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ワクワクしたかったんだ、私


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:あかほりひとみ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
帰宅すると、哲也の姿はどこにもなかった。
想像はできていた。だが、美乃里にとってこんなにも堪えることはない。携帯電話と財布しか入ってない就活用鞄がやけに重く感じ、パンプスを脱ぐのに手こずる。
「ただいま」
それでも呟いてしまったのは、哲也の「おかえり」を期待せずにはいられなかったからだろう。美乃里を迎えてくれたのは、だが、ファミリーサイズのテレビとソファだけだった。現状に限ってはその存在感が逆に、美乃里の孤独感を強調させる。
喧嘩の原因は、就活ストレスの爆発だった。
きっと哲也はどうしていいか分からなかったのだろう。今朝、逃げるように出てったきり、この部屋に戻った形跡はない。脱ぎっぱなしの寝巻がそのままになっていた。
 
ヴ——ッ、ヴ——ッ
 
就活用鞄の中で携帯電話が震え、美乃里は慌ててそれを取り出す。見ると、「〇〇会社」とあった。数日前に採用面接を受けたばかりの会社である。
「もっ、もしもし」
『竹中美乃里さんの携帯電話でよろしいでしょうか』
緊張のあまり、「はい」という声が裏返る。志望度の高い証拠だった。
『先日、採用面接を担当した〇〇会社の鈴木と申します。先日は誠にありがとうございました。厳正なる審査の結果、この度は、採用を見送らせていただくこととなりました』
美乃里は、感情のこもらない声で「わかりました」と返すのがやっとだった。通話が終了しても、携帯電話を耳につけたままぼうと立ち尽くす。後頭部の真ん中に結ばれた真黒な髪と、真新しい安物のスーツ。その姿は、買い手市場に苦戦する求職者そのものだ。
結果が出るまで、諦めないでいるしかない。
ひとしきり涙を垂れ流していたら、そんな境地に至った。不思議と、未練に浸る美乃里自身が馬鹿馬鹿しく思えてくる。次があるのが幸いしたのかもしれない。つい先ほども、採用面接を済ませてきたばかりだった。
やっと動く気力を取り戻し、美乃里は何の気なしにテレビを点ける。
とにかく絶望感を紛らわす何かが欲しかったのだ。スーツが皺になる事も厭わず、ソファとその音声に身を委ねる。
『鏡の写真で、一句』
ナレーションで、芸能人が俳句を披露する某有名番組の再放送だと分かる。
「……かがみ」
一人ごちる美乃里の指が、三音分だけ折り曲がる。
美乃里が俳句に触れるのは、実に高校生ぶりだった。部活動の一環で詠んだのが最初だが、その奥深さを知り、三年間で三百句は詠んだだろう。卒業とともに距離を置いていたが、たったの数分で全身の血液が騒ぎ立つのを感じる。超人気男性アイドルグループが出演する裏番組よりも、観ていて興奮するかもしれない。
一句を詠むのに、それほど時間は要しなかった。
 
✐口紅を 二重三重 春まぢか(季語・春まぢか/季節・冬)
 
詠んでしまうと、今度は誰かに披露したくなる。素早くフリック入力していき、最後、Facebookの投稿ボタンを押すのだけ躊躇った。美乃里の脳内に繰り広げられる最悪のシナリオは、しかし、現状の絶望感よりいくらかマシに思えて公開へと行きつく。
若干の緊張が、美乃里に無意味なFacebook更新を促した。
「来たっ……」
お知らせページにコメント着のメッセージが追加されたのである。高校時代、同じ部活で美乃里と同じく俳句にドはまりした由紀だった。
『就職先決まったんだね、おめでとう!』
そんな由紀のコメントに、美乃里の口はぽかんと開いた。
俳句のハの字にも触れず、更には全く見当はずれの内容。しかし次第に、心の中へ安堵が広がる。俳句を詠む自分を馬鹿にされるという最悪のシナリオが尾を引いていたらしい。
 
——ううん。まだプー太郎中(笑)
 
気まずくならない為にはどう返答したらいいか。しばらく考え、そう送信するかしないかのところで携帯電話画面が着信中へ切り替わる。通話相手に由紀の名前が表示されていた。
「もしもし?」
『あっ、美乃里? Facebook見たよ。コメントにも入れたけど、直接言いたくなって』
「待って。そのことだけど」
一人で勘違いして先走ってしまう由紀の癖は、高校時代とほとんど変わらない。
「決まってないよ。まだ、プー太郎中」
『え?』
一呼吸分の沈黙があった後、『そうなの?』由紀の呆気にとられた声が続く。
「そうなの? って、逆に由紀はどうしてそう思ったの?」
『だって、美乃里の俳句から、ワクワクする気持ちが伝わってきて』
「……」
『新しい職場に向かう前、朝に、鏡の前で口紅を塗る美乃里を想像した。つい気合が入って、つい口紅を厚く塗っちゃうんだろうなぁって思ったよ』
鋭い、と思った。
公開した俳句は、美乃里の願望を描いた句だった。春が待ち遠しくてワクワクする気持ちと、お出かけを楽しみに化粧をする作者自身を掛け合わせたつもりである。
『だけど良かった。久しぶりに美乃里と電話できて』
「うん。私も、由紀と電話できて嬉しい」
『あのさ、この後ってまだ時間あるかな?』
相手を気遣う言葉遣いなのに自分の願望を隠せないところも、由紀は、美乃里の知る当時の彼女のままだった。『良かったらもうちょっと電話しない?』
「うん。私もまだ話してたいし」
由紀が提案し、美乃里がそれに乗っかる。高校生時代の関係性が再現され、まるで二人は部室にいる彼女らのようになった。担当顧問に帰宅を急かされるまで何時までも、どんな下らない話題だろうと馬鹿みたいに盛り上がっていられる関係性に。
 
カチャ
 
だから、リビングの扉が開いて哲也が現れるまで、美乃里は自分を高校生だと錯覚していた。
「ただいま」
「……っ」
「あ、電話中?」
左耳に由紀の声を認めながら、ソファから仰ぐ哲也に頷く。彼は美乃里と微妙な距離感を保ったままで立っていた。モゾモゾとして、居心地が悪そうである。
「ごめん、由紀。哲也帰ってきた」
どうしたのだろう。意識の半分を由紀との電話に充てながら、残りで哲也を伺う。
『お? ほんと? そしたらちゃんと仲直りするんだよ?』
「あは。うん、ありがとう」
『じゃあ、また電話するからね。哲也君とお幸せにね。良い?』
「うん、うん。じゃあ、由紀も」
どちらが先に電話を切るかという探り合いの間でも、哲也は、その手に持ったビニール袋を何回か持ち替えながら待っていた。
「ごめん。お待たせ。それで何か——」
しかし、いざ哲也自身の番になると、それを美乃里へつっけんどんに押し付ける。
「これって」
「ついでだから買ってきた」
ビニール袋の中身を覗く。プリンと、ケーキと、ドーナツと、シュークリーム。ついでと言うよりも、よさげなスイーツを決め切れず全て買ってきましたという顔ぶれである。
「ありがとう」
その言葉に、やっと緊張が解けたのだろう。哲也は隣に腰を下ろす。「ん」という短い返答からでも、美乃里は、彼は今朝の事を気にしていないのが分かった。
「一緒に食べよ? 何食べる?」
「良いよ。美乃里が一番いらないやつで」
言いつつ、ビニール袋を覗き込む哲也の顔が近い。恐らく美乃里より積極的に物色し、美乃里がケーキに決めるタイミングで既に哲也はプリンを手にしていただろう。
「好きだよね、プリン」
「え? 美乃里これが良かった?」
「じゃなくて——」
気遣う言葉に自分の願望が見え隠れするのは、まるで先の誰かさんのようだ。こみ上がる笑いをかみ殺しつつ。「駅前にできたカフェ、プリン美味しんだって。今度行こうよ」
美乃里は、鏡の前で口紅を厚く塗るデート直前の朝を想い描いていた。
 
 
 
 
***
 
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2021-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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