メディアグランプリ

チェーン店に学ぶ「みんな違ってみんないい」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:かのこ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
「おっ、今日は早いね。いつもの?」
「いつもので! いやー、今日大事な会議前で、プレゼン資料作り終えてなくて……」
「そんなことだろうと思った。はい、いつものね。頑張って!」
 
メガネをかけた初老のおじちゃんと、笑顔で一言二言交わして、お金の代わりにカップを受け取る。いつの日からか、わたしの毎朝の日課になっている。カップを受け取って適当な席につき、淹れてもらったコーヒーをゆったりと啜りながら、ノートパソコンを開いてメールチェックを始める――なんて、そんな優雅な朝を迎えられたなら良いのだけど。
 
ここはハイカラな喫茶店じゃなくて、コンビニだ。
 
毎朝レジに立つおじちゃんと会話して、お金の代わりにカップを受け取り、自分でホットコーヒーのMサイズを淹れて会社に向かう。わたしの毎朝の日課とはすなわち、コンビニでコーヒーを買うこと、ただそれだけである。
 
初老のおじちゃんはよく行くコンビニの店長さんで、わたしのことを確実に認知しており(なんならどこの会社に勤めているかも察している)、毎朝必ず声をかけてくれるようになった。たまに同じ苗字のおばちゃんと一緒に立っていることがあるから、きっとご夫婦でコンビニを経営しておられるのだろう。そのせいだろうか、どこにでもあるコンビニのひとつだというのに、おじちゃんのコンビニにはなぜかアットホームな雰囲気が漂っている。
 
何もわたしだけが特別対応を受けているわけではない。おじちゃんのコンビニは会社近くにあるから、同僚はほとんどが認知されていると言っていい。たまに飲み会の席で「あのおじちゃんめっちゃ親切だよね」と話題になるほど、わたしたちにとっては馴染み深いコンビニなのである。
 
やがて、わたしはいつしか「どうせコンビニに行くならあの店がいいな」と思うようになった。どの店に入っても棚に並ぶ商品はほとんど変わらないけれど、頑張りたい日やクタクタになった日には、おじちゃんと少しでも話したくて。毎朝出社がギリギリになったとしても、必ずそのコンビニに寄って、おじちゃんと会話して、コーヒーを持って出ないと落ち着かない体になってしまっていた。
 
そんなある日、会社に「コンビニには行かない」主義の先輩がいることを知った。物心ついてから今まで、数えるほどしかコンビニを利用したことがないらしい。理由を知りたくて「どうしてですか?」と問うてみれば、彼女は不思議そうな表情でこう言った。
 
「だってコンビニってただ便利なだけでしょ? おいしくもない、添加物いっぱい、店員も不愛想、そんな店にわざわざお金なんて落としたくないよ」
 
そういえば、わたしの同期もつい最近、似たようなことを言っていた。彼は松屋が大好きなのだが、長野に来てからはあまり利用しないようになったのだという。
 
「俺、松屋の不愛想な店員が好きだったんだよなー。でもこっちの松屋入ったら、めちゃくちゃ愛想良くってさ。なんか逆に居心地悪くなっちゃったから、しばらくいいかなって」
 
わたしは、チェーン店であろうとなかろうと、愛想の良い店員さんが好きだ。馴染みの客を覚えてくれたり、それでいて初めての客にもちゃんと声をかけてくれるような、フレンドリーな店員さんが好きである。そういう人がいる店に惹かれるし、「またあの店に行きたいな」という気分になる。わたし自身が接客業をしていた経験があるからかもしれない。
 
でも、この価値観は、あくまでもわたしの価値観だ。
世の中の全員が同じ価値観でいるとは考えないほうがいい。
 
たとえば、コンビニに行かない先輩にとっては、店員の愛想が良かろうと悪かろうとあまり関係ないことだ。コンビニに行かない理由は何も「店員が不愛想だから」だけではない。そもそもコンビニ飯はおいしくないと考える人なので、店員の愛層が良ければ嬉しく思うだろうけれど、ただそれだけの理由でコンビニに足しげく通い始めることはないはずだ。判断基準がわたしとはまるっきり異なっている。
 
また、松屋に行かなくなった同期にとっては、店員の愛想は悪いほうが正義なのである。便利を売りにしている店(特にチェーン店)において、必要以上のフレンドリーさがあると、逆に居心地悪くて遠ざかってしまうのだろう。彼は「飲み屋の店員もあんまり絡んでくれなくていい」とさえ言っていたから、過剰サービスが元々苦手な人なのかもしれない。判断基準はわたしと似ているものの、「良い」と判断するものが真逆なのである。
 
わたしたちは、やっぱりどうしても、自分が抱く価値観こそが当然だと思い込んでしまいがちだ。人生は一度きりしかないのだから、当然ではあるけれど。今までどうやって生きてきたか、どのような環境で育ったのか、どのような考え方に囲まれていたのかによって「わたし」が成立しているように、わたし以外の「誰か」の価値観もまた違うもので成立しているのだということを、とかく、忘れがちなのだ。
 
多様性をようやく認めはじめた世の中で、社会に置いていかれないように。強く生き抜くためにまず重要な視点は、真の意味で「あなたはあなた・わたしはわたし」を理解して、受け入れていくことなのだろう。
 
そして、人間が忘れがちであることを思い出すたびに、自分の物差しを捨てて、相手の物差しを受け止めてみること。この一歩こそ、最も重要なことなのだろうと思う。
 
――わたしは数ヶ月前、突然金髪になったのだけれど、ちょっとだけコンビニに行くのをためらった。結局は田舎にあるコンビニだから、おじちゃんも金髪にちょっとした偏見があるんじゃないかと思って。おじちゃんのことが大好きだからこそ、おじちゃんに変な対応をされたらものすごく悲しくなってしまうような、そんな気がして。
 
でも意を決して、いつも通り、コンビニに入店してみた。その日は普段よりも混んでいて、レジには長蛇の列。おじちゃんとおばちゃんがさすがのレジ捌きを見せていたけれど、わたしの順番が回ってくる頃には、出社時間ギリギリになってしまった。
 
レジのおじちゃんに「いつもの」と言うと、「はーい」という返事と共にてきぱきとカップが置かれ、わたしの置いたお金が瞬時に消えていく。ちょっと寂しかった。わたしの後ろにも長蛇の列があったので、おじちゃんもおばちゃんもフル回転しなければならないことはわかっていたけれど、今日は会話すらないのかなと思うとやっぱりすこし寂しくて。
 
すこししょんぼりしていたら、最後にレシートを渡してくれたおじちゃんが、いつものようにニッコリ微笑んでこう言った。
 
「忙しくてごめんね! 金髪いいね、行ってらっしゃい!」
 
……やっぱりわたし、このコンビニが好きだな。
誰に対してもフレンドリーに声をかけてくれるおじちゃんは、誰からも好かれるわけではないだろうけれど、わたしは彼に何度も救われている。
 
 
 
 
***
 
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2020-02-28 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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