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READING LIFE

『ガイアの夜明け』原発から8キロ地元人気店の復活劇《READING LIFE EXTRA》

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実家に帰って、朝、ご飯を食べ終わり、何気なく新聞を開く。

宮城の家庭では、新聞といえばほとんどが河北新報だ。

そこに、今日の線量というコーナーがある。福島周辺の放射線の測定値が毎日地図上に示されるのである。

宮城などは、ほとんど東京と変わらない値である。けれども、やはり、福島原発付近の値は、間違いなく、高い。

それは、歴然たる事実であって、この事実から、我々は目を背けてはならないのだろうと思う。

 

今回の『ガイアの夜明け』は、原発から8キロの場所にあった、サンプラザと呼ばれるショッピングセンターの話である。

人口2万人ほどの町で、震災前は、年商35億円あったというから、堂々たるものである。

仮設住宅で避難生活をしている老夫婦はこんなことを言う。

 

「サンプラは、青春だ。若い時にお父さんに5万円の指輪を買ってもらったことがある」

 

あの震災によって、年商も、そして青春の思い出の場所も、一瞬によって奪われることになる。

原発から20キロ圏内なので、戻ることもできずに、浪江町の人たちは、避難生活を余儀なくされることになった。

もちろん、営業を再開できるはずもない。

サンプラザの従業員も、故郷と働き場所を奪われ、別の町で待機することになる。

東電からの賠償金で、震災前の収入は保障されるものの、待機している従業員たちの間には、別のストレスが蔓延していた。

 

すなわち、「働けない」というストレスである。

 

人というのは、不思議なもので、お金があれば、事済むということではない。働き、稼ぎ、それで賄うことによって、ようやく幸せを感じられる生き物らしい。多くの人は、働けなくなると、ともすれば働いていたとき以上にストレスを感じるものなのかも知れない。

 

また、否応なく、営業ができない状況になったとき、多くの従業員を抱える企業のトップは、どうすればいいのだろうか。

(この模範は出光興産の創業者をモデルとしたベストセラー小説『海賊とよばれた男』に込められているので、どうか、この名作を読んでほしい。)

ほとんどの場合は、茫然自失としてしまうだろう。

それは責められないだろうと思う。

このサンプラザを運営するマツバヤの、松原社長は、一旦、サンプラザの再開を断念して、ネット事業での活路を見出そうとする。けれども、社員総会での、社員の気持ち、もう一度サンプラザで働きたいという気持ちを聞いて、決意する。

浪江町に隣接する田村市で、新しい店舗をオープンすることにしたのだ。

 

震災からおよそ一年後の2012年3月8日、「サンプラザふねひきパーク店」がオープンする。

そのオープン当日、およそ1000人のお客様が来店したと言う。

 

今回は、単に、被災して大変だね、原発やっぱり危ないよね、という単純な話ではない。

この「物語」に、働くことの原点があり、経営することの本質があるように思える。

 

 

《メモ》

浪江町。

マツバヤが運営するサンプラザ。年商35億円

松原社長は、インターネット事業に活路を見出そうとしたが、「店」という原点に帰ることを決意する。

待機している人、100人。

震災以降、引き篭もって毎日テレビを観ている。

東京電力の賠償金で生活している。

もし、給与が30万円だったなら、それを保障される。働いても働かなくても同じ。

震災から一年後の3月8日。隣接する田村市に店舗をオープンさせる。

「サンプラザ ふねひきパーク店」

開店日は1000人が来店。

仮設住宅に住む常連さんたち、足がないので行きたくとも行けない。

青春時代に5万円でお父さんに指輪を買ってもらったという老夫婦。「私たちの青春、サンプラは」

買い物バスツアーで対応。


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