乳幼児虐待と紙一重の生活
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:布施京(ライティング・ゼミ平日コース)
「これ以上私にどうしろっていうのよ!! もういい加減にしてよ!!」
その女性の怒鳴り声は、うちのベランダにも届いた。そして、赤ちゃんの泣き叫ぶ声が、初夏の心地よい日差しに絡まりながらマンションの外に響き渡っていた。
土曜日の朝10時。朝ごはんの片付けもせずにのんびりとテレビを見ていた。そんな穏やかな時間帯に、思いがけない声が聞こえてきた。その怒鳴り声と入れ替わるように赤ん坊の声が聞こえてきた。より強く、より高く、何かを訴えるように、大きな、とても大きな泣き叫ぶ声だった。
「母親も一緒に泣いているのかもしれない」
私は、その見知らぬ女性の心に寄り添い、思いを馳せた。
なぜなら、私はその女性の声を聴いて安堵したからだ。
「自分だけではないのだ」
そう、自分だけではない。自分の子どもに対して、どうしようもなくイライラしたり、優しくしてあげられない瞬間があるのは、私だけではないのだ。
その日から、私は子どもを叱る前に、窓を閉めるのを忘れないようにした。
私は、長男を産んで数か月、産後うつになった。授乳中に突然嫌悪感が込み上げて、息子を突き放したこともあった。当時は、「うつ」という自覚は全くなかった。ただ、どうやって死ぬのがいいか、そればかりを毎日考えていた。できるだけ誰にも迷惑をかけずに死ぬ方法だ。首吊りが有力だった。でも、毎日料理するときに使う包丁が一番身近で、包丁を使って死ぬ方法がないかとよく考えていた。
そんなある日、硬くなったお餅を包丁で切っていたら、指を深く切ってしまった。血がドクドクと流れ出し、耐えられないほどの痛みが走った。
「痛い……」
一人声を出して、痛みを訴えた。
そんな時、ふと、死にたいと思っている自分を思い出した。
「指でもこんなに痛いのに、私は本当に死ねるのだろうか」
「いや、無理だ。死ぬときはこんな痛みじゃない。耐えられるわけがない。」
冷静に判断することができた。
その後、雑誌で「産後うつ」についての記事を読んだ。症状が記載されていた。
・死にたいなど、「死」について考える
・子どもを産まなければよかったと思う
・母親として育児に自信がない
・将来に対する希望が持てない などなど。
自分の症状が羅列されているのを見て、自分が「産後うつ」だということを自覚した。
私は自覚してから、産後うつの症状は治まっていった。病院にも行かなかった。その程度のものだったから、軽度だったのであろうと推測している。だが、もし、産後うつだと自覚できず、重症化していたら、どうなっていただろうか……。泣き止まない子どもに手を上げていただろうか。それとも、どこかに置き去りにしてしまっただろうか……。
そう思うと、育児がつらくて乳幼児虐待や殺害をしてしまうニュースは、他人事とは思えなかった。
「懲役3年執行猶予5年」
昨年6月に、生後3か月の長女を階段の上から繰り返し落とし、殺害したとして、殺人罪に問われた女性の判決が言い渡された。私はその判決がずっと気になっていた。
彼女は重度の産後うつと診断されていたからだ。
裁判長が被告に語りかけた言葉がネット新聞に載っていた。
「(長女が)生まれてきた意味を考え、冥福を祈ってあげてほしい。被告が立ち直ってくれることが裁判官、裁判員の願いです」
被告は判決の言い渡しの途中からすすり泣いた。
私も通勤途中にこのニュースを読みながら鼻をすすった。
被告の薬指には結婚指輪があったという記事を読んだ。旦那さんと一緒に立ち直ってもらいたい。そう願わずにはいられなかった。
マンションから赤ちゃんの叫ぶ声が聞こえなくなって久しい。引っ越したのだろうか。それとも……。
今ならわかる。
あの時、窓を閉めてはいけなかった。
私が子どもを怒鳴る声を彼女に聞かせてあげればよかったのだ。
核家族化が進み、出産した女性の10人に1人が産後うつと言われているこのご時世だからこそ、もっとオープンにするべきだと思う。
「私も子どもに怒っているよ」
「怒ってしまうのは仕方ないよね。」
「叱りすぎていたら教えてほしい。どうしていいかわからないから。」
こんなメッセージを伝えてあげられたらよかった。
同じ子育てをしている女性として、母親として、同じ悩みを抱えているということを伝えてあげられたらよかった。
私の子どもは8歳になった。まだまだ怒る時が多い。オープンに堂々と叱っていく。
そして、育てる。
気持ちがいい初夏の風を感じるときは、窓を開け放そうと決めた。
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