怒りは円滑な人間関係の為の通過儀礼《週刊READING LIFE vol.139「怒り」との付き合い方》
2021/08/16/公開
記事:中川文香(READING LIFE編集部公認ライター)
“あなたの大きな怒りの記憶を教えてください” と聞かれたら、いつのことを思い出すだろうか?
大人になってからでも怒ったことはそりゃたくさんあるけれど、私の中の一番大きな怒りの記憶は小学生の時、あの夏休みまで遡る。
確かお盆の頃で、私は小学校の2・3年生くらいだったと記憶している。
毎年の夏休みには、関東に住んでいる叔父夫婦が従弟を連れて帰省して来るというのが習わしで、その年も一家揃って遊びに来ていた。
私は自分のきょうだい含め従弟たちの中でも一番年上で、「しょうがないなあ、私が一番お姉ちゃんなんだから、みんなの面倒見てあげなきゃ!」と先輩風をビュービュー吹かせながら、でも従弟たちが帰ってくると一緒に色んな所に遊びに出掛けるので、毎年それはそれは楽しみにしていた。
そしてその日は、祖父母や叔父一家とうちの一家で公園に出掛けて、お昼ご飯を食べに行こうという計画になっていた。
当然、私も一緒に行くもの、と思っていた。
「あんたは、お習字があるでしょ?」
母が私に向かってそう言った時に、私は自分の耳を疑った。
当時、私は習字教室に通っていて、その日は教室のお稽古の日だったのだ。
「え? この人何言ってるの? 私は行ったらダメってこと?」
一瞬そう思ったけれど、親の言うことを聞くいい子だった私は「分かった……」と答えた。
そうだよね、私はお習字があるもんね。
ちゃんと毎日サボらずに行かなきゃ。
行かなかったら先生に怒られるかもしれないし。
お母さんも行きなさいって言ってるし。
でも、でも……
視界の隅には、楽しそうに浮き輪の準備をする従弟や妹が映っている。
私だって川で遊びたいし、そうめん流ししたい。
皆行くのに、どうして私だけ仲間はずれなの?
なんで私は行ったらいけないの?
色々考えていたら、ふつふつと怒りが湧いてきた。
なんで私だけ我慢しないといけないの?
みんな楽しいのに、私だけ今からお習字行かないとダメ?
私だってお出かけしたい……!!!
「そろそろ出ましょうか?」
と叔父夫婦が声をかけに来た時、私は母に再度お願いをした。
「私も一緒に行きたい!」
「だから、あんたは習字があるでしょ? サボるの?」
「そうだけど……でも一緒に行きたいんだもん」
「ずっと続けてるんだから、ちゃんと行きなさい」
母からピシャリと言われたその瞬間、私の怒りは爆発してしまった。
「嫌だ! 絶対に一緒に行く!! なんで私だけ行ったらだめなの!? みんな行くのにズルイ!」
うわーっと大粒の涙を頬にこぼしながら訴えてみたものの、母は取り付く島もない。
「行きたい行きたい行きたい! 習字は休む!」
わんわん泣いた。
玄関から続く廊下に寝そべって、暴れて駄々をこねた。
「みっともないからやめなさい!」という母の声を無視して、意地でも起き上がらなかった。
涙は頬を伝って後から後から廊下に零れ落ち、大声で泣き叫ぶ私は汗だくになった。
玄関では、声をかけに来た叔母が居心地悪そうにたたずんでおり、隣にはあっけにとられたように目をまん丸くした従弟が立っていた。
涙なのか汗なのか、もうぐしゃぐしゃで何が何だか分からなくなってきた頃、ようやく母が折れた。
「もう知らない! そんなに行きたいなら行きなさい!」
私が勝利を勝ち取った瞬間だった。
その後いそいそと準備をして、私も一緒に出掛けた。
行けるようになったのはいいものの、直前にあれだけ暴れて泣き叫んだところを叔父一家に見られていたので、大層気まずい思いをしたのは覚えている。
「お姉ちゃんなのに、あんな姿を見られてしまった」と恥ずかしくなり、まだちょっと怒ってますよ、という風を装って、静かに車の後部座席の真ん中に座った。
みんなでお昼ご飯を食べる時も、一人、なんだか居心地が悪かった。
玄関に立っていた叔母と従弟の顔が、今でも忘れられない。
あの時は泣いて暴れて全身で怒りを表現出来たけれど、成長するにつれて次第に怒りを表に表すことをしなくなった。
それが “大人になった” ということなんだろうけれど、なんだか大人になったら怒り方が良く分からなくなってしまった、という気もする。
イラっとしても無意識に「怒るのは大人気ない」という自制心が働いて、その感情を心の奥底に押し込める、というのを繰り返していくうちに、上手な怒り方が分からなくなってしまった、と言ってもいい。
「あれ? これって怒ってもいい事なんだっけ?」といちいち自分に確認しないと怒れなくなってしまったようだ。
社会人になって数年経った頃、仲の良かった先輩から急に無視される、という事態に遭遇した。
その時も、なんだか自分の怒りの感情ときちんと向き合えなかった気がする。
それまで仲が良くて、しょっちゅう一緒に遊んでいた先輩が、急に私を避けるような態度を見せた。
私は困惑した。
原因は、なんとなく想像できた。
いわゆる “痴情のもつれ” というやつなのだが、原因の想像は出来ても、理解をすることが出来なかった。
だって、その先輩、結婚していて子供もいたから。
私に彼氏が出来たと知って、私を避けるようになる、その理由が分からなかった。
でも、変わったことと言えばそのくらいしか思い当たらなかった。
二人でよくおしゃべりしていたのがウソのように、挨拶しても無視され、目の前で彼氏とベタベタされ、ようやく「私がこの人と付き合ったのが気に入らなかったんだな」と理解した。
ほとぼりが冷めたらまた前みたいに戻ってくれるかな? と思ったけれど、そうやって放っておいたら嫌がらせはエスカレートしていくばかりで、イライラしたし、嫌な気持ちにもなった。
ある時、意を決して先輩を呼んで話をした。
「ここのところ、私のことを避けてますよね? 何か気に障ることしましたか?」
休憩スペースの小さなテーブルに向かい合って、そう切り出すと、意外な返事が返ってきた。
「あ、私が避けてるの、気付いて無いと思ってた」
ん?
???
予想外の言葉が返ってきて、私の頭の中は「?」でいっぱいになった。
え? 私が気付いて無かったら、それで良かったってこと?
「気付いて無いと思ってた」ということは避けてるのは肯定してるってことだよね?
え? これ、怒っていいんだっけ?
その後も少し会話をしたが、何を話したかは覚えていない。
最初の回答で先輩の気持ちがなんだかよく分からなくなってしまったし、なんだかよく分からないまま、なんだかよく分からないやりとりをした記憶しかない。
私は泣かなかったし、怒りもしなかった。
ただ淡々と、話をした。
すごく悲しい気持ちになったし、心の奥底に静かな怒りも宿っている気がした。
それ以上、話が進まなかったので「もういいです」と言ってその場を離れた。
その後も、先輩の態度は変わらなかった。
相変わらず無視され、でも皆の前では何事も無いように平然と話しかけられ、釈然としない思いを抱えつつ、でも怒りの感情をぶつけることは出来なかった。
ある時「なんか、もうどうでもいいや」と思った。
私は「前みたいに仲良く出来たらな」と思っていたけれど、どうやらそれは先輩にとっても、そして私にとっても難しいようだった。
もう付き合うのを諦めよう、それでいっか。
そう思ったらちょっと楽になった。
それきり、彼女とは連絡をとっていない。
後になってから、共通の友人に「こんなことがあって困った」と一部始終を話したところ、「そんなこと言われたの!? いやいや、あり得ないでしょう!」と私の代わりに怒っていた。
そうか、あの時のあのセリフは、怒っていいやつだったんだな、とその時分かった。
渦中にいる時には、悲しいと思ったことや、怒りを覚えたことは出来るだけ抑えて「冷静に話をしなくちゃ、感情的になったらいけない」と思い込んでいた。
先輩にも、先輩なりの事情とか思いとかがあるんだろう。
私がそれを理解出来ていないだけかもしれない。
もしかしたら、何か思い違いがあって、それを解消したらまた仲良く出来るのかもしれない。
そう思って冷静さを保つように心がけていた。
けれど、もしかしたら。
もし、あの場で「なんで無視するんですか!」と思いっきり泣いていたら、怒りをぶつけてみたら。
そう思わないことも無い。
子どもの時のように「どうして!?」と思いのたけをぶつけてみたら、もしかしたら状況が何か変わっていたのかもしれない。
あの夏休みの日、私と母の怒りの感情は真っ向からぶつかり、互いに一歩も譲らないままじりじりとせめぎ合い、最終的に母が折れた。
その日はお互いにツンとしたけれど、そのうちにいつも通りの母娘に戻った。
言いたいことを言い合って、お互い完全に納得はしなかったかもしれないけれど、スッキリしてあと腐れは無かった。
もしかしたら先輩は、私が冷静に話すから自分の思いをぶつけられなかったのかもしれない。
今となってはそう思ったりもする。
結局、私はあの時に自分の怒りを、悲しさをさらけ出す勇気が持てなかったのだ。
怒りをぶつけたところで分かり合うことは出来なかったかもしれないけれど、それでも、うやむやにして静かにフェードアウトしてしまうよりはお互いにスッキリしたのではないか? と思う。
私たちはあの時、お互いに分かり合うことを放棄したのだ。
“怒り” というのはごく個人的な感情で、何に怒りを覚えるのかは人によって異なる。
同じ出来事でも感じる怒りレベルは人によって違う。
人それぞれ色んな価値観を持っているから当たり前だろう。
ただ、誰かに対して怒りを感じたら、そのことをしっかり表現することが、相手との人間関係を作っていく上で大切なことなのではないかと思う。
怒るのってエネルギーがいる。
反対に、相手の怒りを受け止めるのもエネルギーが必要だ。
相反する価値観がぶつかって、互いに正しさを主張する中に生まれるのが “怒り” の感情だ。
ただ、その感情をスルーすることも出来る。
「ま、いっか」でフェードアウトして「もうこの人とは付き合わない」というのは楽ちんだ。
怒りのエネルギーを相手にぶつけなくて済むから。
もうそれ以上付き合う必要のない相手だったら、そうするのがお互いエネルギーの無駄遣いにならない、よりエコな選択になるだろう。
でも、もしもこれからも付き合っていきたい、と思う相手だったなら、たぶんその怒りの感情をしっかりぶつけた方が良い。
自分が何を嫌だと思って何に怒っているのかは表現しないと相手に伝わらないし、うやむやにしてしまったらきっとその後の関係に支障をきたす。
怒りを表現すれば相手も「許す」「許さない」のジャッジが出来るし、許さない、となった場合でも二人の間の妥協点を探る、という選択肢も出てくる。
けれど、そもそも怒ることを諦めてしまったら、「ま、いっか」を繰り返してしまったら、次第に相手との関係にほころびが生じ、それが段々と大きくなって結果、関係が破綻してしまう。
もしかすると、たくさんのエネルギーを必要とする “怒り” の感情を経てはじめて、相手とのより深い関係が生まれていくのかもしれない。
あの夏休みの大暴れの時のようにはもう怒れない気がするけれど、それでも、今後の人生で「これからも関係を続けていきたい」と思う相手には、自分の怒りの感情をちゃんとぶつけていきたいと思う。
先輩に怒りの感情をぶつけられなかった、あの時のような苦い感情はもう味わいたくないから。
□ライターズプロフィール
中川 文香(READING LIFE公認ライター)
鹿児島県生まれ。
進学で宮崎県、就職で福岡県に住み、システムエンジニアとして働く間に九州各県を出張してまわる。
2017年Uターン。2020年再度福岡へ。
あたたかい土地柄と各地の方言にほっとする九州好き。
Uターン後、地元コミュニティFM局でのパーソナリティー、地域情報発信の記事執筆などの活動を経て、まちづくりに興味を持つようになる。
NLP(神経言語プログラミング)勉強中。
NLPマスタープラクティショナー、LABプロファイルプラクティショナー。
興味のある分野は まちづくり・心理学。
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