分に気づいてしまう。その繰り返しだった。
精神的に強くなりたいと思い、海外ボランティアに志願した。
彼を心から忘れられるようになりたい。そんな不純な動機もあった。
すると、苦労が多く、やりがいのある充実した2年間の途上国の生活は、私に変化をもたらした。
帰国した私は、次の海外ボランティア活動のための研修で、彼の住む地域に行くことがあった。その時、私は、ある大学の図書館を訪ねた。どうしても、確かめたかったからだ。
大学卒業後、その大学の図書館司書として、彼は働いていた。
彼は、私が現れたことに驚いていたが、私を図書館の中で待つように言った。
まじめに働く彼を、冷静に見ている自分がいた。
タバコ休憩に、一緒に外に出た。
その時、何を話したのかは、覚えていない。
ただ、別れ間際、海外で習慣になった別れのハグをした。
「……本当に、大好きだった」
私がそう言ったのは覚えている。
「過去形なんだな」
彼にそう言われ、微笑みながらうなずいたのも覚えている。
それで、ようやく、私の長い恋は終わったのだった。
そして、帰国後、今の夫と恋に落ち、結婚し、一児の母となった。
子どもが一歳になったとき、パソコンのメールに「声が聞きたい」と一言書かれたメールが届いた。だが、アドレスに見覚えはない。件名には、携帯電話番号と思われる「090」から始まる11桁の数字。普通だったら、削除するメールに分類される。だが、そうできなかったのは、一つ気になる点があったからだ。
それは、アドレスが「sakula0826@」となっていたことだ。
「0826」が「8月26日」を表していれば、それは私の誕生日だった。
大学卒業の年は、桜の開花が遅かった。
卒業式で彼と一緒に桜を見ることができなかった私は、大学がある九段下周辺の桜の名所を写真に収め、彼の実家に郵送した。
「京の写真が欲しかった」
そう言われたのを覚えている。
携帯電話なんか、なかった時代の昔話だ。
もし、思い出の桜と私の誕生日の「8月26日」が組み合わされたアドレスなら、パスワードは私の名前になるのではないか。そんな勝手な推理をして、アカウントを入力してみると、当たり前のように彼のメールボックスが表示されてしまった。
慌てた手で、急いでマウスを掴み、そのメールボックスを閉じた。
何も悪いことはしていない。いや、していないはずだった。だけど……。
まるでハッカーのような行為をしてしまった自分に、懸命に言い訳をした。
そして、呆然とした。
「やはり、彼だった……」
私は、全身の力が抜けていくのに、心の中は大きく揺さぶられているようだった。
その頃、私は夫とのケンカが絶えなかった。
「今、彼の声を聞いたら、会いたくなるのではないか」
「会ったら、今の夫の不満をぶちまけ、彼を頼ってしまうのではないか」
そう思うと、電話はできなかった。薄っぺらい不倫なんて、したくなかった。
「もっと、幸せな私を、堂々と見せたい」
結局私は、電話も、返信もしない、という選択をした。
なのに、彼は、二年後の私の誕生日にもメールをくれた。
「おめでとう」という言葉の他に、彼の母親が他界してしまったが、ようやく自分に整理がついたということが書かれていた。乳がんで亡くなったので、私にも気をつけるようにと。そして、誕生日に言うことではないけれど、という言葉も添えられていた。
「声が聞きたい」と彼がメールをくれたのは、お母さんが亡くなってすぐのことだったこともわかった。
「京ちゃんのおかげで、卒業できたわ」
大学四年生の時、彼は私に会うために大学に行くようになり、単位を落とさずに済んだと、お母さんは、何度も私にお礼を言ってくれた。私が、彼の実家に電話をすると、いつも彼の不在を詫びてくれた。やさしいお母さんだった。
なのに、私は、彼のお母さんの死に、何の言葉も贈ることができなかった。
その時、私は、仕事で地球の反対側の国に住んでいたのだ。
時差は12時間あったが、電話をしようと思えばできた。だが、私の仕事の都合で、息子を連れて海外に一緒に付いてきてくれた、夫への罪悪感から連絡ができなかったのだ。
その翌年も、彼から誕生日にメールが届いた。
その翌々年は、届かなかった。いい人ができたのかな、そんなふうに思っていた。
だが、その3ヶ月後、代わりに、大学の友人から、彼の訃報が届いた。44歳だった。
彼の両親はすでに他界していて、地方に嫁いだ妹さんが、連絡が取れなくなった彼のアパートに行って発見した。死後1ヶ月が経っていた。死因はわからなかったという。
私が、そんな寂しい死に方をさせてしまったのではないか。
彼への想いは、確かに過去形だった。
だけど、その過去があまりにも重すぎた。
声を聞いて、うれしいと思ってしまうかもしれない自分が怖かった。
だが、どうして、電話をかけなかったのだろう。
どうして、返信を書かなかったのだろう。
「元気です」とたった一言、なぜ送れなかったのだろう。
後悔が、怒涛のように私の胸に押し寄せてきた。
彼の死から2年後、教育実習の時の女子生徒に再会した。13年ぶりだった。
彼女は、痩せて、かわいらしさを卒業し、きれいな女性になっていた。
「息子は、高校三年生なんです。先生と私が出会った時と同じ歳なんですよ」
感慨深かった。
時は、確実に流れていた。
20年以上の時が流れても、変わらないもの。そして、変わったもの。
それが混在しているのが、今の現実であることを知った。
唯一、彼の味方だった彼女に、彼の死を告げた。
彼女は驚き、私が教育実習後に彼女に話したという、彼のエピソードを話してくれた。
「先生が高校で教育実習しているとき、昼休みに、高校にいる先生から見えるように、彼が大学の前に立っていたって。それを見て、先生は実習がんばれたって」
そうだ。確かに、そうだった。そう言われて、一気に記憶が蘇った。
彼女が通っていたのは、大学付属の高校で、彼と私は、通りを挟んで高校の目の前にある大学に通っていた。
彼は、深く黒いキャップをかぶり、いつもの黒い革ジャンにジーパン姿で、大学の入り口の壁に寄りかかり、タバコを吸っていた。私は、昼休みになると、急いで高校の入り口に向かい、彼にそっと手を振った。
「教育実習の期間は、邪魔になってしまうから会わない」
彼はルーズだったが、そんなふうに配慮できる一面があった。
私は、会えない2週間分のクッキーを焼いた。一日5枚。毎日一袋ずつ食べてもらえるように、14袋作って手渡した。実習明けに会った彼は、少しぽっちゃりしていた。太ったのは、夜遅く帰宅してもその日の分のクッキーを食べていたからだという彼の言葉に、私はうれしくなった。そして、もっとうれしかったのは、その色とりどりの小袋をその後も大事そうにお仕入れにしまってあるのを、彼のアパートで見つけたことだった。表には見えない、彼の思いやりに触れた気がした。
そして、もう一つ。
忘れ去られていた記憶が蘇った。
教育実習が心配でたまらなかった私に、彼が励まそうとしてくれた言葉だ。
「今、サリンジャーの『フラニーとズーイ』を読んでるんだ」
彼は、よく本から引用して、話をしてくれた。
「ズーイは、ラジオの放送局で働いているんだけど、「太った婦人」という、毎晩聞いてくれる人のために放送をするんだ。たった一人のために、毎晩ラジオを放送する。京の授業も、必ず「太った婦人」みたいに、聞いてくれている人がいるから。たった一人でも、聞いてくれる人がいるなら、その人のために、京も、がんばらないといけないよ」
「たった一人のために」
それは、私の原点になった。
大学卒業後、私は、実際に私立中学校で教鞭に立った。
退屈そうに授業を聞く生徒、内職する生徒、うつ伏せになって堂々と寝る生徒などなど、教師のやる気を削ぐような行動をする生徒は少なくなかった。だが、その教室の中にも、「太った婦人」はいた。その後、日本語教師になった時も、夜中のバイトに疲れて、寝てしまう生徒が多い中、やっぱり、そこにも「太った婦人」はいた。
なのに、私の記憶からその思い出は、すっかり消え失せてしまっていた。
彼を忘れたくて、他の人と付き合ってみたり、海外ボランティアをしてみたり、そんな忘れる努力をしているうちに、彼との思い出を過去の記憶の流れの中に完全に葬ってしまっていたのだ。
彼の死を聞かなければ、それでよかった。
忘れるべき人だった。
だが、私が思い出さなければ、彼の存在は、世の中という空気の中に埋もれて見えなくなってしまうのではないか。
韓国の生徒からこんなことわざを教えてもらったことがある。
「目に見えないものは、遠くなる」
目の前から見えなくなってしまうものは、だんだんと遠い存在になってしまう、という意味だ。
たしかに、彼は、死んで、もっと遠くへ行ってしまった。
もう、どうやっても、目の前に現れてくれることはない。
だけど、彼との思い出や、彼から学んだことは、すべて私の中に吸収され、日々成長を続けてきた。そして、その結果が、今、ここに存在している私なのだ。その過程で、今の夫に会い、恋に落ちて、結婚をした。それは、紛れもない事実だ。
彼がどんなに遠くへ行ってしまったとしても、彼は私の中の生き方に現れている。
それは、誰にも否定できないし、もう誰にもわからないかもしれない。
だから、大丈夫。彼がもっと遠くへ行ってしまったとしても……
□ライターズプロフィール
布施 京(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
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