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週刊READING LIFE vol.91

5時間半の忖度《週刊READING LIFE Vol,91 愛想笑い》


記事:大森瑞希(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
登り始めて、40分。
猛烈に後悔している。
私は登山が好きで、天気のいい週末はどこかの山に登ることが多い。
今回は大分県の由布岳・標高1830mに挑戦していた。
いつもは一人で登っているのだが、今日は知人のユカさんと一緒だ。
この人と一緒に登らなければ良かった。
やっぱり山はソロに限る……。
頂上まであと一時間半以上かかる。
まだ遠くに見える山の頂を仰ぎ見て、私はユカさんに気づかれないようにこっそり溜息をついてしまった。
 
私がソロ登山を好き理由は、自分の体力と時間配分を考えながら、自身のペースで登ることができるからである。
調子が良い時は一気に登り、疲れたら休める。
どんなにへばってしまっても、自分しかいないので誰にも迷惑をかけることはない。
自由気ままに、自分の思う存分、山を満喫することが出来る。
もとより、私は登山以外の多くのことにおいても集団行動より個人で行動することの方が好きだった。
行動そのものが疲れるというより、周りを気にしすぎることでぐったりしてしまう。
人の顔色をうかがいながら、その場の雰囲気を壊さないよう、相手を傷つけぬよう、愛想を振りまき続けることがしんどい。
幼い頃からチームで何かを協力してやるより、黙々とひとりで作業することの方が性になっている気がした。
それは自分の個性と捉えることもできるが、どこかで常にコンプレックスを感じていた。
だってアニメや漫画の主人公はいつだって、仲間と協力して夢を掴んできたから。
仲間と衝突を恐れずに、対話を重ねて、時には拳でお互いの気持ちを伝えあい、絆を深めていくのは、勇気があることでとても美しい。
しかし、私にはそれが出来そうにない。
周りと合わせられない自分。
そんな自分にとってソロ登山はぴったりのスポーツだ。
大学時代から登山を初めて、7年経つ。
アルプスにも八ヶ岳にも挑戦してきたし、体力は自信があった。
しかし、この由布岳山行を境に私のプライドは木っ端みじんに砕け散る結果となった。
 
ユカさんは強靭な体力を持っていた。
私より20歳も年上なのに、歩く速度は速く、呼吸も一切乱れない。
先頭を行くのは彼女で、私はそれについて行くだけで必死だ。
猛然と歩き、前を歩く登山客を次々に追い越して、通常のコースタイムより大幅に速いペースで進んでいく。
速すぎて彼女の背後からは旋風が巻きあがっているかのようだ。
なんでも、休日は毎週山に登り、平日は毎日30㎞近く歩いているのだそうで、その屈強な体力と精神力には脱帽せざるを得ない。
私の呼吸の荒さを背中で感じ取った彼女は、「大丈夫?休もうか?」とこまめに声をかけてくれる。
休みたいのは山々だが、さっき休憩してから15分くらいしか経っていない。
ユカさんは、こんなに体力の無い私に呆れているのではないだろうか。
私がいなければもっと早く登れるのに、と思っていたりしないだろうか。
こんなに度々休憩を申し出ていては、彼女の足手まといになってしまう。
私は彼女の後ろを歩いており、表情を読み取られないことをいいことに「全然大丈夫です!」と、元気で愛想のいい声に聞こえるように言ってみる。
本当は今にもすぐへたり込みたかった。
しかし、休憩が出来ない辛さより、ユカさんに負担と思われながら気まずい思いで登り続ける方が苦痛であった。
 
休憩をとる時、私はザックを降ろし、適当な場所に腰かけ、水分を補給するのだが、ユカさんはそのうちのどれもしない。
ザックを背負ったまま、その場で足踏みをし続け、水もほとんど摂らない。
彼女は笑いながら、「ゆっくり休んでいいよー」と言ってくれるが、その足踏みの音は小気味良く、たったったっの音が「は・や・く」に聞こえてしまってならない。
その笑みとは裏腹に、本当はすぐにへばる私を煩わしい、と思っていないだろうか。
一緒に登っているのだからペースを合わせることは仕方ない。
どうにかして彼女について行き、今日の山行を円満に終わらせるしかない。
私はこんなに苦しいというのに、この人の肺はどうなっているのだろう。
心拍数が上がることはないのだろうか。
足や腰が痛くなることはないのだろうか。
もはやその強靭さは人間ではないように思える。
私は人間離れした人についてきちゃったんだ……。
吐き気をこらえながら、歩き続ける。
 
ユカさんは話しながら登る。
あの花が綺麗だとか、この積み重なった石の成り立ちはとか、この標識を立てたのは誰なのか、とか。
ユカさんの声は笑っているように聞こえる。
笑顔で普通の会話をしながらこれだけ早いペースを保てるなんて、超人としか思えない。
私は凡人だ。
あと一言でも口を開けば、胃液が逆流しそうだ。
けれど、何も反応しなかったら変に思われてしまうから、「はい、そうですよね」とか「私もそう思います」とか「ははは」を連発しながらやり通す。
本当に笑っているように聞こえさせなければならないので大変だ。
上手くできているだろうか。
 
登り始めて一時間。
私は手元の腕時計で、コースタイムを計りながらあることに気づいた。
ユカさんのペースが少しだけ落ちている。
ユカさんは、上機嫌に話を続けているが、その足に注目すると最初より歩幅が幾分か小さくなっているように見える。
ユカさんも疲れてきた?と思った矢先、私はその考えを即座に考え直した。
違う。疲れたのではない。
私に合わせくれているのだ。
 
私は、くたびれているのにくたびれていないフリをして、ずっと愛想笑いしているのが苦痛だった。
体力のある人には、体力の無い人の気持ちは分からないよな、と思っていた。
しかし、ユカさんの立場ならどうだろうか。
もし彼女が私の愛想笑いに気づいていたとしたら。
辛いはずなのに、辛くないフリをされ続けたら、自分が急かしてしまっているようで居心地が悪いかもしれない。
本当に辛いなら言ってほしい。
けれど、辛いと言いづらい気持ちもわかるから、せめて歩くスピードを合わせたり、何気ない雑談で相手の気持ちを和ませようとしている。
愛想笑いをしているのは、私だけではなかったのかもしれない。
大学生の時、私がリーダーで後輩を引き連れて山行合宿に行ったときのことを思い出す。
アルプス縦走は新入部員にはきついに違いないので、私は全員の様子に気を配りながら山を歩いていた。
そのうちの一人が、呼吸が荒く、汗をかき、足ががくがくしているのにこちらが「大丈夫?休む?」と聞くと、絶対に「大丈夫です」と笑って返してきた。
その時は、大丈夫なわけない、無理すると危険なのだから正直に言ってくれたらいいのに、と思いながら、強制的に休憩を取らせていた。
今なら、その後輩の気持ちが良くわかる。
あの時後輩も笑ってた。今の私と同じで。
 
今回の山行は全部で5時間半かかった。
そのうちのほぼ全時間を、私とユカさんは愛想笑いをしながら行動していた。
愛想笑いは、人の機嫌を取る為の笑いだ。
笑う人の心の底はうかがい知れないので、愛想笑いだけでは健全なコミュニケーションは生まれないと捉えるのは普通だろう。
けれど、それがすべてではない。
相手の反応を探りながら、相手を慮ってである愛想笑いは時として、互いに歩み寄るきっかけとなる。
私の愛想笑いに、ユカさんはきっと気づいてくれていたし、
ユカさんの愛想笑いは、彼女が相手を思いやる優しい心の持ち主だということに気づかせてくれた。
相手の顔色を窺うというのも決して悪いことだけではない。
それによって見えてくるその人の良さだってあるはずなのだ。
5時間半、非常に苦しかったが、ユカさんの優しさに触れて何とか無事に下山することが出来た。
愛想笑いも奥が深い。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
大森瑞(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2020-08-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.91

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