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転職する気も、できる気もしなかった私が、47歳で転職した理由


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記事:土屋忍(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「副業OKの会社に転職したいんです」
 
無邪気にそう告げると、ベテランの転職エージェントは頭を抱えてこう言った。
 
「副業OKの会社自体が非常に少ないんですよ。全体の15%程度しかないんです。加えて、就業規則に記載されていることが多いので、外からはわからないことが多い。そして、土屋さんは47歳という年齢が・・・・・・」
 
新卒で入社して24年勤めた会社を退職して、転職?! と考え始めたのは、2017年8月頃だった。
 
きっかけは、6月から7月にかけて遭遇した、ふたつの出来事。
 
ひとつは、高校の同級生の突然の死。
もうひとつは、マンガ家のくりた陸さんの永眠だった。
 
高校の同級生は、いつもと同じように仕事に出かけ、突然倒れて帰らぬ人に。
 
マンガ家のくりた陸さんは、13年前に乳がんを患ったものの、適切な手術、治療を受けて回復し、マンガ家のお仕事を続け、プライベートではバレエを習うなど、ごく普通の生活を送ることができていたそうだ。
しかし、術後13年目に再発、転移。帰らぬ人となってしまった。
 
私は2017年1月に乳がんと診断され、2月に手術を受けた。右胸を失ったものの、予後は順調で、仕事も家事育児も、入浴もプールも、術前となにひとつ変わらない生活を送ることができていた。
 
私は、乳がんの告知を受けてからこのふたつの出来事に遭遇するまで、「死の恐怖」なんて一度も感じたことはなかった。
それはおそらく、乳がん手術後も元気に暮らしている母の存在が大きかったのだろう。
適切な治療を受ければ完治する、不治の病ではない、母がそれを証明してくれている。
だから、自分もきっと大丈夫。そう思っていた。
 
高校の同級生と、くりたさん永眠のニュースに触れたとき、初めて、「もしかしたら、10年後はないかもしれない」と思った。
 
もし、10年後がないのなら、「定年後でいいや~」と思っていた、働くママ・パパ応援講座や、アドラー心理学講師の仕事を、今、始めるべきではないか。
 
いつやるの? 今でしょ!! ってやつね。
 
でも、脱サラして独立するのはリスクが高すぎる。小学生の息子が成人するまでは、安定した収入を確保しておきたい、という思いがあった。
となると、会社員として働きながら、副業という形で少しずつ取り組むのが現実的。
でも職場で副業している人を見たことがない。就業規則には「許可なく他の職に就いてはならない」という主旨の一文があり、許可申請書なんてどこにも見当たらない。ということは他の多くの会社と同じように、実質は副業禁止なのだと理解していた。
 
それなら、副業OKの会社を探してみよう。そして、ご縁があったら転職しよう。
 
こうして、47歳ワーキングマザーの転職活動が始まった。
しかしそれは予想以上に、つらく険しいいばらの道だった。
 
「47歳という年齢が・・・・・・」と言いながら、転職エージェントは副業OKの会社を10社ほど紹介してくれた。
しかしそのうち9社は書類選考であえなく落選。
残ったのは1社だけだった。
 
書類選考を待つ間、自分でも転職サイトで探して、エントリーした。
が、不合格。
正社員だけでなく、契約社員もダメだった。
 
在宅ワークや派遣社員のクチも調べたけど、フルタイムで働いても収入が激減する現実をつきつけられ、たじろぐ。
 
自己肯定感はダダさがり。
 
そのときに、気がついた。
私は、ひとつの会社に長く勤めている、ただそれだけで、管理職経験もなければ、特別な知識やスキルも持ち合わせていない。転職市場での自分の価値は高くなかったんだということに、落ちまくって初めて気がついた。
 
そもそも、副業したいという動機がなければ、転職するつもりなんてなかった。
新卒で入社したこの会社で、定年まで勤め上げる気満々だったのだ。
会社や仕事内容に不満はなく、給料も勤務地も福利厚生も人間関係も、転職を決意するほどの大きなマイナス材料はなかった。
 
なのにホントに転職したいのか? そこまでして副業したいのか?
自問自答の日々が続いた。
 
そんな折り、副業NGだと思っていた現職で、実は副業できる! という情報を入手した。
転職先が見つからなかったら会社に残るつもりでいた私は、副業許可申請書についての問い合わせを人事部にしていなかった。ざっと探したところ見当たらなかったし、それに、そんなこと聞いたら、こいつ退職するんじゃね? と思われそうでこわかったから。
でも、別ルートで申請書の存在を知り、人事部から取り寄せて、書いて出して、無事許可がおりた。
 
この時点で、1社だけ残った転職先候補は三次面接まで進んでいた。
 
現職で副業許可が出たし、受かっても移らなくていいかーと考えていたところへ、転職エージェントから、こんなメールが。
 
「今後、副業をどうしていきたいかというところに関係すると思いますが、多様性という面では、転職先の方が勝っていると思います」
 
頭をハンマーで殴られたような、ものすごい衝撃を受けた。
 
・・・・・・た、確かに!!
 
三次面接まで進んでいた会社は副業OKと公言していて、実際に副業を持って入社してくる新入社員もいるのだそう。
 
でもでも、今後どーなるかわからない副業のために、ホントにホントに転職するの?!
今の環境はちょー恵まれてるよ? これ以上の環境はないよ?
 
あー、でも、このチャンスを逃したら、もう転職の機会はないだろうなー。
 
何度も何度も、グルグルぐるぐる悩んで迷って考えて、夫にも何度も何度も相談した。
 
とりあえず、転職先の四次面接には全力で臨むことを心に誓い、結果、内定をいただくことができた。
 
そして、仕事や職場に不満はないけど、ご縁をいただいたということで、移ることに決めた。
 
こうして、転職する気も、できる気もしなかった私は、47歳で転職した。
 
転職先での仕事は、正直言ってラクじゃない。よし! とガッツポーズをしたくなる日もあれば、どっぷり落ち込む日もある。
 
やりたかった副業は、カラダを壊さない程度に、ゆるゆると続けている。
 
この転職は、果たして正解だったのか。
その答えを、私はまだ持ち合わせてはいない。
 
ただひとつ、言えるのは、あとどれくらいあるかわからない人生の残り時間を、より有意義に、よりチャレンジングに、過ごすことができる環境に身をおくことができている、ということだ。
 
そして、この環境は、「今」と「これから」の私に必要なものなのだ。
それだけは、はっきり言える。
 
もしもやりたいことがあるなら、実現したい未来があるなら、今、一歩踏み出そう。
ある日突然、人生の終わりがやってきても、後悔なんて、したくないから。
 
 
 
 

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2019-07-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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