メディアグランプリ

座禅、恐ろしゅうございました


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:益田和則(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
「宿泊参禅の為、ご指導どうぞよろしゅう!」
 
私は、誰もいないお寺の門前で、気恥ずかしさを押し殺しながら大きな声で叫んだ。
なぜか?
立て札に、座禅の修行のために泊りに来た人は、大きな声でこう叫べと書いてあるのだ。
 
この時はまだ、この時代錯誤的な呼びかけが、地獄の扉を開くことになろうとは思いもしなかった。
 
しばらくして、和服に割烹着を身につけた品の良い女性が現れ、笑顔で迎えてくれた。
「おあがりください。5時ごろに、ご住職様からご挨拶がありますので、ここでしばらくお待ちください」
私は、四方の山々から降ってくる蝉の声を聞きながら、三々五々集まってくる体験希望者とともに、本堂に座って時を過ごした。
 
ここは、秩父の山の中にある曹洞宗の禅寺。宿泊して、座禅の体験ができるお寺だ。座禅体験が中心であるが、住職さんのありがたいお話、精進料理、写経などの体験もできることになっている。
 
私を含め、8名の体験希望者が揃ったところで、おもむろに住職さんが現れた。
背が高く、剃髪された頭部が日に焼けて浅黒く光っている。眼光鋭く、ピンと背筋が伸び、身の動きに無駄がない。
 
ご住職は我々に向かって、おごそかに尋ねた。
 
「何があなたをここへ導きましたか?」
 
私は、頭の中で解答を準備した。
私は、人生の折り返し点に立ち、これからどう生きて行くか思案している所である。その上、今、恋愛問題など、世俗的な問題もいくつか抱えていた。そこで、日常生活から離れ、頭の中を整理したいと思い、ここに来たのだ。
 
しかしながら、もし私が、「座禅を組みながら、いろいろと思索し、世俗的な問題を整理したい思っております」などと答えたら、ご住職は、「おろかもの!」と叫び、警策(座禅中に、注意を喚起するために肩を打つ棒)で、私の頭を真っ二つにたたき割っていたことであろう。
 
私は、幸運にも予習をしていた。
「座禅は、『心のゴミ捨て場』であると心得ております。何かを得ようとするのではなく、『心を無にすること』を目的として座禅を組みたいと思っております。日常の雑事から離れ、雑念を追い払い、本来の自分を取り戻すために参りました」
 
結局、私がドヤ顔で話すには至らず、ご住職みずから、禅の心を説明してくださった。
 
6時から、座禅が始まった。
ご本尊に背を向け、廊下に一列に並んで、座禅を始めた。左足を右足の腿に乗せるように足を組み、背筋を伸ばし、鼻で息をする腹式呼吸、そして目は、仏像のように半開きで1.5メートル先を見る。
 
しかしながら、普段、あぐらさえも組むことのない私は、足を組むことで往生した。ご住職から、各自無理のないように、足を組めばよいとお許しをいただいた。理想の姿勢からは程遠いのだが、できうる限りの努力を払い座禅に臨んだ。
 
予期していたことではあるが、数分経つと、組んだ足が痛みだしてきた。知らず知らず背も丸まってくる。さらに、驚いたことに、頭から汗が噴き出て顔に伝いポトポト落ち始めた。シャツもぐっしょり汗がにじんできた。極度の緊張のせいか、それとも、どこか体に力が入っているせいなのか……。その上、山の植物のせいか、お香のためか、それともやはり緊張のせいか鼻炎アレルギーが発動し鼻水が止まらなくなってきた。手で拭うこともできず、たいへんな面相のまま、ひたすら我慢、我慢、我慢して動かないように努めていた。
 
このような有様で、心を無にするという状態からは程遠いどころか、これほど心が乱された状況は、近年、経験していないのだ!
 
にもかかわらず、わたしは、驚くべき発見をした。
このような非常事態の中で、というか、非常事態の中だからこそ、感じ取ったものがある。
 
心と、体、それに、頭(思考)が、別々に、自分の中で存在しているという事を体で感じることができたのだ。日常の生活では、この3つが、別々のものという意識することはあまりない。ところが、この非日常的な状況に置かれ圧迫されたことで、3つの要素が、別々の方向を向き始めた。
 
まず、心は、「ありたい私の姿」を映像として映し出している。静かに座禅を組み、無の境地に遊んでいる私が心のスクリーンに映し出されている。
 
一方、体は、無理な姿勢にさせられたうえ、動くなという理不尽な命令に対し、悲鳴を上げている。制御機能を失い暴走している。異常な発汗、鼻水、股間の痛みなどで、精いっぱいの抵抗をしている。
 
そして、頭と言えば、こんな状況においても、抱えているいろんな世俗的な問題が走馬灯のように、頭の中に浮かんでは消えていく。頭の中を無にするどころか、いろんな思いが、忙しく駆け巡っている。
 
これはどういうことだろうか?
今、私は、まがいなりにも座禅を組み、意識を自分に向けている。そのことで、追い込まれている自分、すなわち、心、体、頭がバラバラになっている自分を、客観的に観ることができている。
 
座禅の修行というのは、まず、この三つの要素を自覚したうえで、それらを一つに調和させていく術を習得していくことではないだろうか。そのためには、まず、外から圧力をかけ、3つの要素を、強制的に分裂させる必要があるのではないか。
 
座禅を組む時間は、40分であったらしいのだが、果てしなく長い時間に思えた。
 
終盤に近付き、私だけでなく皆さん苦しんでいるらしい。
その時、静かだが力強いご住職の声が、本堂に響き渡った。
「座禅は、ただのんびりと座っているものじゃないのです」
「覚悟が必要です」
「我慢しなさい!」とぴしゃり。
 
私には、「覚悟」という言葉が響いた。
 
覚悟して、腹を据え、現状を受け入れたら、少しは苦痛が和らいだ気がした。
そして、今悩んでいる諸問題についても光明が見えてきた。
実は、自分の中では、すでに答えが出ているのではないか。ただ足りないのは、自分を信じ、腹を決めることではないのか。自分が「覚悟」を持てば、すべて、解決に向かうのではないかと思えてきた。
 
明けない夜はない。
悶え苦しんだ座禅も終わった。
 
私は、座禅を組めば、即、心静かに瞑想にふけることができると、安易に考えていた。
そんな生やさしいものではない!
ここで私が演じたのは、心、体、頭の三つどもえのバトルだった。
その結果得たものは、座禅道の深みを、かすかに垣間見ただけだった。
 
とてつもなく長く厳しい自分との戦いの果てに至る境地、それが「無の境地」なのだろう。
そこには、心、体、頭もない、そして、「私」もない世界が広がっているのであろう。
 
何事も、「覚悟」なく挑むと、ケガをする。
 
 
 
 
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2019-08-15 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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