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私は昨日、肩書きを決めました。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:利根川芙海(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
39歳。夫の転勤で東京から北陸に引っ越して、ちょうど3年になる。2人のまだ小さな娘がいる。家族4人、子ども中心の今の暮らしはおだやかで、毎日とても幸せだ。
 
困っていることがあるとすれば、湿気だ。聞いてはいたけれど、北陸の湿度は想像以上だった。夏の夜、溺れている夢をみてハッとして起きたということも一度ではない。しばらく使わなかった布団、子どもがサイズアウトしたコート、食器棚の奥の切り干し大根は、確実にカビる。
なかでも一番ガックリきたのが、ハイヒールだった。赤いエナメル、黒のビロード、茶色の天然皮……。下駄箱にきれいに並べておいた9足のハイヒールたちがある日、白緑色の綿のような膜でうっすらと覆われていたのだった。
 
ああ、そうだよね。ハイヒールなんかもうずっと履いていないものね。履いていく場所もないし、足の痛さとストッキングの気持ち悪さを考えたら、正直履く気にもなれないもの。でも、だからといってこのハイヒールたちを捨てたら、あのきらきらとしていた時間まで捨ててしまうような気がするじゃない。それに、またいつ履くとも限らない。
 
独身の頃は、それこそ東京でバリバリと働いていた。仕事が好きで面白くて、仕事をしながら夜間の大学院で勉強までしていた。仕事や学びの中で出会う人はみなエネルギッシュで素敵な人ばかり。行く場所だって、今となってはもう二度と行くことはないだろうオシャレなところだった。
 
出産を機に会社を辞めて、名刺と肩書を持たなくなった。はじめは、名刺を出さずに人と会うことが、少し怖くて、少し申し訳ないような気持ちがあった。でも、いつの間にか慣れていった。会うのは大抵子ども関係か近所の人。〇〇ちゃんのお母さん、もしくは「あのオレンジ色のアパートに住んでいます」という自己紹介で事足りるし、相手も名刺を持っていなかったからだ。
 
またいつか恥ずかしくない仕事ができるようになったら名刺を作ろう。
胸をはって仕事を受注できるようになったら、肩書きを持とう、そう思っていた。
それは、あと1年以内に達成できればしめたものだし、3年くらいかかってもまあ仕方ないよね、そう思っていた。
 
ところが昨日。
「肩書きは何ですか?なければ決めてください」と急に言われたのだ。
“移住者”として、県のイベントでちょっとした話をすることになったためだった。
 
「“ライター”さんでいいですか?」と言われた。地元の子育て情報誌のライターをしていたからだ。ライターと言っても、まちの話題や子育て情報を取材して書くママさんライターだ。
どうもしっくりこなかった。ライターとしての腕に自信はないし、季刊誌で数ページ担当しているくらいで、名乗ってはいけない気がした。
 
「“移住者”でお願いします」
そう答えた。
しかしこれもしっくりこなかった。
“移住者” “主婦” 間違いではないけれど、やはり「それだけじゃないんだけど」と心の中で懸命に叫んでいる自分の声を無視するわけにいかなかった。
 
肩書きについては、なんとなくずっと考えてはいた。
それでも、「今すぐ決めて」とは、臨月を待たずに「緊急帝王切開で、赤ちゃんを取り出しましょう」と言われたようなものだった。月が満ちたら、ゆっくりと自然の流れで生まれてくるだろうと悠長に構えていたところに、突然お腹にメスを入れられる気分だった。
 
「5分だけ待っていただけますか?」
担当者にそう伝えて、電話を切った。
 
仕事をしながら通った大学院で勉強していたのは「ソーシャルデザイン」だった。そうだ、「ソーシャルデザイナー」というのはどうだろう。ソーシャルとは社会という意味だ。まちづくりの仕事をしてきたのだし、悪くない。
 
ただ、もう一度今の生活を思い起こしてみる。そんなだいそれたことはしていない。
あ~、なんてちっぽけな自分。狭い世界。
 
そうか、今の私はもしかしたら、ちっぽけな自分、狭い世界をデザインしているではないか。
毎日、家族の食べるメニューを考え、料理をしている。子どもたちの育つ環境を考え、引っ越しもした。暮らしを豊かにするために、ママ友とのサークルも立ち上げた。
そう、この小さな世界を居心地よく、ご機嫌でくらせるようにデザインをしているのは私だ。
 
試しにネットで「半径3メートル」と検索してみた。すると「半径3メートル〇〇〇」という書籍が何冊かヒットした。それはどれも「自分、家族、身近な人」という定義で、その身近な人を幸せにしよう、という趣旨の書籍だった。
あ、これいい。
「半径3メートルソーシャルデザイナー」と名乗ることに決めよう。
 
さっきの電話からちょうど5分。産みの苦しみというほどではないけれど、待ったなしの状態ででてきた「肩書き」は、私という人間を表現するには、割と的をえていると思った。
電話で聞き返されたりしたら恥ずかしいと思い、担当者にメールで連絡してみた。
「いいですね。かっこいいです」
ドキドキしていたのだが、女性の担当者の反応が好感触だったので、ほっとした。
 
それからというもの、不思議なことにあらゆることが「ネタ化」して見えるようになった。
ママ友の愚痴を聞くのは苦手だったが、今朝聞いた愚痴は、半径3メートルソーシャルのデザインネタとして、「いただき」だと思えた。
考えているうちに「子育てしているママは、みな半径3メートルソーシャルデザイナーです」なんていう、〆の文句まで浮かんできた。何の〆かもわらかないけれど。
 
仕事ができるようになったから名刺を持つのではない。
仕事を受注できるようになったから肩書きをもつのでもない。
肩書きを持って、名刺を持つことで、仕事を作り出すことができるのだ。
それは、周囲に対してだけでなく、自分自身の思考回路が整理されるという意味でもとても有効だと思う。
漠然と考えていることが意味を持ち、重ねる日々が実績となる。
 
私は昨日から、「半径3メートルソーシャルデザイナー」になった。
もう、北陸の湿気も怖くない。都会で働いていた頃の自分を、下駄箱に後生大事にしまっておく必要などないのだ。
今の自分に合った新しい靴を買えばいいのだから。
 
それに、自分の大切なハイヒールがカビてしまったのなら、ママ友の誰かのハイヒールもカビてしまっているに違いない。それなら、湿気をとるのか、湿気を生かすのか、湿気とどうつきあっていくのか。これも、半径3メートルソーシャルデザインのネタになる。
ここでの、これからの暮らしをデザインしてくのは私だ。
 
 
 
 
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2019-06-21 | Posted in 記事

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