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メディアグランプリ

こんな大人にはなりたくない かっこ悪いおじさんの禅


 

 

記事:田村将太郎さま(ライティング・ゼミ)

「それでは、テストを始めてくださ〜い!」

シン、と静まり返った、筆記試験独特の教室の空気。その空気を切り裂くように、試験監督は言った。言った、というよりは叫んだ。この教室の規模にしては大きすぎる声で。

 

私の大学のある科目の期末試験が始まった。そんなでかい声出さなくても聞こえるわ。あなたは壊れたスピーカーですか? と心の中で文句を言いながら、テスト問題に取り組んだ。

なんだよ、めちゃくちゃ簡単じゃないか。かんづめ天狼院で5時間もテスト勉強した甲斐がないじゃないか。

配布された資料にまとめてあったことが、一切のひねりもなく、そのまんま出題されていた。

今回の試験は歯ごたえがなかったな。ただ単にテストが簡単だっただけなのに、自分のことを過大評価しつつ、早々に回答を終えた私は、妙な優越感に浸っていた。

テスト終了まではまだ時間があった。眠ってしまおうか。目を閉じた私は、壊れたスピーカーのことを、つまり試験監督のことをなぜか考えていた。

あんな大人になりたくないな。

私がそう思ったのは必然であった。なぜならその試験監督は、試験開始までの時間に「ドジな」失敗をいくつかやらかしていたからである。

 

まず、「出席調査票の方を……」というセリフを「出席調査ほうのひょうを……」と噛んでいた。

「アツはナツいねえ」のようなもう化石化しそうなくらい使い古されたギャグをここで披露するとは……。

一回で言いなおせればいいものの、何回も「出席調査ほうのひょうを……」と言っていた。字を急いで書いているときに、間違えて消した字をもう一回書いてしまうようなミスを何回もしていた。当然学生からは、クスクス……クスクス……と馬鹿にする笑い声が聞こえてくる。ちなみにこの試験監督、髪に白髪が混じる、いいおじさんである。親と子ほども年が離れている若者に笑われるのは屈辱だろう。私なら、絶対に耐えられない。

問題用紙を配るときも、学生証の顔写真と本人の顔を見比べるのに、顔をじいっと覗き込んでくる。これが、照れてしまうくらい見つめてくるのだ。

麗しい黒髪の乙女に見つめられるのであれば、まあ我慢してやれないでもない、いや、むしろ大歓迎なのだが、いいおじさんに見つめられるこっちの身にもなってほしい。

そして、配られた問題用紙の向きを直そうと、問題用紙に触った学生がいた。

この気持ちはわかる。配られた問題用紙の上の辺と、机の辺を平行に揃えて置いておきたいのである。つまり、まっすぐに、である。これはある種、五郎丸選手のルーティンのようなものだ。とにかく、その問題が解けるかどうかは別にして、テスト前はなんとなくそわそわするので、なんとなく紙に触って向きをまっすぐにしたいものだ。

そうやって、問題用紙に触った学生に対して、その試験監督は大きな声で「まだ触らないよ〜」と注意するのである。そのくらいいいじゃん! いちいちうるさいなあ。

実際、普通の試験監督は、そこまでしない。替え玉受験防止のために、写真付きの学生証を机の上に出すけれど、入念にチェックをしたりはしない。試験前に問題用紙の向きを直そうが、何も言われない。ほとんどの試験監督がそうであるため、今回の試験監督はなんて融通が利かなくて要領が悪いんだろうと思うのも無理はなかった。

きわめつけは、この試験監督、問題用紙を配り終わった後、教壇の段差にドン、と思いっきり蹴つまずいたのである。吉本新喜劇ばりの完璧なフォームで蹴つまずいたのである。これには前列の学生しか気づいておらず、爆笑をかっさらうということはなかったが、相当恥ずかしかったと思う。

この一連の「やらかし」を経たのちに、壊れたスピーカーのような大声で試験は始まったのである。

 

なんて「要領の悪い」人なんだろう。いやあ、こんな大人にはなりたくないなあ。素直にそう思った。しかし当の試験監督はニコニコしている。こんなにクスクス笑われているのに? こんなに馬鹿にされているのに? 笑っていられるなんて、理解できない。

 

自分だったらもっと「要領よく」試験監督が出来るのに……。

それなのにこの試験監督ったら。いちいち写真見て、注意して、大声出して。もっと簡単にやればいいのに。「要領悪い」なあ……。

 

この試験監督の仕事っぷりを頭の中で再現し、ふと思った。

……いや、待てよ。

 

その試験監督の方は、いつだって全力だった。問題を配るときも丁寧に学生証の写真と顔を見比べ、不正がないかをチェックする。時間前に問題用紙の中を見ようとする学生がいれば、声をかけて注意する。後ろの席の人にもしっかりと声がしっかりと通るように、大きな声を出す。耳に障害がある方も受験しているかもしれないから。

その老練の試験監督は、まるで初めてお遣いを頼まれた子供のようだった。はじめてお遣いを頼まれた子供が手を抜くことはない。ニコニコと、絶対に間違いが起きないように、一生懸命仕事をしていた。

 

私が今まで見てきた、「要領の良い」たいていの試験監督はそれらの仕事をなおざりにしているだけだったのだ。

ぼそぼそと、必要最低限の声でしゃべり、見知らぬ学生の顔などは見ない。試験前に問題用紙に触ろうがしゃべろうが関係ない。この時間が過ぎさえすれば給料はもらえるんだ。不正をする学生などいないだろう。そんな風にただ「いるだけ」だった。

 

私にこの老練の試験監督のように仕事ができるか。無理だ。試験監督のような単調というよりほとんどやることが「一見」なさそうな仕事は、絶対に慣れが生じて、「たいてい」の試験監督と同じようになってしまうだろう。

 

 

禅に関する本を以前読んだ時、こんなことが書いてあった。

”禅の教えの最たるものは「初心」です。初心というのは、なんでも初めてやる時の気持ちでやりなさいということです。はじめから手を抜く人はいないでしょう。その気持ちで毎日を過ごすのです。”

 

この老練な試験監督は確実に「初心」を保っていた。笑われたことも「笑ってくれた、緊張した学生には、いいリラックスになる」くらいに思っているかもしれない。

 

私は先ほど「こんな大人になりたくない」といった。しかし今は、こんな次元の人に何を言っていたんだろうと思う。そう簡単に自分なんかがなれるものじゃないとさえ思っている。

 

私たちは、知らず知らずのうちに、今日も誰かの「バカ丁寧」で「バカ正直」な誰かの仕事に支えられている。

しかし、時代は「スマートに」「要領よく」が良しとされる時代だ。

私は、そればかりではないと思う。いつでも効率や要領なんかを超えた先に、人を感動させる仕事はあるのではないか。

大量生産、大量消費の時代。

しかし今こそ、自分の仕事に誇りを持って「バカ丁寧」で「バカ正直」に生きていこうではないか。

それが日本のやり方だと思うのは私だけではないはずだ。

 

そんな「要領の悪い」あなたの仕事に、代わりはいないから。

 

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2016-03-04 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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