もし死に方を選べるのなら
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:芝田エル(ライティングゼミ平日コース)
「がんで死ぬのと認知症で死ぬのと、あなたがもし死に方を選べるとしたら、どちらがいいですか?」
と講師が尋ねた。
終活講座に来た50人ほどの聴衆はきょとんとした。
「隣同士で話し合ってください」と言って、講師は会場内をゆっくりと歩き出した。
会場はざわざわし「私はどっちも嫌だわ、ピンピンコロリで逝きたい」とか「認知症で自分のことがわからなくなるなら、私はがんを選ぶ」と言う声が聞こえる。
別なテーブルからは「うちの父親は脳卒中のあと長患いしてね・・寝たきりが長いのは嫌だよ」という女性もいた。
誰もが親や身近な人を亡くした経験がある年代だからか、終活講座は大盛況だ。
今年に入ってから認知症講座と人気を二分し、受講者はずいぶん増えていた。
「私は以前は認知症で死ぬのは嫌だと思っていたんですよ。自分のことが分からなくなって、手足を縛られたり薬を盛られたりするのは嫌ですからね」と講師が話し出した。
「でもね、最近認知症のケアはずいぶんよくなってきた。高齢者施設では人間らしくサポートしてくれるようになってきたんです。そうすると、嫌なことは忘れるのは悪いことじゃないな、と思えるようになってきました。だから今私は適切な施設を選びさえすれば、認知症で最期を迎えるのも悪くはない、とこう思うんです」
講師の言葉に受講者の顔が上がった。
私はずっと前から死ぬときはがんだな、と思っている。
母と母方の兄弟が皆がんで亡くなっているというのが理由だが、今は二人に一人ががんで死ぬ時代だ。確率は50%である。
なぜがんで死にたいのか、と聞かれれば理由は簡単である。
死ぬ準備ができるから、だ。
私の母は59歳の時にがんで亡くなった。
病気が分かったのは54歳のときだから、ぎりぎり5年は生存していたことになる。
背中が痛いというのが最初の症状で、整体に通って揉んでもらったり、市販薬やシップでごまかしていた。いよいよ痛みがつらくなって整形外科に行って調べたら、肺がんで背骨に転移しているという。
すぐさま入院して手術を受け、2か月ほどで退院できるようになった。
ちょうどそのころ家業がうまくいかなくなり、父は会社をたたむことで東奔西走していた。
退院祝いどころか自宅を売却することになり、母はゆっくりしている状況ではなくなった。
術後の弱った体で家財を片付け、私にごみ捨てを指示した。
夫婦二人で住むのにちょうどいい大きさのアパートに引っ越すと、どっと疲れがでて入院した。
無収入になってしまったので、何か手だてはないかと自ら調べはじめた。
すると「54歳でも体に障害を受けたら年金がでるらしい」とわかり、病院のソーシャルワーカーのところへ相談しに行った。
「私はずっと働いてきたもの、ちょっとお先に年金もらうくらい、許されるでしょ」と笑っていた。
その後も入退院を繰り返したが、ある時「病院にいると主体性を奪われる」と言って、できるだけ家にいることを望んだ。
まだ今のような介護保険のある時代ではない。
往診に来てくれる先生も見つかり、父と母の静かな生活が続いた。
自分でも死期が近いことがわかったのだろう、生命保険のことや大事にしていた着物の形見分けについて話し出したことがあった。
遺言めいたことを書いたノートの中に、一枚の写真が入っていた。母が一番生き生きと働いていたころの写真である。お気に入りの花模様のワンピースを着て、ゆったりとほほ笑む写真だった。いつのまにかその写真をアルバムから剥がしていたのだ。
「これは遺影にして頂戴ね」
私と姉は「そんな準備しないでよ、お母さん。まだまだ生きてて頂戴」と涙をこらえていったのだけど、
「お葬式でね、なんでこんなのを選んだんだろうなって思う写真、見ることあるでしょう。死んだ後で写真を選ぶのって、時間がなくて慌ててるから、えいって適当なのを選んじゃうのよ。私はそんなの嫌なのよ。今ある中で一番きれいな写真でなくちゃ」
と有無を言わせなかった。
それからお墓は手放さなかった。
がんになる前に父と二人で入るお墓を買っていた。新品だし、まだ誰も入ってないから、売る気になれば小金が入ったはずだが「私の安住の地よ」と笑っていた。
こうして自分の来た道行く道を整えて、母は旅立っていった。
偶然だけれど死ぬ瞬間、父と私と私の子供たちがその場に居合わせることができた。
幼稚園児だった子供たちは命が閉じるのを間近で体験できた。
大泣きする私のそばで、子供たちはやさしく母の頭をなでた。
言葉で説明するよりもずっと、子供は死というものを自然に受け止めるんだなと驚いたのを今でも鮮明に覚えている。
痛みや苦しみがなければ、死というものはこんなに平穏に訪れる。
そして生きている者たちにギフトを残していくんだなとわかったのだ。
だからもし死を自分で選べるのなら、私も母のようにちゃんと準備をしてあの世へ逝きたいな、と思うのである。
あちらに着いたら父と母が出迎えてくれて、頭をなでてくれるのを期待しながら。
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