メディアグランプリ

やり残したことに気づいたら。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:中島宏(ライティング・ゼミ平日コース)

 
 
一昨年から今年にかけて3年ごしで、鹿児島から青森まで自転車で旅をした。
総走行距離は2,414km、かかった日数は14日間。
若い頃の思い出話とかではなくて、今45歳の立派な中年となった私の、現在進行形の話。
 
若い頃は遊べ、男の世界ではよく聞く言葉だ。男同士でこの言葉が交わされる場合、この「遊べ」は、主に女性との遊びを指すことが多いと思う。若い頃に女性にのめり込んだりする時期がなく、女性経験が少ないままで大人になってから女性を知ったりすると、大金をつぎ込んでしまったり、はては家庭を壊してしまうようなはまり方をするので気をつけろ、みたいな意味なのだと思う。この論調は、男性としてわからないでもない。
ごくたまに、若い頃に経験したほうがいいような恋愛体験を、家庭を持ちそれなりの年齢になってから憶えてしまったせいで、そこから抜けたくても抜けられなくなっている人を見ることがある。私はテレビのレポーターや識者ではないので、彼らを責めるようなことをしたくないが、色んな意味で可哀想だと思うし、もっと若い頃に経験をしていれば、そのどうしようもない状態から抜け出すのももう少し早かったのだろうな、と思ったりもする。
 
よく死ぬ直前に、あれをしておけば良かった、これをしておけば良かったなんて後悔することがあると聞く。その手のタイトルの本やブログ記事もよく見かける。「老いて後悔する50のこと」みたいな類のやつだ。その手のものをみると、ゾッとして妙に焦った気持ちになって「そうだ、後悔しないよう、やりたかっとことをやろう」などと、その場では決意したりするのだが、それをキープするのはなぜだかむつかしい。日常の雑務や日々の忙しさにかまけて、その決意は悲しいかないつの間にか忘れてしまうというのが常だろう。
やり残したことに気づいても、「いつかやろう」という曖昧なタグを貼られて棚上げされ、その「いつか」はなかなか訪れない。30代の頃は、基本そういう感じで過ごしていた。
 
でも、今から2年前の43歳の時、「やり残し」に対する考え方がすこし変わった。
 
その頃、網膜剥離という目の病気で2週間ほど入院をした。40数年生きて来て実は初めての手術と入院。ある程度の歳まで入院や手術を経験したことがない人間というのは大体そうだが、病気や怪我は自分とは全く関係ないものと思って生きている。なので、手術と2週間の入院を言い渡された時はそうとう落ち込んだ。打たれ弱いのだ。
 
手術後、目の病気なので、本を読んだりテレビをみるのも億劫で、日がな一日、眼帯姿で病院のベッドでぼーっと寝ているだけの日々が続いた。
そうすると、まぁ出てくるわ、出てくるわ、やり残した数々のこと。
「人生はまだまだ長いと思っていたし、自分はまだまだ若いと思っていたけど、どうやらそれは自分勝手な思い込みのようだ。どうもここから残りの人生は早そうだし、体も若い頃のようにはいかない。退院したら、やりたいことを先延ばしせずさっさとやるべきではないだろうか。そういえば、あれもやりたい、これもやりたい、逆にこれはやめたい……」
この2週間の入院ではそんなことばかり考えていた。
30代ではやりたいことが出来ても、「まだまだ先はある。いつかやろう」と先延ばしにしていたのが、この入院で「先はわからん、すぐやろう」に変わったわけだ。
 
2年経った今思うに、43歳というちょうど人生の中間地点のような場所で、そのことに気づくことが出来たのは幸運だったと思う。病気も意味あるのだ。
 
その時思ったいくつかのやりたいことのひとつに「大阪から東京まで自転車で行く」というものがあった。
これ多分、普通は若い頃にやることなんだと思う。高校生や、大学生などが夏休みを利用してやったりすることで、あまり45歳の中年のおっさんが喜んでやるようなことではないような気もする。でも、その思いつきは強烈に自分を捉えた。
実はこれ、かなり昔からずっとやりたいと思っていたことなのだ。10代の頃からぼんやり思っていたように思う。テレビで芸能人が自転車で日本を旅したりする番組をみたりすると、いつも決まって「いいな、いつか時間が出来ればこういうことやってみたいな」などと思ったりしていた。自分にとっては大きな大きな「やり残し」だったのだ。
 
入院中のベッドの上でこのことを思い出したときは、ちょっと興奮した。それから大阪から東京まで自転車で行くという思いに取り憑かれたような感じになった。それはなんだか嬉しい気分だった。まるで若さを取り戻した大学生のような気分だ。白い無機質な病室のベッドの上で、東海道新幹線と平行に自転車で走る自分を想像すると、なんとも自由な感じがして、最高にワクワクした。妻に話すと、妻も大賛成してくれた。
 
退院から5ヶ月経った10月の秋晴れの日、4日間かけて大阪から東京を自転車で駆け抜けた。4日間の間、様々なトラブルがあったが、最高の4日間となった。
名古屋でスマートフォンを壊してしまい人に助けられたこと。御前崎でのゲリラ豪雨。400キロ走って見た富士山の美しさ。泊まるホテルにたどり着けず真っ暗な道を走り続け静岡県の広さに辟易としたこと。朝焼けの中登った箱根峠。ゴール地点の東京タワー。それはたぶん一生忘れることがない濃厚な4日間となった。
そして、やりたいことはすぐに思い切ってやるべきと、自分を肯定できるそんな4日間でもあった。ゴールしたとき、家族や友達が祝福してくれたことも忘れられない。
 
さらにその旅の楽しさが忘れられず冒頭に書いたように自転車旅は続き、その翌年には逆方向の大阪-鹿児島間を7日間かけて走り、さらに翌年の今年は東京-青森間を4日間で駆け抜けた。結局、3年がかりで2,414km。鹿児島から青森まで自転車で走ったことになる。
もはや、やり残したことをやる、の域を超えて、やりすぎの感じすらある。初めて大阪-東京間を走ったときには祝福してくれた妻も最近は、「また行くの?」なんてちょっと呆れている始末だ。
 
でも、「やり残したこと」に気づいたら、それととことん向きあってみることだと思っている。
「やり残したこと」「やりたいこと」と向き合うことは、自分と向き合うことそのものだと思うからだ。だって、本当に「やりたいこと」や「やり残したこと」って、個人的な、自分のため、自分を喜ばすためのことが、ほとんどだと思うのだ。
 
逆に今まで「やってきたこと」、「やらざるをえないこと」って自分ではなく、人のためにやっているようなことが多いと思う。
人はひとりで生きていけない。よくわかるし至極まっとうな意見。なので、「やらざるをえないこと」が優先されてしまうというのはよく分かる。その通りだろう。でも、いつも人のために自分を圧し殺して、自分を喜ばす「やり残し」を無視続けていると、いつか壁にぶつかってしまうし、結局その我慢は自分に帰ってくる。
 
自転車で鹿児島から青森まで行くという行為は、基本的に人のためには何にもならないことだ。だけど自分を喜ばせるということは大いに出来た。そして、自己肯定力を強くすることも出来たと思う。
 
最初に例に上げた、「若い頃の恋愛不足のため」に起こるような道ならぬ恋にはまってしまうようなことは、いくら「やり残した」ことであったとしても、あまりおすすめすることは出来ない。それは自己肯定力を逆に弱めることが多いと思うからだ。周りを傷つけることももちろんだが、何よりも自分自身を傷つける。
 
逆に自分を喜ばせるような、自己肯定力をつけるような「やり残し」ならすぐにでもやることをおすすめする。そして自分を喜ばせることをやることは、いつか、周りの人をも照らすことになると、強く信じている。
 
 
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2017-12-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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