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メディアグランプリ

父の出汁巻き


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ギール里映(ライティングゼミ 平日コース)
 
 
「ほな、出汁巻きでも、つくるわ」
 
そう言って父は、おもむろにソファから起き上がり、ふらついた足取りでキッチンに向かった。冷蔵庫から卵を取り出し、慣れた手つきで卵液を作り始め、卵焼き器を温めて菜種油をひく。もう何年もやってきたことだから、体が覚えているにもかかわらず、卵焼き器を持つ手は震え、あちこちに卵が飛び散っている。
 
時間は午前3時。
久しぶりに実家に帰り、私は夜遅くまでリビングでパソコン仕事をしていた。ソファでずっとテレビをみていた父は、そんな私をみかねてなのか、普段ろくに会話ができない私を気遣ってなのか、突然出汁巻きを作り始めたのだ。
 
父は半年ほど前、胃がんと診断された。それも、ステージ4。めっぽう病気に弱い父だから、病気がわかった瞬間に死んでしまいそうだと母と話し合い、本人には病名は伝えたものの、ステージは伝えることができなかった。「とにかく手術をすればいいんだろう、切ったら仕舞いや!」と強がった父は、すんなり手術を受けたものの、予後が思わしくなく、ICU で2ヶ月、意識不明のままで正月を迎えた。年末年始で帰省していた私は、毎日父に会いにいったものの、一切父とは会話せず、東京にもどったのだった。
 
そんな父も意識がもどり、自宅療養と入院を繰り返しながら、いつか大好きなゴルフをもう一度したいんだと、全力で病気に立ち向かっていたけれど、私たちは知っていた。もう父が長くはないことを。
 
165センチほどしかない小柄な父は、体重が40キロを切ってしまい、一層小柄になってしまった。それでも「食わな死ぬ」と、毎日文字通り吐きそうになりながら、無理やり食べ物を口におしこみ、食べられない時は点滴をし、体重が40キロより少なくなると死んでしまうと、本人なりに焦っていたみたいだった。しかし、抗がん剤のおかげで体はふらふら、食欲もなく、味覚もかわり、「何食うても、美味ないな」と言うばかり。食べては吐き出してしまい、だけど死ぬから食べる。そんなことを毎日ずっと繰り返していた。そんな父を見ながら、生きるために食べることがこんなにも壮絶なのかと、思わざるを得なかった。
 
京料理幸楽というのは、父が経営していた料理屋の屋号である。そう、父は板前だった。祖父の代から始めた料理屋を受け継いだ2代目で、好きな食べ物はふぐと松茸、とにかく食べることが大好きで、美味しいものが大好きだった。そんな父が、全く食べ物が喉を通らなくなり、何を食べても美味しくなくなってしまったのだから、それは「死ね」と言われていたのと同義語だったに違いない。
 
幸楽という屋号は、祖父が東京赤坂で修行していたお店から頂戴してきたもの。文字通り幸せと楽しさを提供するのが料理屋の仕事、という意味だったのではないかと思う。この屋号のおかげで多くの男女がうちの店をお見合いの席に選び、夫婦となってくださった。「幸楽さんのおかげで、うちらほんま幸せです」そんなことを未だに昔のお客さんから言っていただけるのは、娘としても誇りに思う。しかし父は現役時代、決して“まじめ”な板前ではなかったのである。
 
焼肉とラーメンも大好きで、毎日ゴルフして、好きなものばかり食べていた。お酒も大好きで、ビールや日本酒、ウイスキーまで、とにかく毎晩飲んでいたおぼえしかない。がんになる前は、痛風を患っていたぐらいだ。いまから思えばあんな食生活なのだから、病気になって当たり前だ。しかし、「もっとお酒控えたほうがいいよ」とか「食事に気をつけたほうがいいよ」なんて家族が言っても、全く聞き入れようとしない昭和一桁生まれの父だったから、まあ病気になっても自業自得としか言いようがない。
 
そんな父だったから、思春期の娘たちに受け入れられたはずがない。私より一つ上の姉は特にしょっちゅう父と喧嘩しており、病床で最初に父に言い放った言葉は「あんた、どっかに隠し子とかいいひんやろな?」である。娘たちからしたら、毎日遊んでばかり、飲んでばかりいる父を、尊敬どころか、どうやって会話していいのかすら、わからない。だから私も父とした会話なんて、数えるほどしか覚えていない。そんな父がいきなり病気になって闘病生活を始めても、私も姉も、感情をどうもっていったらいいのか、これまで数十年の間にこじれてきた父娘関係は、そんなに容易く改善されるものではなかったのだ。
 
そこでこの、だし巻き卵である。
不良板前だったけれど、料理の腕はピカイチだった父の作った出汁巻きは、子どもの頃から食べてきた味。久しぶりに食べた父の出汁巻きは、ちょっぴり塩味が効きすぎていたけど、やっぱり父の味だった。私はその出汁巻きを頬張りながら、なんだか涙がでて止まらなかった。
 
そんな父が他界して、もうすぐ12年になる。その間に私は再婚し、子どもを生み、食育の先生になった。食べ物の力を誰よりも理解し、感じることができているのはほかならぬ、父のおかげだと思っている。
健康という、お金では買えないかけがいのないもの。それを作るのは毎日の食事だと、嫌という程見て聞いて、体験してきた。その力を伝えることが私の志命だったのだと、父から教えてもらったのではないかと、今ならわかる。
 
料理は、歯磨きみたいなものだ。毎日自分でやらないと、誰も代わりにやってくれない。朝昼晩必要で、実はちょっと、めんどくさい。
だけど、ちゃんと毎日することが習慣になったら、それは自分を最強にしてくれる。
 
もしただ一つだけ、料理と歯磨きが違うとすれば、料理は心に残るものだ。
 
だから私は、幸せで楽しい食事の方法を、ずっと伝えていこうと心に誓っているのです。
 
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2018-11-17 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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