人生で大切なのは間(ま)である《週刊READING LIFE Vol.168 座右の銘》
2022/05/09/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「あの、ちょっと早くて、よくわかりませんでした」
私が断捨離トレーナーとなってまだ日が浅かったころ、受け持った講座で話をした際、そんな感想を伝えられたことがあった。
伝えなくてはいけないコンテンツがしっかりあって、時間も限られている。
そこに、自分の経験や例を挙げながら、受講生さんたちに伝える身として、あれも言わなければ、これも伝えたい、そんな思いがあふれていた。
私が早口だった原因を、その当時はそこにあるのだと思い込んでいた。
つい、早口になってしまうから、もっと落ち着いてしゃべらないと、そんなふうに思っていたのだ。
私は、子どもの頃から人見知りで、人前に出るとまるでしゃべれないのだが、家族の中では言いたいことを何でも言う方だった。
祖父、父、兄たち男性を上と考え、女、子どもはその次の存在というふうに昭和一桁生まれの母は思っていた時代だった。
例えば、洗濯物をたたんでも、母や私、妹のモノは下へ、父や兄のモノを上に置くくらい徹底していたのだ。
子どもながらに、そういう母の行動には理解が出来ず、「何で?」という質問を母に投げかけても、それに対する答えは、「何でも!」だったのだ。
すると、ますます不満がたまってゆき、その解決しようがない問題が気になればなるほど、私は他の手段で男たちに勝ちたいと、どこかで思うようになったのかもしれない。
良いのか悪いのか、当時から私は要領が良い子どもだった。
カンが鋭く、周りの様子が伺えるものだから、先回りしてあれこれと考え、上手く振る舞うことができたのだ。
今思うと、そんな子どもの頃から、頭の回転が早かったのだ。
そのカンの良さと頭の回転の早さは、何よりも口に現われた。
関西にあるわが家は、日常にお笑いがあった。
吉本新喜劇を見ながら、土曜日のお昼ご飯を食べるのが習慣でもあったので、お笑いの感覚というものを子どもの頃から身に着けている子が多かった。
わが家でも、兄としゃべるときには、兄がボケるとツッコまないと怒られたし、オチのない話は受け入れてもらえなかった。
同じ話をするにも、いかに笑わせるか、オチを作るかを工夫しながら話すのが当たり前となっていた。
そうなると、口もどういうわけか早くなり、そのテンポの良さが重要視されていたので、私のしゃべり口調はどんどん早くなっていった。
兄とケンカするときにも、まくしたてるようにしゃべる私は口では負かすことが出来たのだ。
もちろん、母からは、「女の子のくせに」と、毎回叱られたのだが、それでなくても男が上、女はそれに従うという考えが面白くなかった私は、せめて口ぐらいでは勝ちたいと常に思っていたのだ。
早口でまくしたて、相手を負かした時の爽快感だけが私の心の中のモヤモヤを解消してくれたのだ。
子どもということもあって、別に手を出してケンカしている訳でもないので、毎回、母からたしなめられながらも、たいていのことは許された時代でもあった。
そんな子ども時代、私にはもう一つの特徴があった。
几帳面でモノの整理整頓がキッチリと出来たのだ。
与えられたモノは大切にしまい、丁寧に使っていた。
文房具やおもちゃ、衣類に至るまで、自分できちんときれいに収納していた。
勉強机の引き出しの中には、お菓子の空き箱をパズルのように組み合わせ、そこに鉛筆、消しゴム、定規などの文房具をきれいに収納していた。
衣類はきちんとたたんで、自分のタンスに丁寧にしまっていた。
それだけ整理整頓が出来ていると、どこに何があるかを全部把握できているので、モノをなくすことも、探すこともなかった。
片づけが全くできなくて、モノが増えるたびに、家の中の他の部屋へと進出してゆく母とは180度違う性格だった。
そこから成長するにつれて、ますますモノを手に入れやすくなっていった。
日本の経済成長に連れて、モノを購入する機会が増え、私が子どもの頃とは考えられないくらい、簡単にモノを手に入れることが出来るようになっていった。
元々、整理整頓が得意だったので、いくらモノが増えようと、私の住まいはモノが机に出しっぱなしになったり、床置きしたりすることはなかった。
それでも、時間が経つごとに、確実にモノは増えてゆき、収納場所はモノでギュウギュウになっていた。
やがて、ストレス解消が買い物になってゆくと、尋常ではないくらいのモノが常に家にやってきて、収納家具は増え、モノはひしめき合うようにして家の中に収まっている様と化していった。
ストレス解消の買い物に走っていた最初の頃、思うモノが手に入ることに喜び、達成感を感
じ、まるで豊かになってゆくように思っていた。
ところが、そんなふうに思っていたのも束の間だった。
しばらく経つと、もう家にいるのが苦痛になっていったのだ。
家にいてもイライラして、落ち着かないのだ。
いつも、外に出る用事を作り、外へ外へと気持ちが向いて行ったのだ。
そんなある時、出会った断捨離が私のこれまでの人生の答え合わせをしてくれた。
講師として講座で話す私が、いつも早口だったのは、不安だったからだ。
ずっとしゃべり続けるのは、間があくのが不安だったのだ。
それは、自分への自信のなさの表われだった。
不安だから、誰かに言葉をはさまれたくない。
もちろん、講座を受講している人が途中で話し出すことなんてないのに、なぜか不安に思っていたのだ。
兄と口ゲンカをしていたときも、相手にしゃべらすと、年上の兄だから負けてしまうかもしれない。
だから、相手にしゃべるスキを与えないように、機関銃のようにしゃべり続けたのだ。
そんな私の早口のクセは、やがて人の話を聞かないという方向へも行ってしまったのだ。
そうなると、ただただ自分の世界にとどまるような、そんな孤独感の中に陥ってしまった。
相手に対する不安から自分の思いのみを相手にぶつけ、その相手の反応を受け入れることすら拒否するということは、完全に孤立をしていることになる。
同じく、家の中にもモノを大量に取り入れ、テトリスのように収納していた時代、私は夫婦の関係に生じた問題に悩み、心が寂しかったのだ。
だから、その心の隙間にモノを詰め込んで、癒そうとしていたのかもしれない。
それが最初、小さな満足感を得て、豊かだと思ったものだが、やがてはただ息苦しく問題をすり替えても何の解決にもならないことを思い知った。
モノがあればあるだけ、空しさを感じるようになったのだ。
そこから、ふとしたきっかけで断捨離に出会ったことで、家の中にあった大量のモノを手放すことを始めてから変化を感じるようになっていった。
手に入れたモノは全て収納していたが、あらためて向き合ってみると、ほとんどのモノがもう関係が終わった、不要なモノばかりだった。
それらが一つ、またひとつと家から出てゆくにつれて、やがて家の中には空間が戻ってきた。
マンションのわが家の壁は、実は白い壁紙だったと思い出すことが出来たのは、不要な収納家具までも出して行った時だった。
家の中に戻ってきた空間は、やがて私の心の中までも変えていったのだ。
これまで、家の中にいても落ち着かなかった私だったが家の中に出来た空間に比例するように、気持ちにもゆとりが生まれていった。
いつもセカセカと時間を気にしながら、機械のようにルーティングワークをこなしていた私が、日々の生活を楽しむことが出来るようになっていったのだ。
モノがギュウギュウに詰め込まれていた時代、心も、時間もいつもタイトだったのだ。
目の前に咲く、名もない花に目を向けることもなかった。
庭に遊びに来る鳥のさえずりも耳には入っていなかった。
それが、ゆとりを取り戻すことで、生活にも潤いが生まれていったのだ。
つくづく、これまでの人生で私に足りなかったのは、間だとわかった。
それは、時間だったり、空間だったり。
しゃべっているときにも、一呼吸置くということが怖かった。
ずっとしゃべり続けないと、相手からの言葉を投げかけられることに不安を感じていたのだ。
でも、それでは、人には何も伝わっていなかったのだ。
一方的に、私の言葉や思いを投げているだけだった。
人との意思の疎通、コミュニケーションには程遠かったと今ならばわかる。
それが、結果、自分を苦しめることとなっていたのだ。
時間にも、空間にもゆとりが持てなかった時は、スケジュールをただこなして
日々の生活も規則正しくは送っていたものの、淡々とただやり過ごしていたようなものだった。
時間、空間にゆとりがないので、人生を楽しむゆとりもなかった。
家の中の不要なモノを出してゆくにつれて、そこにこめていた不安な思いも手放してゆけたので、しゃべるときにも相手を見るゆとりが生まれ、一呼吸おく間もとれるようになってきた。
人生、ただあくせく生き急ぐようなものだと味気ないものでしかない。
会話にも、間をとり、一呼吸とる余裕を持って話すことで、相手の思いを汲み取ることが出来るようになるものだ。
一方通行だったコミュニケーションがキャッチボールのようになってゆくことで、人間関係にも変化をもたらすことが出来た。
人の話を聞き、感動したり、考えたり、そうやって人と関わり、悩んだりしながら人間関係を築き、さらには成長にもつながってゆくと思うのだ。
そして、住まいもモノを詰め込み過ぎることなく、空間のゆとりを取り戻すことで、住まいにあるモノ一つひとつとのコミュニケーションも取れるようになり、初めて人生が豊かに感じられるようになった。
人生に大切なのは、間(ま)だと、私は心からそう思う。
□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
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