メディアグランプリ

レースに負けて、手に入れたもの


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記事:ten.co(ライティングゼミ・通信限定コース)
 
 
私は敗者だ。
私たち夫婦は2人目の子供を望み、努力したが、恵まれなかった。この、私が私ひとりで開催した妊娠レースにおいて、自分を敗者だと私は思っている。
そもそも生殖において勝つも負けるもないということは頭ではわかっているが、私の認識の中ではそうなのだ。
私も夫も子供3人の家庭で育ったせいもあり、子供というのは望めば生まれてくるものだと漠然と思っていた。しかし夫婦それぞれに身体的に問題があったわけではなかったものの、どうやら自然には恵まれそうでなく、私たちはいわゆる不妊治療を開始した。
 
最初は近所の婦人科で指導を受けつつ自然妊娠を目指したが、1年半経って、専門の病院での高度治療に切り替えた。
私たちが選んだ高度治療とは、ざっくり言うと、体外で精子と卵子を受精させる、人工的な手法での妊娠を目指すこと。卵子は薬で強制的にたくさん作るよう促し、母体から取り出す。精子は元気がいいものを選んで卵子と出会わせ、ある程度育ったら母体に戻す。
 
この一連の過程が私の精神と身体に与えるダメージは、本当に大きかった。
月に何度も病院に行った。婦人科という場所柄、診察も特殊で苦しい。
本来なら1回の排卵で卵は1個しか作らないのが人間なのに、薬や注射によって何個も無理矢理作る。人間の自然の摂理を犯している気分が半端ない。そしてまたこの注射が痛い。
そうまでしても元気な卵が全くできない時もあれば、受精しても、またなんとか母体に戻せても、育たない。
「今回はうまくいきませんでした」
淡々と告げる医師の言葉を聞きながら、ああ、また来月も……と暗澹とした気持ちになる。毎月、お前は落第だと言われているようだった。
 
友人には3人目、4人目のお子さんが「できちゃった」人が少なからずいた。
おめでとう!と笑顔を貼りつけながら、心の中は真っ黒だった。
なぜ、私はこんなに努力しているのに報われないの?
周囲の期待は次第に重みを増してプレッシャーとなり、必死で押しつぶされないよう耐えた。
 
3年半経って年齢を理由に諦めた時、残ったのは「残念だが、やることはやった」などという達成感ではなく、敗北感だけだった。
周囲の期待に応えられない、少子化の歯止めに貢献できない、出来損ないの女が私だ。
努力しても1人も子供が持てなかった友人もいるのに、私には可愛い娘がいたし、様々な理由で治療を受けられない人もいるなか、ありがたいことに私は長期間受けることができた。
しかし最終的には、結果はアリかナシか、それが全てだったのだ。
 
諦めてから数年経った今でも自分が出来損ないで敗者だという気持ちに変わりはない。
「お子さんはひとり?」と何気無く聞かれると居心地が悪くなる。
しかし、おかげで手に入れられた、と前向きに思えることが2つだけある。
 
ひとつは、同じような状況の人の気持ちが想像できること。
たとえば不敬かもしれないが、皇后雅子様。
私と雅子様は、同じ種類の苦悩の穴の淵に立っていた、と思う。周囲は真っ暗で、淵から覗く穴のなかも真っ暗だ。
もちろん、私と雅子様の苦悩の大きさは比べ物にならない。
だがその穴が私の穴よりどれぐらい大きくて、どれぐらい闇が濃くて、穴の淵に立っている自分の足元もどれぐらい心細く、周りの空気がどれぐらい暗くて重くて粘っこいかということを、自分のものをもとに想像でき、その絶望的な辛さに涙が出てくる。
しかし決して雅子様の気持ちが「よく分かる」とは言えない。だって、そっくり同じ経験はしていないのだから。でも、「ほんの少しだけ分かる」ぐらいなら、言ってもいいのではないかと思う。
 
そして、もうひとつ手に入れたこと。それは、経験したことのない状況では共感せずに、ただ寄り添うべきだと学んだことだ。
2人目を諦めたことを、応援してくれていた友人2人に報告した時のこと。
Kさんは私の肩に手を置いて、「分かる、分かるよ」と言った。
Sちゃんは、しばしの沈黙の後「ごめん、私にはあなたの今の気持ちは分からない」と言った。
これらを聞いた時の私の気持ちは、といえば。
 
Kさんには、手を振り払って「分かるわけない!」ともう少しで叫びそうだった。彼女が妊娠で苦労したことがないのをよく知っていたからだ。
一方、Sちゃんが目に涙を溜めながら「自分の中にあなたの気持ちを理解する要素があるか考えたけれど、なかった。わかってあげられなくてごめんね」と言ったとき、心底嬉しかった。
この時、穴の淵にたたずむ私の手を、Sちゃんがそっと握ってくれた気がした。
分からない気持ちは分からないままでいい。ただ、相手に寄り添いたいという気持ちがあればいいのだと、教えてもらった。
 
私が勝手に開催していた妊娠レースで、私が敗者だという気持ちは今も変わらない。
けれど、神様がいるとするならば、きっとこの2つを学ばせるために私を妊娠レースに放り込んだのだ。
おかげさまで神様、私はほんのちょっぴりマシな人間として、この先の人生を生きていけそです。いつか、誰かの役に立てたら嬉しい。

<終わり>
 
 
 
 
***
 
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2020-08-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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