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メディアグランプリ

恐怖というハードルの越え方


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:上さきゆうき(ライティング・ゼミ平日コース)
 
「あぁ、困ったな」
私は、かれこれ1時間ほど空港から外に出られずにいた。
ファストフード店で買った大きなコーラを片手に、窓の外の飛行機の離発着の様子を眺めていた。
 
別に、何か災害やトラブルに巻き込まれて空港で足止めされているわけではない。
 
実は、ニューヨークの空港で一人怖くて空港から出れないのだ。
 
日本から、叔父の住むロサンゼルスに遊びに行った。
そして、今回は前から行ってみたかったニューヨークに一人で行くことに決めていた。
 
「ニューヨーク」という響きと、本場のブロードウェイを生でみてみたい、という安易な理由でニューヨークに行くことを決めた。
 
数日滞在した叔父の家を出発し、叔父にロサンゼルスの空港まで送ってもらった。
 
空港で搭乗手続きを済ませ、叔父と空港で別れた。
そこで、衝撃の事実を知ることになる。
 
搭乗ゲートに進むと、そこにはニューヨーク行きの飛行機の出発を待っている人たちがたくさんいた。
 
そう、外国人なのだ。
 
飛行機を待っているのは、ほぼ欧米人たちばかりなのだ!
 
私は、英欧米人たちに囲まれてたった一人そこにいるのだ!!
 
「今までロサンゼルスには何度も行ったことあるし大丈夫」そう思っていた。
 
しかし、その考えは甘かった。
 
ロサンゼルスに行ったのは、日本からの飛行機に乗ってのこと。
乗客もスタッフも日本やアジア系の人たちが多くいた。
空港に着けば叔父が到着口までいつも迎えに来てくれた。
 
今回は、違った。
 
見慣れた顔のアジア人が皆無。欧米人にこんなに囲まれることなんて初めてだった。
 
ニューヨークに着いても誰も私を迎えに来てくれるわけではない。
そう、自分一人で、ホテルや観光地を廻らなければならい。
 
今までは、家族や叔父がいたから海外で楽しめていただけなのに、すっかり「私は海外で行動できる」というとっても痛い勘違いをしてしまっていた。
 
そして、そのことに今さら気づくなんて!
 
どおりで、私がニューヨークへ一人で行くことを叔父が反対していたはずだ。
 
とにかく考えが甘すぎた!!
 
私の周りを飛び交う英語らしき会話や英語のアナウンス、欧米人の堂々とした態度に完全に圧倒された私は、空港の搭乗ロビーですでに怖気付いてしまっていた。
 
それでも何とか飛行機に乗って、数時間後ニューヨークの空港に到着した。
 
「無理だ、絶対外になんて出れやしない。でも、出ないとホテルには行けないしどんどん暗くなってっちゃうし。どうやって地下鉄に乗れば良いの? いや、でもガイドブックにニューヨークの地下鉄は犯罪の温床だって書いてあったしな。死ぬかも。地下鉄で銃で撃たれるかもしれない!」
 
私は、案の定空港から飛び出す勇気が出ずに、空港のロビーにじっと座っていた。
 
「もう、このまま帰ってしまおうか。ロサンゼルスに戻ってしまおうか。あ、でも叔父の家に電話のかけ方もわからないし、帰りのチケットも予約してるんだった!」
 
色々な葛藤を心の中で繰りかえしながら、とっくに氷で薄まったコーラを飲んで気を紛らわしていた。
 
飛行機の離発着を見つめて、さらに数時間経過。
 
人は、何か困難な状況に立たされた時「逃げる」 か「闘う」かを選択するらしい。
 
突如、私の「闘う」 ボタンが発動された。
 
握りしめていたコーラをガイドブックに持ち替えて、地下鉄の乗り方を調べた。
移動の途中でガイドブックを広げたら狙われると思い、乗り換えの駅や何番線かを必死で暗記した。
 
「まずは、ホテルまで行こう。ホテルに着いたら1週間どこにも行かずにホテルにこもってれば良い!」
 
私は、旅の目的を「ブロードウェイを見ること」から、「ホテルに到着すること」という数段低いハードルに設定し直し、完全に開き直った。
 
いざ、ホテルへ!
 
私は、今までの人生の中でも最大級の集中力と強い気持ちを携えて、空港を飛び出した。
 
私の本当の一人旅が始まった。
 
暗記したはずのホテルまでの道のりは、途中乗り換えの仕方がわからず、身振り手振りで道ゆく人に尋ねながら地下鉄を乗り換えた。
 
何番線に乗るかがわからなくなってしまい、周りを気にしながら道路の隅でこっそりとガイドブックを開いて確認した。
 
スマホも普及していなかった当時。
今どこに私がいるのか、ここは何という通りの名前なのか、ホテルまでの位置関係も完全に見失ってしまった。
 
気がつくと私は、道端で堂々とガイドブックを広げて、道ゆく地元の人らしき人たちに手当たり次第ホテルまでの道のりを尋ねていた。
 
とにかく必死だった。
その時は怖いとか危険とかそんなことは何も考える余裕なんてなかった。
とにかく、ホテルに着く! その一心だった。
 
やっとの事でホテルに着いた私は、大きなダブルベッドにダイブして、大の字になって天井を見上げた。心底ホッとした瞬間だった。
 
それからの私は、何かが弾けたようにニューヨークを楽しんだ。
 
地下鉄やフェリーを乗り継いで自由の女神を見に行ったり、美術館や博物館を巡り歩いた。
エンパイアステートビルの頂上に登って夜景を楽しんだり、セントラルパークで昼寝もした。
セレブが集い、ブランド店で有名な5番街をサンダルと短パンで歩き回り、有名ブランドの店内にも恥も知らずにつかつかと入っていく。
ついに、空港では一度諦めた本場のブロードウェイミュージカルも鑑賞し、その期待以上の素晴らしさに思わず号泣してしまった。
しまいには、ニューヨーク滞在中に現地在住者だと間違われ、観光客に道を聞かれるほどになっていた(笑)
 
この旅が始まった時、私はとてつもない恐怖に直面した。
それは、私の人生で何度経験したことがあるか分からないほど大きな大きな恐怖感だった。
 
逃げたいと思った。
なんで一人旅なんかしようと思ったんだろうと後悔した。
大人しくしていれば良かった、いつも通りのことをしておけば良かった。
 
挑戦なんてするんじゃなかった。
 
空港で、何度も何度もそんな思いが私を覆った。
 
でも、恐怖を超えたその先で出会えたものがたくさんあった。
 
「空港を出て、ホテルに到着する」という低いハードルでも良いんだ。
だってホテルに到着するどころか、色々と観光もでき、念願のブロードウェイだって見れたから。さらに、旅の初めには予想もしてなかった素敵な体験ができて、素晴らしい景色も見れた。
 
やりたいことができたという達成感や喜びは、自分の力で立ち向かっていかないと絶対に味わえないものだ。
 
低いハードルでもまず越えてみると、後は越えようと思わなくてもたくさんの「初めて」 や「怖い」をいつの間にか超えているものなのかもしれない。
 
ただ、どんなに低いハードルでも越えるのは自分しかいない。
 
しっかり助走をとっても良い。スマートな越え方じゃなくても良い。
 
まずは、エイヤー! と一歩を踏み出すことが大事なんだ。
 
そう思うと、ビビリながらでも目の前のハードルを越えるのが楽しみになってきた。
 
 
 
 
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2019-05-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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