週刊READING LIFE vol.143

1冊のノートが気づかせてくれたこと《週刊READING LIFE Vol.143 もしも世界から「文章」がなくなったとしたら》


2021/09/13/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
引越しのため片付けをしていた時のことだった。収納の奥に入っていた小物入れの引き出しを開けると、そこには小さなノートが入っていた。
 
見覚えのあるノート。
その表紙を見た時、一気に当時のことを思い出した。
それは30代前半、まさに人生の転機とも言える時期に使っていたノートだった。
私の頭の中には、その小物入れの存在すらなかった。だから、そのノートを小物入れにしまい、とっておいたことも忘れてしまっていたのだ。
 
突然のノートの出現に少しうろたえた。あの時期、私が考えていたことがきっと書き綴られているのだろう。そう思うと、中身を見たいような、見たくないようなそんな気持ちにもなった。
 
いっそ、このまま中身を見ずに捨ててしまうか。
しかし、あれから15年ほどの月日が経っている。若い頃の自分が何を考えていたのか、今、振り返ってもいいのではないか。
そばに置いてあるゴミ袋に手を伸ばしたが、思い直して、恐る恐るそのノートを開いてみる。
 
年齢を重ねると、小さな文字が見えにくくなる。そんな状態の今では考えられないくらい、小さく細い字がそのノートには並んでいた。とてもじゃないけれど、今ではこんな小さな字を書こうとも思わない。
その小さな文字が、当時とても自信が持てずに悩んでいたことを表しているかのようにも思えた。
 
ノートには、日付と当時読んだ本の中で心にとまった部分を書き出したと思われる文章と、その時感じていたことが書き込まれていた。それは毎日書かれているわけではなかったが、読み進めていくと私の当時の様子が手に取るようにわかった。
 
当時私は、今なら絶対に付き合わないだろうと思われるようなタイプの人と付き合っていた。ちょっと派手な、女の人にモテる、そんな人だった。私の知らない世界をよく知っていて、彼といて新しいことを経験することが楽しかった。初めの頃は楽しいばかりで過ごせていても、それはそのうちに慣れてもくるし、一緒にいれば楽しいことばかりではない。当たり前のことだが、当然、私にも今まで自分が身を置いている世界があり仕事もある。ましてや、仕事も全力で取り組んでいきたいと思っていた時期だったし、そのうち一緒に遊んでいても何かが違うような気がしてきた。
 
大事な仕事の前になれば、仕事に集中したくて何かと理由をつけて会う時間を減らした。でもそれが、彼を苛立たせていたのだろう。元々、彼の周りは友人というポジションなのかもしれないが、女性が多かった。私と時間を過ごさなければ、代わりに一緒に時間を過ごす女性にも困らなかったのかもしれない。自分で会う時間を減らしているのに、そんな様子がわかれば、やはり嫉妬も抑えられない。反対に、私の仕事柄、周りに男性の多い環境で、遅くまで男性と一緒にいることに、彼も嫉妬していたのかもしれない。
 
そんな状況の中で、書き綴られた文章には、私の悩みと葛藤が現れていた。
自分の言葉で書かれている文章からは、彼とのやりとりの中かから生まれる彼への憤り、でもはっきり出来ない自分の弱さ、迷い、どんどん自信をなくしていく様子も読み取れる。
 
そして、ノートに書かれていた当時読んだ本といえば、美輪明宏さんの悩み相談の本もあれば、女性の生き方についての本、運動に関する本、色彩学の本、小説もあり、何か繋がりがありそうで、ないようなものだった。しかし、どういうきっかけでその本を選んだのか思い出せないが、30代の自分がこれからどう生きていったらいいのか、どういう女姓になりたいのか、そんな問題の答えやヒントになるような、そんな一文が書き写されていた。
 
本を読んだ後、彼への思いが吹っ切れたように書き綴っている時もある。そうかと思えば、彼の優しい一面に「やっぱり、彼と一緒じゃないとダメなんだ」と思い直している時もある。他の女性とデートしたりしていることを知り、また他の女性と比較されて傷つき、怒っている様子もわかる。その度に、自分の何が悪いのかと自問自答しているし、彼に対して、「尊敬できない」と書いてあるのに、その後も彼との関係が続いていることが書いてある。
 
15年ほど前の、矛盾だらけでどうにもできなかった自分を私はそのノートから改めて知ることになった。
きっと、この頃の私は、何かに吐きださずにはいられなかったのだろう。自分の内側でもがいていることを、文章に書くことで乗り越えようとしていたのかもしれない。

 

 

 

その日にあったことや、自分の思いを書き出す作業、いわゆる日記を書くことは嫌いじゃなかった。初めて日記を書いたのは、小学1年生の時。毎日日記を書き、週に2回担任の先生に提出していた。朝、朝礼の時に提出すると、帰る時に返却される。先生が日記に対して感想を書いてくれたり、漢字を直すなど、添削をしてくれる。
先生からすれば、文章を書く訓練のための宿題だったと思うが、私はそれが苦痛じゃなかった。クラスの中ではサボって日記を提出しない子もいたが、私はきちんと毎日書き綴っていたと思う。
 
日記には何でも書いた。小学生になってもおねしょをしてしまったことを書いたこともある。今思えば、おねしょをしたなんて恥ずかしい話なのだが、そんなことは全く気にしていなかったのだと思う。私にとって、この日記は先生が読むから書くのではなく、自分の日常や日々の気持ちを書き出すことを楽しんでいただけなのだ。
だからある時、「習った漢字をもっとよく使って、書いてください」と先生にコメントされたこともある。私からすれば、先生に褒められたいわけでもなく、ましてや学習のつもりがないわけだから、習った漢字のことなんて気にもかけていなかった。
 
その後、担任の先生が変わると日記の提出はなくなったが、中学生の頃は、好きな日記帳をお小遣いで買って、それに日々のことを綴っていた。中学生のことの日記も、思い出してみれば、不意に発見されたノートの中身と同じように、その当時好きだった男の子のことや、将来への不安が漠然と書いてあったような気がする。
中学生の時の日記は、大学生になる時に恥ずかしくて捨ててしまった。
 
その後も書き始めてはいつの間にか書かなくなり、また気がむくと書き始める、という感じで日記を書くことは続けられる。そのうち、何冊かのノートが手元に残り、毎年更新される手帳と一緒に保管されている。
最近の5年は毎日のことが書けるスペースが7行ある手帳を使っているので、気がつくとそこへ自分の気持ちを吐き出している。毎日書かなくてもいい。気がつくと一週間何も書いていない時もある。それでも、いつでも書ける状態があるということが大切なのだと思う。
いつでも、自分の思いを文章にするチャンスを身近に置いておきたいのだ。
 
自分の胸のうちや考えていることを文章として「書くこと」についての効能は、脳科学や心理学の分野でも様々に言われている。書き出すことで、漠然としていることが整理されるとか、不安や怒りというストレスを緩和することができるとか……。
もちろん、嬉しいかったことを書き出すことも重要で、ポジティブな気持ちを継続させることにつながるという。感謝の気持ちを綴ると、幸福度が増すという研究結果もあると聞く。
 
最近、「書くことがセラピーになっている」と言ったエッセイストの文章を読んだ。自分の胸の内を書くことで、自分が癒されるということなのだろう。エッセイストは職業でもあるわけだから、誰かに読まれる文章を書くことになるのだろうが、誰かに読まれることがなくても、「書くことがセラピーになっている」という言葉は、今も、あのノートに書き綴っていた私にも、当てはまる言葉だと思う。
 
15年経って、偶然私がもう一度自分で読むことにはなったけれど、あの時の私は読み返されるなんて思っていなかったはずだ。ただ、あの時の自分と向き合い、そして書き綴っていた。
 
「ずいぶん長く、悩んでいるな」
正直、私はそのノートを1ページずつめくりながら思った。書き始めから、半年日付が進んでも、私はまだ別れずにジタバタとしていた。
結局、その彼とは別れることになるのだけれど、もう昔のことすぎて、いつ別れたのか思い出せなかった。
 
さらに読み進める。
なんとなく、文章の内容が自分を責めることばかりでもなく、相手を責めることばかりでもない様子に変わってくる。
これからの人生、どういう姿勢で生きていきたいか、自分が理想とするあり方が具体的に現れてくる。
 
そして、書き始めから10ヶ月後。
そのノートに最後の文章がつづられていた。
 
なんだ、無事に別れられたんだ。そして、私はちゃんと自分を見つめ直し、誰かのせいにすることもやめて、前を向けたんだ。
 
もちろん、あの時の自分があったから、今の自分がある。そして、今の自分の状態を見れば、あの時のことをきちんと乗り越えてきたこともわかっている。それでも、ちゃんとそのノートの中で、自分の気持ちに区切りをつけていることがわかってほっとした。
ただ時の流れの中で乗り越えてきたのではなく、自分の力で乗り越えてきたという証がそこにあるように思えた。
 
文章を読み、書き写しながらもう一度それを感じ、そして、自分の言葉で文章を書く。それを繰り返してきた10ヶ月。
 
もし、世界に「文章」がなかったら、私は読むことも、書くこともできない。
そんな世界だったら、私は自分を救うことができただろうか。
私は自分を育てることができただろうか。
 
気がつけば、ずっと書いてきた。
誰に読まれることもない文章を。
気がつけばずっと読んできた。
その時出会った文章を。
 
そして、今も書き続けている。
日々のこと、自分の思いを誰に読んでもらうためでもなく。
 
もしかしたら、今、書いているものが、未来の私を救ってくれるかもしれない。未来の私を安心させるかもしれない。
だから、これからも自分のために書き続けよう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。これからどんなことを書いていくのか、模索中。

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2021-09-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.143

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