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あなたが育てているのは罪悪感? 「母性」信仰にさよなら


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:しんがき佐世(さよ)(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
母親になって5年経っても、母性というものがよくわからない。
 
仕事で家をあけることが多い。
“子どもが幼いうちは仕事をセーブし、子どものそばにいるべき”という考えの人は共働き家庭が増えた現代にもいて、私より年上の女性に多かったような気がする。
 
「お子さんは? 5歳? 今の時間大丈夫?」
 
心配そうな表情に仕事先で出会うと、笑顔で武装している自分がいる。
 
相手の言葉に咎めのような鋭さを感じるのはきっと被害妄想だ。この人は悪くない。
 
でも、なんだか母性検定を受けているみたい。
 
「子どもは夫がみてくれています。夫にはほんとに感謝です」
「会っている間はなるべくスキンシップするようにしていますねぇ」
「休みの日に遊んでますよ〜」
 
訊かれてもいないことまで答えている自分がいる。
合格をもらえそうな言葉を並べながら、お腹の奥が少しちくっとなる。
痛みの正体は罪悪感だ。
 
母親は子どものそばにいるべき。
母性にあふれた母親なら子どものそばにいたいと自然に思うもの。
 
こんこんと湧きあがる愛の泉を連想させる「母性」って一体なんなんだろう。
崇高で包み込むようにあたたかくて、有無をいわせぬ圧力を帯びた、わけのわからないもの。
人によってその泉は水量が少なかったり、枯れていたり、するのだろうか。
 
 
子どもが2歳くらいのころ、私の「家にいない時間」はピークだった。
朝から夜までいなかったような気がする。子どもを寝かしつけたあともパソコンに向かった。
予定が詰まっているときは飛行機の距離の実家にたより、夫にたより、どんなふうに生活をまわしていたのか思い出せない。
 
寝かしつけたはずの子どもが私の不在に気づいて起きてくる。
寂しかったね、ごめんねと謝って布団に一緒に戻りながら、やりかけの仕事が気になりイライラしている自分に失望する。
 
私には「母性」が足りないんじゃないか。
 
当時、自分で仕事を始めたばかりで、慣れない異業種交流会やイベントに参加しては作ったばかりの名刺を配りまくっていた。
手元には知らない人の名刺が増え、私の名刺は減っていった。
いま振り返って、あの頃もらった名刺がどれだけの縁につながったのだろう。
見直すと百数十枚くらいあるなかで、今も付き合いがあるのは一人くらいだ。
 
 
名刺が放つ「ちゃんとした感じ」や「もっともらしい肩書き」と、仕事ができるのとは違う。
私がフリーランスとして初めてデザイナーさんに頼み作ってもらった凝ったデザインの名刺は、作った次の日から違和感を放った。
こんなにちゃんとしたもんでもないのにな、武装してるなあ。
名刺って偉そうだなあ。
 
 
きっと母性は「名刺」みたいなものかもしれない。
あれば便利だけれど、なくても困らないもの。
「ちゃんとした感じ」だけど、実体のないもの。
 
 
数年前、ドラマ『Mother』で母親から虐待を受ける幼い女の子(芦田愛菜)を血縁のない女性教師が誘拐するストーリーに「母性」への関心が高まった。
母親には母性がなく、教師にはそれがあったのだろうか。
脚本家の坂元裕二さんは、母親が育児放棄するまでの物語をリアルに丁寧に描いていた。母かくあるべきという社会的な「母性信仰」に飲み込まれて溺れそうになっている一人の女性がいた。そこにはちゃんと愛があった。
日本社会がよりどころにしてきた「母性」だけでは生きていけない要因があった。
 
母性に天から与えられた神聖なイメージを重ねて、そこからかけ離れた自分に苦しむ母親は世の中にどれくらいいるのだろう。
世の中の、母子にまつわるいたましい事件は母性がないから起きているわけではきっとない。
 
母性という名の圧力の下で、私は罪悪感をすくすく育ててしまっていたのだと気づいた。
ガーン。
誰がうまいことを言えと。育てるのは子どもよ。
 
 
子どもに清潔な服を着せ、うんちのあとのお尻を拭いてやり、描いたドラえもんの絵に手をたたいて喜ぶ。
母性だけじゃ食えないから、行動であらわす。
 
母性が私を母親にするんじゃなくて、行動が私を母親たらしめる。
ごはんを食べさせ、お風呂にいれて、思い立ったらキスをする。
布団のなかで見つめ合い、絵本を読む。抱きしめて「大好きだよ。おやすみ」と伝える。
 
世間の母性検定に受からなくてもかまわない。
母性のことはわからないけど、人間性なら行動で表せばいい。
 
 
名刺がなくても誠実な仕事はできるように。
名刺に頼らなくても相手との信頼関係はむすべるように。
 
私はいま名刺をもっていない。
年末の大掃除で、思い出せない人たちの大量の名刺と一緒に、厚み10cmほど残っていた自分の名刺も捨てた。
なくても仕事に支障はないみたいだ。
積み上げた日々のなかで大切な仕事仲間もできた。
 
 
帰宅すると玄関にすっ飛んでくる子どもを、靴を履いたまま抱きあげる。
小さい腕で私を抱きしめて服の上から私のおっぱいに触れてくふふと笑う。
子どもを抱いたまま靴を脱いでリビングに入ると夫が「おかえり」と台所で振り返る。
これがうちの日常。
母性があろうがなかろうが、私たちは家族を育てている。
 
なにが正しいかはわからない。
数年後しゃれにならない反抗期が子どもに訪れて、幼い頃に私がそばにいなかったことを激しく後悔するかもしれない。
それを想像しながらも、未来の不安や過去の後悔に罪悪感をつのらせているひまはあまりない。あるなら帰ってぎゅーとちゅーをしたい。
 
私が育てるのは罪悪感ではなくて子どもだ。
育んでいるのは健全な責任感と行動力だ。
とか言いながら、私の出がけにさみしそうな表情をする子どもに罪悪感は消えることはないんだろうな。
しょうもない自分も一緒に育てていこうと思う。
 
***

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2018-12-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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