特効薬だった、映画『翔んで埼玉』
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記事:うえたゆみ(ライティング・ゼミ土曜コース)
「行かないか?」
ラーメン屋で、Mさんが話し出した。
「聞かなくてもわかります、映画でしょ。誘うときは前日には教えてくださいって、言ったじゃないですか」
「まぁ、そうカリカリするな。『七つの会議』で日本映画が熱いと分かったからな。他にもないか探してみたんだ」
「そうしたら上映を開始して1週間経ってないのに、評価が異常にいい作品があるんだ。『翔んで埼玉』という作品なんだが」
”気にならないか?”
気にならないはずがない
映画と車とコーヒーを「狂人じゃないか」と疑りたくなるレベルで愛しているMさんが、強く勧める作品だ。
しかも映画館まで
ラーメン屋からは15分の距離
上映開始は1時間後らしい
ここで気づいてしまった。
このラーメン屋に誘われたのは罠だったのだ。
Mさんの顔を見ると
にやにや、いやらしい笑いをしている。
「帰る!」と言いたくなったが
『翔んで埼玉』という作品が気になる。
タイトルが
「面白いからおいでよ」と誘っている。
悔しい思いをこらえて、うなずくしかなかった。
映画館を目前にして
自分の判断が正しかったとわかった。
映画館の入り口に、ポスターがあった。
『映画化してゴメンなさい』
主役らしい二人が、頭を下げている
こんな広告の仕方は見たことがない。
まず衣装が、すでにおかしい。
映画館の中にも、ポスターがあった。
『埼玉の皆様、ゴメンなさい』
同じイラストなのに
文章だけ変えるという
小技を繰り出してくる
傑作の予感しかなかった。
お笑いだと
気軽な作品だと分かっているのに
妙な緊張感が心を襲った。
ジェットコースターのてっぺんで
落下の瞬間を待つときのように
ハラハラしながら、席に座った。
上映が始まった。
”笑い”
笑いが、こらえられない。
日本人は静かに映画をみるという、
常識は打ち破られた。
一人の観客の笑いが導火線となり
笑い声が増えていく。
私も耐えられなかった。
ハンカチで口を押さえていたのに
笑い声が漏れてしまった。
あまりの衝撃に
息が苦しい
笑いの発作で
おなかが痛い
もはや拷問である。
そんな苦痛をこらえている私に
Mさんが軽く肘鉄をした。
顔には「俺の選んだ作品は最高だろ」
と書いてある。
悔しいが、認めるしかない。
「最高だよ」という想いをこめて
全力で肘鉄を返した。
『翔んで埼玉』はすべてがずるい
昭和テイストの衣装がおかしい
気取ったセリフもおかしい
主役二人のベルばら感がおかしい
設定がおかしすぎて
無音映画でも大爆笑していただろう。
とどめがエンディングである。
笑いつかれた観客を
はなわさんの歌が突き刺す
上映中で
もっとも大きな笑い声が響いた。
戦いつかれた敗残兵のような
ふらふらの体で焼鳥屋に入った。
Mさんのにやにや顔は続いているが
そんなことはどうでもいい。
『翔んで埼玉』の公式サイトを
むさぼるように読んだ。
失敗した
公式サイトも
私の腹筋にダメージを与えてくる。
戦略的撤退をして
ツイッターで感想をつぶやいた。
こんなことをしたのは
生まれて、はじめてである。
この衝撃を
書かずにはいられなかったのだ
『翔んで埼玉』のツイッターアカウントを
フォロー中の私に、Mさんがつぶやいた。
「やっと、もやもや晴れたな」
「えっ?」
「ここ1カ月、暗い顔が多かったからな。気晴らしの映画を見せてやろうと思ってな」
”『翔んで埼玉』が特効薬になったな”
Mさんの顔に、いたわりの表情が浮かんでいた。
私は何も言えなかった。
その通りだったから……。
ここ1カ月、4か所の病院に行った。
3回の血液検査で
コーヒーカップ1杯分の血を抜かれて
身体はふらふらだった。
血液検査の結果も悪く
精神もふらふらだった。
今の私は
体は疲れているが
心は爽快だ
『翔んで埼玉』が起こした
笑いの発作のおかげだ。
だめだ
とても気まずい
だが
感謝を伝えないと
私は小さな声で「ありがとう」と言った。
Mさんは、何も言わず少し笑った。
『翔んで埼玉』は
私に多くのプレゼントをくれた。
笑いによる心の治療
作品フォローと衝動的書き込みという経験
なによりMさんの優しさを教えてくれた。
『翔んで埼玉』は茶番劇だ。
公式サイトにも、茶番劇だと書いている。
容赦ない”さいたま”へのからかいに
怒る人もいるだろう。
だが、この作品は
埼玉を愛している人にしか作れない。
ここまで細かく
埼玉の悪口を言えるということは
それだけ、埼玉に詳しいのだ。
その埼玉愛が
私に優しさのおすそわけを
くれたのかもしれない。
これからもMさんと
一緒に映画館に足を運ぶだろう。
だがMさんに、これだけは言いたい。
「映画館に誘うのは、せめて前日にしてほしい」
≪終了≫
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