週刊READING LIFE vol.143

ライティングは「自分のこころの答え探し」のための最強ツール《週刊READING LIFE Vol.143 もしも世界から「文章」がなくなったとしたら》


2021/09/13/公開
記事:垣尾成利(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
幼い頃から自分の気持ちを表現するのが下手だった。
 
嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、嫌だという思いも、人に伝えるのが苦手だった。
 
伝えるのは苦手だったけれど、心の中ではいつも様々な感情が入り交じっていて、糸が絡まったように感情がもつれてしまい、自分の気持ちがわからなくなることも多かった。
 
自分がどう感じているのか?
 
見失ったまま口に出すと、大抵失敗してしまって嫌な思いをする。
特に、怒りや疑問、不満といった感情の取り扱いには苦労した。
 
学級会、委員会の会議など、みんなといる時に話し合いの場が設けられたりすると、毎回落ち込んでばかりだった。
 
一生懸命に考えて発言しても、場違いな意見だったり、全体の意見に反するものだったりして、言ったことを後悔することも多かった。
 
あんなこと言わなきゃ良かったな。
なんであんな言い方しか出来なかったのだろう。
もっと言いたいことは他にあったのに、結局思ったことは半分も言えなかったな。
 
即興、が苦手だったんだと今ならわかる。
 
その場の勢いで言ったことで友達との関係を悪くしてしまったり、自分の状況を正しく説明できなくて上手く立ち回ったヤツの思惑通りに悪者にされてしまったり、感じたことを即座に言葉にして整理して伝わる言葉で伝えるのが下手だったことで嫌な思いをすることが多かった。
 
上手く言えないものだから、すぐ表情に出てしまう。
自分がどんな表情をしてしまっているか? よくわかっていたので、その顔を見られたくないと思う気持ちから余計に人前で感情を見せるのが苦手になっていった。
 
思春期の多感な時期を過ごした高校生の頃は、人の目を見て話すことさえ苦手意識が強くなってしまい、こころの内側を見られないように、周りに壁を立てて、触れられないように、誰も入ってこないよう、必死に守ろうとした。
 
自分の意見も言えず、他人の意見に賛成も反対もできず、ただこころを殺してみんなの邪魔にならないようにそこにいるだけ、になっていった。
 
でも、こころの内側では成長と共に幼い頃以上に感度高く様々な感情を抱くようになっていたから厄介だった。
自分なりの「価値観」は、他人と相容れないものが多いように感じられ、話してもどうせ理解してもらえないのだろうと諦めて、複雑に絡み合った感情に押しつぶされそうになりながら、どうにか生きていたような毎日だった。

 

 

 

その頃、自分の感情をどうにかしたくて苦しんでいた、その思いをノートに書いてみたのが私のライティングの始まりだった。
 
生きづらいと感じて溜め込んでいた感情が、次々に溢れ出てノートに注ぎ込まれていった。
 
その時その時に上手く言えなかったことを後から振り返って、あの時こう言いたかったんだ、って言えなかった気持ちを書くようになったら、少しずつこころの中の絡まって積み上がっていた感情が整理されていき、こころが軽くなっていくのがわかった。
 
ああ、自分はこう言いたかったのか。
こんなふうに感じていたのか。
この気持ちをわかって欲しかったのか。
 
口に出して言えなくても、自分の気持ちを一番理解してくれる存在になったもの。
それがライティングだった。
日記ではなく、自分と向き合って会話するように、いろんなことをノートに書くようになった。
書きながらやっていたことは、「自分のこころの答え探し」だった。
 
ノートに書くことは、自分の気持ちと向き合って、苦しさを感じている出来事を整理し、一歩を踏み出すための答えを探すために欠かせないものとなっていった。
 
こころのコップに日々溜まっていくマイナスな感情。
私は、ライティングを始めるまで、感情がコップから溢れ出さないように上手に汲み出す方法を知らなかった。
 
初めてノートに思いを綴った時、心に溜まって澱んだまま積み上がった感情の汲み出し方がわかったように思えたのだった。
 
それ以来、自分の気持ちを書いて文章にすることが、こころのコップに溜まるマイナスな感情を溢れさせないために必要だと思い、毎日のように思いを綴るようになった。
 
高校時代に書いたノートは今も全部大切に残してある。
わざわざ開いて読み直すことはしないけれど、死ぬまで捨てられないだろうし、家族には読まずに棺桶に入れてくれと頼んである。
 
あの頃必死に綴った文字たちは、高校生の自分の姿そのものだ。
文字通り「多感」な高校生だった私が敏感に感じていた様々な気持ち。
誰にも上手く伝えられなくて、独りで抱え込んでは苦しんだ。
決して上手く書けているわけではないけれど、等身大の自分が、ありのままを曝け出すことができた唯一の場所、それがそのノートだった。
 
あの頃、文章を書くことをしていなかったら、きっと抱えきれないほどの感情に押し潰されていただろうな、と思うくらい自分を支えてくれたのはライティングだった。

 

 

 

しかし、大人になって、書くことが感情を整えるために必要なことだ、ということをすっかり忘れてしまった。
それはなぜかと言うと、こころの内側を人に見せることができるようになってきたからだった。
年齢を重ね、少し強くなったのだろう、こころの内側を見せてしまったほうが楽だと思うようになっていたし、社会人になって、仕事で嫌なことや辛いことがあった時、わざわざ文章に書かなくても、誰かに愚痴ったり文句を言い合ったり、時には憂さ晴らしで酒に助けられたりしながら、乗り越えていくことができるようになっていたからだ。
 
時代が進み、インターネットが世の中に生まれ、メールや掲示板で自分の思いを綴れる場が増えていった。
 
同じようなことで苦しんでいる人がいることを、簡単に知ることができる世の中になっていった。
 
自分が誰なのか、名乗ることなく自分の考えを伝えたり、見知らぬ誰かからコメントをもらえたりすることが当たり前にできるようになった。
 
かつて、自分と向き合うことでしか苦しい気持ちを分け合うことができなかったのに、気軽に誰かに話すことができるようになった。
 
そんな時代背景に乗っかり、匿名でブログを開設して文句や愚痴、面と向かって言えないようなドロドロした感情を吐き出すようになって、高校生の頃ノートに書いていたことと同じことをしていることに気付き、やっぱり自分にはライティングが必要だと再認識したのだった。
 
更に時代は進み、SNSの出番だ。
匿名ではなく、私のことを知っている人とのコミュニケーションの場で、自分の思いを綴ることが一般的になっていった。
 
実際に面識のある人が私の書いた文章を読んで反応してくれる。
これは何とも言えない喜びがあった。
今まで言えなくて一人で抱えていたことを文字を通じて知ってもらえる。
当然、理解してくれる人ばかりではなかったけれど、自分の気持ちを伝えることができる、ということが私にはとても魅力的に感じたので、毎日のように何かを書くようになっていった。
 
この頃、文章を綴ることの楽しみ以上に自分の気持ちを知ってくれる人がいることが嬉しくて、ただわかって欲しい欲求だけでいろんなことを書いていて、そのことで誰かを不快にさせたり、傷付けるようなことをしてしまっていたのは大きな反省材料となった。
 
「あなたの書く文章を読むと、気持ちがザラザラしてくる」
そんなふうに言ってくれた友人がいた。
 
その時、私はライティングと間違った向き合い方をしていたことに気付いた。
 
何を書いてもいいし、どんな歪んだ主張をしてもいい、ここは自分の場所なのだから。
そんな間違った考えで文章を書いてしまっていたのだ。

 

 

 

この忠告のお陰で書いた文章に責任を持つ、という意識が持てるようになった。
 
自分以外の誰かの目に触れる形で文章を書くと言うことは、書いた文章が誰かを傷付けるかもしれないということだ。
 
誰も傷付けない文章を書けるようにならないといけない。
書いた文章が、誰かのこころに傷を負わせるようなものになってはいけない。
私が書いた文章を読んだ人が、前向きな気持ちで生きることを考えられるようになったり、
生きることの支えになるような、そんな文章を書けるようになりたい、
そう思うようになった。
 
今このライターズ倶楽部では、「誰かへのエール」を贈るような文章を書くことを目指して課題に取り組んでいる。
大きなテーマだなぁと、自分でも風呂敷を広げすぎたかなと思う。
 
でも、そう思って書くようになって、自分自身の生き方も大きく変わってきたように感じている。
 
誰に見られても恥ずかしくないような生き方をしよう。
自分の人生と真っ直ぐに向き合って、後悔のないようによく考えて行動しよう。
人にやさしい気持ちで向き合うことを大切にしよう。
喜怒哀楽、どんな感情とも平等に向き合って、立ち止まったり横道に逸れたりしながらもちゃんと前に進んでいると思える選択をしよう。
 
自分がしたどんな選択も、後悔で終わらないような生き方をしようと思えるようになったのは、ライティングを通じて自分自身と向き合ってきたことで得られた大きな成果物だ。
 
思ったことをそのまま文章にすることを意識して書くことを続けたお陰で、自分の気持ちを見つけるのも早くなったし、どう表現すればよいか、言葉を選択するのも早くなった。
今では話しながら頭の中に文章が浮かび、それをすぐに言葉にして伝えることができるようにもなり、人前で意見が言えるようになった。
 
文章を書くという表現方法が私にはとても合っていたのだな、と実感している。
 
もし、世界から文章がなくなったとしたら、私は自分と向き合う術を失ってしまい、生き方そのものを見失ってしまうかもしれないと思うくらい、書くことが自分自身と向き合うための最強のツールになっていると実感している。
 
私のこれからも、明るく照らしてくれるよう、ライティングを通じて自分自身と向き合い、楽しみながら「自分のこころの答え探し」をしていきたいと思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
垣尾成利(READING LIFE編集部 ライターズ俱楽部)

兵庫県生まれ。
2020年5月開講ライティングゼミ、2020年12月開講ライティングゼミ受講を経て2021年3月よりライターズ俱楽部に参加。
「誰かへのエール」をテーマに、自身の経験を踏まえて前向きに生きる、生きることの支えになるような文章を綴れるようになりたいと思っています。

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2021-09-13 | Posted in 週刊READING LIFE vol.143

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