メディアグランプリ

幸せの『辛いカレーライス』


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記事:小林 りさ(ライティング・ゼミ 特講)
 
 
私は、父ほど怖い人間に、かつて出会ったことがない。
たぶんこの先も出会うことはないだろう。父のおかげで、私の人生設定はハードモードになり、人付き合いがより苦手になったと思う。
 
私の父は、二人いる。一人目は、私をこの世に生み出してくれた父親。すなわち文字通り、生みの父親である。
彼は、私をこの世に生み出してくれたかけがえのない人であり、それ以上でもそれ以下でもない。彼は、この世に私を生み出し、役割を終えた。
 
二人目の父は、育ての親である。父は、厳格な父であり、鬼軍曹であった。
昭和から元号が変わり、平成になったころ、軍隊家族は発足した。
私は小学校に入学したばかりであった。
 
鬼軍曹は本当に厳しい男だった。今思えば、あたり前な常識的ことから始まり、時には理不尽なことまであった。『社会』とはこういうものなんだと幼心に思った。それまでは、自由にできていたことが、禁止されるようになった。友人の家でお泊りすることはおろか祖父母の家に泊まりに行くことすら許されなくなってしまった。
 
鬼軍曹は、仕事のストレスをそのまま家に持って帰ることもしばしばあった。隊員たちは、そういう時は、より一層、対応に気を配っていたが、回避できないことの方が多かった。
リビングでくつろぐ隊員たちは、鬼軍曹の帰宅時間をいつも見張っていた。鬼軍曹の車の音が聞こえると、いっきにリビングは片づけられ、隊員たちは散らばって所定の位置に着く。
楽しそうにしていると、鬼軍曹の怒りを買うことになるのだ。
 
鬼軍曹が、母とはよく言い争いをしていて、最後はいつも母が泣いていた。
私は、離婚したらいいのに。と何度も思ったのだが、次の日になると、ほとぼりが冷めた母は、心配かけてごめんね。これしか生きていく道がないの。という。
軍隊家族が発足してからずっとだ。鬼軍曹と言い争う、そして母が泣く、その繰り返しだ。
 
日曜の夕飯は、鬼軍曹が自らカレーライスをつくることが多かった。
食べ盛りの子供たちがいるので、鬼軍曹は張り切って厨房に立つ。
母が傍にいて鬼軍曹のカレー作りをサポートする。鬼軍曹の指示に従って、母がテキパキ動く。日曜の夕方、国民的テレビアニメのお馴染みのシーンのようにみんなが所定の位置に座る。夕飯の前におやつを食べることは、鬼軍曹から禁止されている。夕飯が食べれなくなるからという理由だ。また、夕飯を残した者は、夕飯の時間以外で食事や間食をとることはタブーとされていた。鬼軍曹が見張っているのだ。
 
鬼軍曹がつくるカレーライスは、酷く辛い。おいしいのに酷く辛い。
だが、誰も文句は言わない。言えない。
みんな辛い、辛い言いながら、辛さを我慢して、舌をひらひらさせながら食べる。
その様子を鬼軍曹は、いつも笑いながら、満足そうに見ていた。
 
それは不器用な男の愛情表現であった。
みんなでこの辛いカレーライスを食べて辛いことを乗り越えていこう。
そんな風にも感じた。
 
一度目の結婚に失敗し、世間から失われた信頼と名誉挽回したい。出世し見返したい鬼軍曹は、何としてでもこの軍隊家族を守り抜かねばならなかった。
鬼に仕える母は、この生活しかないといつも嘆いていた。
新しい家族が3人増えて、不安定になる長男。
生みの父親の方についていき、一緒に暮らしたかった姉。
そんな軍隊家族の隊員たちを見て、世の中というものを悟ってしまったかのような私。
 
軍隊家族の隊員たちは、それぞれの立ち位置で、辛い状況にあったと言える。
そして、どういうわけかわからないけれど、この状況を時期が来るまで誰一人として逃れることができなかった。
 
子供たちが自立し、家を出たあと、実家は鬼軍曹と母と祖母の3人暮らしになった。
いつの間にか、鬼軍曹はあの『辛いカレーライス』を作らなくなっていた。
 
わたしが結婚して、たまたま里帰りしたときに、お父さんみたいに辛いカレーライスじゃないけど。とカレーライスを作って、振舞ったことがあった。
鬼軍曹は、おいしいおいしいと大絶賛してくれて、おまえはこんなおいしいカレーライス
もう二度と作れないだろうね。と言ってくれた。
子供のころ、ものすごく辛いカレーライスよく作ってくれたよねと話をすると、懐かしそうに少し照れ臭そうに笑っていた。
 
軍隊家族は事実上、解散することになった。
退職を迎えてから数年足らずで認知症を発症した鬼軍曹は、施設で余生を送っているからである。
 
『幸 しあわせ 』という漢字から一画引くと『辛 からい、つらい 』になる。
二人の父親は、それぞれ自分の役割を全うし次の道へ進んだ。
あたり前に思っていた光景が幸せだったのだと教えてくれているかのように。
嫌なことも含めて幸せなのだと。
 
私には、父が作る辛いカレーライスを全肯定する必要があった。さもなければ、『わたし』の人生そのものが溶けてなくなってしまうからだ。
この辛いカレーライスが今の私をつくる要素のひとつであった。
理不尽なことだらけだったが、わたしは二人の父親に感謝している。
 
私にとって、あの辛いカレーライスは『幸せの象徴』である。
 
 
 
 
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2019-12-13 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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