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週刊READING LIFE vol.143

スケッチトラベルが教えてくれたこと《週刊READING LIFE Vol.143 もしも世界から「文章」がなくなったとしたら》


2021/09/13/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
文字や文章がなかったころ、人は口伝で後世に伝えたいことを継承していた。
 
もし世界から文章がなくなってしまったとしたら……。
 
人は音楽、踊り、歌、絵画、彫刻、建造物、祭壇、そして口伝継承などあらゆる表現と手段をもって、先人が灯した明かりを、生きる知恵として次の世代につないだことだろう。
 
人類の文化は自然と関わりながら人に良いものを後世に残したいという思いで音楽や芸術、文化が始まったのではないのかと推測する。
しかしながら文字をもたずに発展した文明も世界には数多く残る。
おそらく文明の継承は口伝継承にたよっていたと考えられるが、今も詳細は解明されていない。
 
時はうつりルネッサンス以降の芸術は先人と今を生きる人を結びつける糸のような役割を果たす。
人はいつかは死ぬという定めのなかで、自然の森羅万象に寄りそいながら生きていく心理を優れた芸術家は作品にのこし、その一方で名もなき建築家、画家、仏師、彫刻家、そして一般の市井の人は、生活のなかに生きることへの勇気や喜びを新しい芸術としてうみだし、土地の文化として脈々と受け継いできた。
 
自身の内なる何かが自分を突き破ってあふれ出たとき、それを現わす文字や文章をもし失くしてしまったら、想像してみて欲しい。私たちは何を選択したらよいのだろうか?
 
歌う?
踊る?
一編の詩をつくる?
絵を描く?
 
何かを後世に残したいから、芸術は存在する。
 
ここで一つ絵画を例に、19世紀のフランス人の画家にアンリ・ルソーを挙げたい。
素朴派とよばれ、税関士から独学で画家になったため、当時、当たり前であった遠近法など用いず独自の画風をつらぬいた画家で、代表作に「眠れぬジプシー女」などが有名だ。
彼の描く人物像のバランスはまずどこか可笑しみがある。
動物も人物もまるで子供が描いたように不格好で、奇妙なのだ。
最初にその絵を観た者は、美術館のなかでも必ずといっていいほどしのび笑いをもらすが、ジッと観ているうちにやがてその絵から目が離せなくなる。
ルソーの絵には一度みたら絶対に忘れられない理由なき魅力がある。子供のような純粋な心がそこにある。私は小学生の時、図書館の世界の名画集でルソーの絵を観て、洋画に興味をもつきっかけを与えてくれた大好きな画家だ。
ピカソもルソーの絵をこっそりと集めていたというほど愛好家は意外に多い。
 
このルソーの独創性を文学にあてはめてみると、文法や文体が正しい位置に並ばずに構成されるので、読み手に正しい情報として認識されず、誤解をまねくため出版の機会さえ与えられないだろう。
 
画家は自由な想像力と情熱をもって絵具で遊ぶことができるが、文章を書く作家は、自分の選ぶ文字や文章に真摯に向き合い責任をもつ必要がある。
 
文字や文章がもつ「力」は読む者に、正しい情報を伝え「思考する力」を与えるのが大きな役割だ。
読むのは好きだが、書けないというのは案外そういう難しい性質があるからではないだろうか。
 
 
私は一時期、本が読めなくなった。大の本好きだったのに全く本に興味がなくなってしまった時期があった。
 
そんなときに出会ったのが「SKETCHTRAVEL(スケッチトラベル)」という本だ。
 
正確にいうと文章が書かれた本ではなく「世界を旅したスケッチブック」だ。
企画に感銘を受けて手に入れた本だった。
 
内容はアニメーション界、漫画界、イラスト界のアーティストたち71名が1冊のスケッチブックを「共有」し、1ページに一人ずつ自身の絵やイラストを描いたスケッチブックで、
完成までには2006年から2011までの4年半を費やした。
 
「旅するノートブック」として、スケッチブックは人から人へ手渡されて、南北アメリカ、ヨーロッパ、アジアの12カ国を旅して完成した本が旅した距離は120,044,019キロにも及ぶ。
 
事の発端はフランス人のジェラルド・ゲレルと日本人の堤大介の二人のイラストレーターの何気ない会話から生まれた企画は、やがて壮大なプロジェクトに発展する。
堤大介はいわずと知れた、映画「トイ・ストーリー3」で色彩照明監督をつとめた国際的にも有名なアニメーション・アーティストである。
 
このスケッチブックのコンセプトは、1冊のスケッチブックを共有することで、世界中のアーティストが一つに結ばれることであり、そのチャレンジの目標は異なる文化と異なる才能のアーティストたちがアイディア、コンセプト、ムード、そしてスタイルを共有することにあった。
 
スケッチブックが世界を旅するに際して設けられたルールは大きく二つある。
1)1アーティストが1ページを使って作品を描く
2)スケッチブックを郵送することは禁止。どんなに時間がかかっても、どんなに遠くても、参加アーティストに直接会ってスケッチブックを手渡さなければならないこと。
 
スケッチブックは郵送ではなくオリンピックの聖火のようにアーティストの手から手へ渡されていく。
そんな作品とアーティストをつなぐ趣旨に感動し、子供のような興奮を覚えた。
 
さらにアーティスト全員のスケッチが完成した後は、作品はオークションにかけられその収益金はアーティストたちで決めたチャリティ団体へ寄付されることだった。
 
宮崎駿も最後のページを飾っている。
 
想像してみて欲しい。手渡されたアーティストは、先に描かれたすばらしい才能の画家たちの作品を目の当たりにし、好奇心と興奮と高揚感、そしてそこに関われた誇りを体感すると同時に、優劣を競いあうものではないにしろ、それまでのクオリティを損なわず自分らしい作品は描けるかと誰もが心の葛藤を感じながら、挑戦と勇気をもって参画することになる。
 
そして4年半の歳月をかけて、最終頁をかざる宮崎駿氏に堤氏がスケッチブックを手渡した想いは間違いなく「繋いでいく」ことの集大成だったのではないかと想像する。
 
「ページをめくると絵をとおして感じることができる誰よりもうまくなりたいという思い。
子供時代のポエジィ、空想、ユーモア、悲しみ、成熟への一歩、おとぎ話、汗、不安、素敵な夢と悪夢、喜びと悲しみの涙、悪魔と天使、ひらめき、失敗、あやまち、いらだち、挑発、賛辞、拒否の目配せ、笑顔と指紋。
これらが表すものは結局のところ人間である」
 
とスケッチトラベルの紹介する記述がある。くわえてあるアーティストの傑作を観た別のアーティスト、デ・セブの葛藤を示すエピソードがこれだ。
 
「僕はもう頭を抱えてしまいました。こんな奴のあとにどうやって続けばいいっていうのだろう。その最後のイメージにやられてしまって、正直いうと、ここに絵を描くのが怖くなりました」

 

 

 

スケッチトラベルが出版された2012年当時のユネスコによれば10億人のうち4分の3の人が読み書きができないという調査報告だった。
 
子供たちが生涯の読者になるためには読み書きを覚えるだけでなく、興味がそそられる本と出合うことが重要と唱えている。
しかしながら発展途上国の現実は、読める本の多くは古く、外国語で書かれているか、クオリティが低いか、または大人向けの本だという。
 
また読み書きのできない子供の圧倒的多数は少女たちだと指摘する。
経済的、文化的偏見、そして性差別がその理由である。
 
スケッチトラベルの収益は最終的にはアーティストが選んだチャリティ団体に寄付されることになっていた。
ともあれ完成されたスケッチブックはオークションにかけられ、チャリティの収益は少女のための教育プログラムを構築したジェンダー平等活動に取り組む「ルーム・トゥ・リード」の支援団体へ寄付されることになった。
目的は少女たちを学校からドロップアウトさせることなくやる気をおこさせ、中等学校で勉強を続けられるために支援する活動に充てられる。
 
読み書き能力と読書習慣は互いが互いを強化しあうと「ルーム・トゥ・リード」は提唱する。
結果、スケッチトラベルのオークションの収益金は2012年にカンボジア、ラオス、ネパール、スリランカ、そしてベトナムの各国に5つの図書館をたて2000人以上の子供たちが恩恵を受けることになり、図書館には英語と母国語で書かれた本が並ぶことになった。
また同団体は2020年の報告で1800万人の世界の子供たちを支援するに至っている。
 
世界中のアーティストによって結ばれた絵の集大成が、発展途上国に図書館をたて、本をそろえて子供たちに「読む」機会を与えた功績は大きい。

 

 

 

どのような芸術も最後まで残るものには「使命」が伴う。

アニメーション界の巨匠「フレデリック・パック」もスケッチブックトラベルのなかでこう述べている。
「もし私たちのつくる作品に世の中への使命がなかったら、いったい何の意味があるんだい?」
 
結局、文学も芸術も先人が創り出したものにインスピレーションや感動を受けながら、後につづく創造へ影響を与える役割にほかならない。
 
そして文章はあらゆる人の想いや時代が抱えるテーマや課題、もしくは文化の空気感を個人の言葉でつなぐにすぎない。
 
時代も人も生きている。
だれもが文章を通して誰かの頭のなかにある世界観をのぞいてみたい、知りたいと思うシンプルな要求を本は叶えてくれる。
 
私たちは芸術や文学をつうじて自分と対話する。
その対話は誰の言葉にもさえぎられず、自由な発想へと続く対話だ。
そこで生まれた新たな発想も、結局は文字や文章として残さないと、どれだけ優れた発想や考え、悟りや気づきも、蒸発する液体のように消えさってしまう。

 

 

 

すなわち自分におきかえてみたとき、文章をよりうまく書くことや、読者を惹きつけるスキルを学ぶことにもまして、私がライティング・ゼミとライターズ倶楽部を通して学んだ最も重要なことのひとつに、同じ時代とタイミングに「書く」機会を与えられた同志たちと講師陣から表現の多様性の学びがあった。
 
特にライターズ倶楽部に加わってからは、与えられた週刊テーマにそって書く記事は、十人十色のまったく違う視点とトピックがうまれ、書き手の想いが届けられたことに驚きと感動をかくせない。
その多様な創造力に刺激を受け、自身も成長できたように思う。
 
最近、多様性の受け入れが叫ばれる時流において「受け入れること」は時に強い影響やインスピレーションを受容すると同時に、自分にないものを知り、自身を謙虚にそして正直にしてくれることを知った。
 
何度も何度も、このまま、何も書けないのではないかと焦る日もあった。
 
特に締め切り期日の朝は、どんな朝も明けるのに自分のページだけは白紙のまま未完で終わってしまうのではないかと怖くなることもあった。
しかしひたぶる根気強く頭のなかでバラバラになっていた思考を文字にすることで、やがて整理され、自分への問いかけに変わる。
 
それが本当に自分の書きたいことなのか?
何を伝えたくて書くのか?
自問自答の連続だった。
やがて創りだした文章は完成すると自分の思考から切り放されて、読み手である誰かの思考にゆだねられる。
 
 
私は旅が好きだが、いまはCOVID-19の影響で外出も控えている。
しかし私の文章はWEBを介して私の代わりに遠く離れた見知らぬ読者のもとに旅してくれる。
 
こんな素敵なできごとが自分の人生におこるなんて、ライティング・ゼミを知る前までは、まったく想像すらできなかった。
 
もし文章がなくなってしまったら……。
 
私たちは自分を導いてくれる一灯の光を失うことになるだろう。そして人とつながる大切な糸を見失うことになるだろう。
 
それでも……。
万が一、文章がなくなってしまっても、私たちの祖先が発禁書を命がけで隠し守りながら後世に伝えたように、時には創造の種をはぐくむために絵を描き、歓喜や生きる勇気を伝えるために踊り、忘れてはならない物語は言葉で語り継ぎ、豊かに生きるために音楽をつくり、そして文学をおこした人類の英知の循環を信じたい。
 
何度でも何度でも……。
 
かつて二人の青年が、何でもない日常にスケッチブックを共有することを思いつき、世界のアーティストを巻き込み互いの創造力に影響を与えながら、人をつなげ、そして未来の子供たちに本を授けるという知恵の種をまいたように……。
 
そんな奇跡が起こることを私は信じていきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
月之まゆみ(READING LIFE編集部 ライターズ倶楽部)

大阪府生まれ。公共事業のプログラマーから人材サービス業界へ転職。外資系派遣会社にて業務委託の新規立ち上げ・構築・マネージメントを十数社担当し、大阪地場の派遣会社にて現在、新規事業の企画戦略に携わる。2021年 ライティング・ゼミに参加。書き、伝える楽しさを学ぶ。
ライフワークの趣味として世界旅行など。1980年代~現在まで、69カ国訪問歴あり。
旅を通じてえた学びや心をゆさぶる感動を伝えたい。

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2021-09-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.143

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