チーム天狼院

本屋というポジショニングは、非常にまずい。〜人類史上初めて「本」が滅ぶ可能性が出てきた時代の本屋の店主として〜


記事:三浦 崇典(天狼院書店店主)

「これは、本気でやばいかもしれない……」

思わず、そう呟いていた。おそらく、顔面が蒼白だっただろうと思う。少なくとも、鳥肌が立っていたのはまちがいない。

僕にとって、親和性が極めて低い、ランジェリーの歴史についての講義を受けているときのことだった。その道数十年、ランジェリー・ビジネスの舞台で戦ってきた方が講師で、僕は多くの女性受講生に混じって、真剣に講義を聞いていたのだ。

最初はほんのイタズラ心だったろうと思う。
iPad Proを広げて、ためしに、今話題のAI、ChatGPTを開きながら講義を受けることにした。

講師が言った内容を、同時にChatGPTに聞いて見たのだ。

瞬時に、ChatGPTは答えを生成し、それに対して生まれたさらなる僕の疑問に、ChatGPTは即座に答えた。
講義を聞きながら、とんでもない速さでChatGPTともやり取りを繰り返していくうちに、当然、膨大なテキストの山が生成された。

それは、僕にとって見たことも聞いたこともない世界の話で、単純に極めて面白く、探究心はさらに進んだ。

近代のランジェリーの誕生は、コルセットからの解放運動に関わりがあることについて、講師が話している間に、その歴史をChatGPTと紐解いていった。

それは、女性解放運動の歴史であるということもわかってきた。

さらにさらに深堀りしていくうちに、原始ランジェリーにたどり着き、それらのやり取りを元に、ランジェリーの歴史に関する書籍を執筆するとすれば、どのような目次・構成がいいだろうかとChatGPTに聞いてみた。

その精度が、凄まじかったのだ。

羅列された項目案は、もはや、編集者レベルだった。

ためしに1つの項目の執筆までChatGPTに頼んでみた。

同時に、そのテーマに関して、Googleなどで検索して様々調べてみた。結果は、ChatGPTのほうが調べて出した結果が広範囲に渡っており、その精度も高いように見えた。

「これは、大変な時代になった」

もう、講義どころではなかった。
となりでその僕の様子を横目で見ていたスタッフは、僕があまりに熱心に講義を聞いているように見えたのだろう。お客様からの質問が終わったあとに、気を回して、僕に振った。三浦さんは質問があるんじゃないかと。講義に対して質問があるわけではなかった。ただし、ChatGPTの精度が専門家から見てどうなのか確認するために、ChatGPTとのやり取りの中で生じた質問を、講師にもしてみた。

ChatGPTは、即答だった。
けれども、講師の方の答えは、専門分野からちょっと逸脱する内容だったので、明瞭ではなかった。

ある意味、広範囲な知識を横断的に持っているChatGPTの勝利と言えた。

僕は、この結果を恐怖と戦慄とともに受け止めた。

なぜなら、直感的にこう思ったからだ。

「もしかして、本屋がなくなるかもしれない」

そう脳内で、文字に変換してしまうと、本屋の経営者として将来に対して、瞬く間に大きな暗雲が立ち込める感覚に陥った。

これは、まずい。
本屋というポジショニングは、非常にまずい。

これまでならわからない分野のことは、講師に聞いたり、本で読んだりして知識を補ってきた。けれどもどうだろうか。これからの時代はChatGPTに聞けば、専門家レベルで、あるいは、専門家レベル以上のアウトプットをChatGPTはしてしまうのだ。

だれがわざわざ本を買うのだろうか?
簡単に情報を手に入れられるだけではないのだ。

問題は、瞬時に知らない分野の本の目次・構成まで瞬く間に作ってしまうことができるということだーー

それはつまり、個々人が即時的に、その場で「本」を作れてしまうということなのだ。

前に、神保町の三省堂書店さんで、PDFなどのデータがあれば、その場で文庫本を作れてしまうという、当時800万円ほどする機械を見せてもらったことがある。

これは、時代が変わると思った。

だが、あのときは、誰もが書籍レベルの情報がパッケージとして詰め込まれたPDFを制作することは不可能だった。

電子書籍の登場もそうだ。本質的には何も変わらないだろうと思った。現に、紙か電子かの選択肢が増えただけの話であって、本質的な意味での「有益な情報」を課金することによって享受するという行為は変わりがなかった。

そう、本屋の存在意味は、課金しなければ見られない「有益な情報」のパッケージである本を、何らかの手段で消費者に販売して業として成り立っている。その意味で、出版社も学校も変わらないだろうと僕は思っている。

「有益な情報」が本だとすれば、その「有益な情報」が作れる人が利益を享受することができる。そこに、解除条件としてのビジネスが生まれる。

簡単にいえば「これから先、読みたければ課金してね」のWebでよく見かけるあれである。

ところがどうであろう。

有料級の超絶「有益な情報」を、その場で、ほしいときにChatGPTが即座に生成してくれるのだとしたら、そのパッケージがほとんどタダみたいに手に入れられるのだとしたら、誰がお金を払って本というパッケージを買うだろうか。

そう、我々はもしかして、人類史上初めて、本質的な意味での「本」が消滅する可能性がある時代を生きていることになるのではないだろうか。

そもそも、グーテンベルクの印刷革命によって、それまで帝王学として王侯貴族に独占されていたリベラルアーツ系の学問は、一般にも安価に解放されることになった。知っての通り、大学者アリストテレスはアレキサンダー大王の家庭教師だった。アリストテレスのような大学者の知識が平民も含めた一般に流布されるようになったのは、随分後の時代のことだ。特権階級の独占物だった。ところが、印刷技術によってその独占が儚くなった。

印刷革命は「知の解放運動」でもあった。

それは、インターネットでも同じことだった。それまでかなりの費用が生じてようやく手に入られていた情報が、かなり安価に検索によって手に入れられるようになった。

しかし、今回のAIによる革命は、それとは革命の規模が違うのだ。次元と言ってもいいかもしれない。

なぜなら、誰もが安価にアリストテレスと会話ができるようになり、アリストテレスと一緒に本を作れることになったからだ。おそろしいのは、それがアリストテレスだけでなく、仏教の高僧にもなれるし、一流のコンピュータ・エンジニアにもなれるということだ。そして、ランジェリーの歴史の専門家にもなれるーー

本を作れるレベルの超一流の知識人に、常時質問ができるという異次元の革命が、成し遂げられたのだ。

誰が、この先、本を買うのだろう。

おそらく、ChatGPTの優位性に気づかない、一部の情報に敏感ではない人々だけを相手に、細々と業を営まなければならなくなるーーあるいは、ストリーミングやダウンロードができるのに、レトロな物が好きな”本という物”愛好家に対して、これも細々と業を営むしかないのかもしれない。

そう考えると、出版業も、書店も、壊滅ではないか?
99%がビジネスとしての存在理由を失うのではないか?

僕のポジショニングをもう一度、確かめてみよう。

本屋であり、著者であり、この秋からは「海の出版社」という出版社の代表にもなる。

全滅ではないか。

もはや、先行きに、恐怖と絶望しかなかった。ただしーー

「まてよ」

と、心の声を聞いた。

なにか、胸騒ぎがして、Amazonの購入履歴をたどってみた。
同じように、本屋のレシートをたどってみた。

直感的な予想は、当たっていた。

結論から言えば、本の購入量がChatGPT導入前のおよそ2倍に増えているのだ。

僕はそもそも自他ともに認める”活字中毒者”で、月間の書籍読破量は100冊を超える。コミックや写真集、雑誌も入れるとゆうに超えてくる。

その購入量が、AIを入れてから激増しているのだ。

そのタイトルにも、それまでとは違って偏りがあった。

時代を超えて存在する古典的な内容の本が増えたのだ。たとえば、コトラーの『マーケティング・マネジメント原書16版』をChatGPTを使って読んでいるさなかに、1章程度しか読んでいないにも関わらず、8冊の本を注文し、購入していたのだ。このままだと、1冊をChatGPTと読み終える間に100冊の本を購入してしまうだろう。(※コトラーの『マーケティング・マネジメント』読み潰し実践読書会/マスター版PRPの詳細はこちらから)

また、現在、僕は渋谷のMIYASHITA PARKにある自分の店舗の総店長に就任したのだが、ここの売上を3ヶ月で153.8%に伸ばすために、日々、ChatGPTと対話を繰り返している。この結果として、マネジメント系の本を20冊、また注文してしまっていたのだ。

それの中には、あのマネジメントの大家ドラッカーの15冊にもおよぶ”赤の全集”も含まれていた。

ランジェリーの歴史について、ChatGPTと目次・構成を作ってから、その分野が気になり、講師が紹介していた本も含めて、10冊程度の本を購入していた。かなり古い本もあって、入手は苦戦した。

本が滅ぶかも知れないと思ったが、なぜか、僕の行動は逆行しているのだ。

本の購入量と、読書量がともに激増しているのだ。

おかげでクレジットの限度が迫っているとメールが来て、朝方までChatGPTとやりとりをして、その上で本も読むものだから、今日も寝不足だ。

睡眠不足の歌が頭の中でリフレーンして聞こえてくる。

なぜ、本の購入量と読書量が増えたのか?

考えてみると、その理由も明白だった。

ChatGPTによって、未知なる分野の知的な扉を容易に開けるようになり、知的好奇心が前より爆上がりし、超貪欲に新たな良質の知識を呑み込みたくなってしまったのだ。

これは、もはや、食欲、睡眠欲、性欲の3大欲求にまさるとも劣らない、第4の大欲求が開眼してしまったものと思われる。

本を求めるのは、ChatGPTの知との接触のしやすさと不正確性へのカウンターとして、古典などのコンテンツへの欲求が高まり、さらに古今東西の様々な人の脳の淘汰を経てきた古典への信頼性へ回帰しているとしか思えない。

そう、ChatGPTという迅速かつ広範囲の知的収集ツールを手に入れたコントラストとして、遅行的な知的淘汰をくぐり抜けてきた重厚な古典へよりかかりたい欲求が芽生えたのだろうと思う。

となると、これからは、古典的な本しか残らないのではないだろうかとも思う。

また、無限生成される麻薬的な面白さを内包したストーリーか。

あるいは、有益な情報というより、物としての魅力を備えた美術本や写真集か。

いずれによせ、これからは、本屋の時代なのだろうと、革命の端緒で躊躇うことなく結論づけることにした。

そう、これからは本を読み、本を作り、本を商う我々の時代だ。


関連記事