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メディアグランプリ

今、目の前の席が空いたなら


 *この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:月山ギコ(ライティング・ゼミ日曜コース)

妊婦になって分かったことがある。

街には、思っていたよりも多くの妊婦が歩いている、ということ。
今まで認識していた人数が10㎡の範囲内で1人だったとしたら、5~6人に増えたような感覚だ。
不思議なことに自分が妊婦になって初めて、同じ存在の人たちに気付いたのだ。

それは暑い夏の日だった。産休に入るまであと1ヶ月となり、だいぶお腹が大きくなっていた頃。
平日の朝10時半頃だっただろうか。私はとても恐ろしい体験をした。

その日、JR山手線の内回りは出勤ラッシュを過ぎ、席はキレイに埋まっていて立っている人がほとんど居ない、という混み具合だった。

私が山手線に乗っている時間はほんの数駅なのだが、当時の私の身体は少しでも立っていると貧血のような症状になってしまい、しょっちゅう具合が悪くなっていた。その日もドアに近いポールに掴まっていたのだが立っていられなくなり、電車の床に四つん這いになるような状態で、倒れ込んでしまった。

今でもその張り詰めた空気を忘れることができないのだが、そこで、その場に居合わせた人は、誰ひとり、何もしなかった。目の前に座っていた30代くらいの男性はずっとゲームをしていて、その視線の方向から間違いなく私が倒れているのは気付いているはずなのだが、完全に無視していた。
その他の席で座っているひとも、うっすら私のことを見ながら、座ったままだった。本当に誰ひとり動かなかった。

時折、“電車の席を譲る問題”を巡って議論になったとき、

「座りたいなら譲ってくださいと言えばいいのでは」

といった意見を聞くことがあるのだが、いったいどういう状況ならそう言えるのか、私には分からなかったし、とても自分からそれを言う勇気がなかった。

そもそもこの状況で動かない人が、「席を譲ってください」と言ったところで快く譲ってくれるのかどうか、逆に攻撃されるのではないかという恐怖で、私はそのままうずくまることしかできず、会社の最寄り駅に到着したので這うように降車口まで行き、その場をあとにした。

妊婦という特殊な状態で、センシティブになっていたこともあったと思うのだが、その経験をしてから、私は誰かに電車で席を譲られるたびに、嬉しさと感動のあまり泣いていた。そうとうやばい妊婦だと思われただろうなと思いつつ、その優しさがありがたくてたまらなかったのだ。

黒いキャップを被った10代の可愛らしい女の子は、私の腕を
「つんつん」
とつついてさり気なく席を譲って移動していった。

残業して夜9時すぎに電車に乗っていたら、30代の男性が、
「気付かなくてすみません!」
といって席を立った。

となりに座っていた、母と同じくらいの60代の女性は、
「楽しみね~。もう産まれたら可愛くってしょうがないわよ! 私もう一回育児やりたいもの」
とニコニコしながら声をかけてきた。

きっと彼らは、みんな“弱者を認識している人たち”なのだと思う。

もちろん元々が優しい方たちというのは大前提だけれど、自分が親であったり、家族に妊婦がいたり、小さい弟や妹がいたりと、手を差し伸べるべき人が近くにいると、その人の気持ちを想像しやすい。いかに大変かが分かる。でもそういう人と接する機会が少ないと、共感する気持ちが希薄になってしまうのかもしれない。

あの山手線での恐怖体験は、今でも信じられない光景として私の脳裏に焼き付いている。
けれど、おそらく彼らの個人主義的な感覚は、妊婦になる前の私と似ているのではないか、と思うようになった。

独身で毎日を今よりずっと忙しく過ごしていた頃、私は電車で妊婦に席を譲った記憶がない。妊婦さんを認識していなかったからだ。正直なところ、自分中心に世界が回っていて、“人に席を譲る”という精神的余裕がなかったし、そもそも妊婦さんの姿が見えていなかった。席を譲るべき人の存在を認識していないのだから、譲る行為にいたらないのは当然と言えば当然だ。

恐ろしいことだけれど、それが“知らない”ということなのだと思う。

東京で暮らすのは忙しくて、時間も、心の余裕もない。そんな中で、赤の他人に気を使うのは、少しの勇気とエネルギーが必要だ。愚かなことに、私は妊婦という立場になって初めて、自分の無知さを認識したのだ。

それから妊婦ではなくなり、わざわざ座る必要がなくなった今、私は電車に乗ったら近くに妊婦が居ないかチェックして、居れば黙って立つようになった。妊婦を認識できるようになった今、自分ができることを行動に移す。おおげさかもしれないけれど、それが私なりの自己表現だと思うからだ。

「知らない人はどうなってもいい」
「他人だからどう思われてもいい」

そう思った瞬間、「どうでもいい」というマイナスの感情がそのまま、自分に跳ね返ってくる気がする。

「譲って欲しい」という願望は、「優しくして欲しい」と同じだ。人に優しくして欲しいなら、まずは自分が人に優しくなること。そこからしか、世界は変わらないんだと分かったのだ。
*** この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加いただいたお客様に書いていただいております。 「ライティング・ゼミ」のメンバーになり直近のイベントに参加していただけると、記事を寄稿していただき、WEB天狼院編集部のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。 http://tenro-in.com/zemi/70172

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2019-03-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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