映画『リンカーン』スティーブン・スピルバーグ監督《READING LIFE EXTRA》
何分、昔の話だったので、後付の推論でしょうが、リンカーン大統領はマルファン症候群だったという話がございます。
スティーブン・スピルバーグによって再現された映画を観て、なるほどそうだったのかも知れないと思わなくもありませんでした。
マルファン症候群は、長身になるの特徴があって、著名なバレーボールの選手やピアニスト、モデルにも、これに罹っていたと言われている人は、案外多くいます。
マルファン症候群であったかどうかは定かではありませんが、ともあれ、リンカーンは、長身で、独特の雰囲気があって、しかも知性に満ち溢れている。
すなわち、ひと目で他とは違うと、それこそ「人民(People)」が認識しやすかったのだろうと思います。
それでいて、これは人徳なのでしょうが、冒頭のシーンでもあったように、一般の人民からも人気があり、話しかけられるような人で、時に決断について部下に責められることもあるのですが、リンカーンは、それに対して自らの感情や意見はすぐには露わにはせずに、ワンテンポおいて、微笑む余裕すらみせ、つねに「逸話」によってそこにいる人々に自分が伝えたいことを穏やかに、けれども真意までしっかりと伝える、類まれなる能力があったようです。
ある種の、有能な「ストーリーテラー」だったと見ていいでしょう。
人にはそれぞれの立場があって、もちろん、様々な意見があり、様々な矜持があります。
おそらく、それは「優劣」以上に複雑なポジショニングによって構成されていて、それが「権威」や「威厳」に変換されるのだろうと思います。すなわち、「優れている」からといって、そのコミュニティにおいては「正しい」とは限らないということです。
むしろ、「優れ過ぎる」創造は、圧倒的な破壊よりもむしろ脅威として受け取られる場合があって、特に日本の場合は「ムラ社会」の隠然たるルールによって出る前に封殺され、特にアメリカでは出きってしまったものを一発の銃弾によって葬り去ってしまう。
おそらく、リンカーンはあれよりも以前にいくらでも暗殺される危機があったのでしょうけれども、あの風貌とワンテンポ遅れの余裕とストーリーテリングによって、自らの大きな目的を達成するまで、命をながらえることができたとも、あるいは考えられるかも知れません。
一発の銃弾は、たしかに受けた側からいえば凶悪以外のなにものでもないでしょうけれども、放ったほうのサイドからいえば、圧倒的な正義でもある。
そのことを忘れてはならないのだと思いました。
また、「自由」とはどういうことなのだろう、「平等」とはどういうことなのだろうと、映画を観ている間中、ずっと考えさせられて、今これを書いている間も考えております。
そして、目に見えない奴隷制度が今も延々と続いている現在の社会を、たとえ一隅からだとしても、何とかしていかなければならないと思いました。
「隗より始めよ」ならぬ、「天狼院より始めよ」ということで、天狼院では、新しい働き方についても実践的に提示していければと思っております。
さて、仕事に戻ることにいたしましょう。