記憶喪失の彼に、今日も会いたくなる理由
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:村井 美月(ライティング・ゼミ日曜コース)
「私の頭の中の消しゴム」や「50回目のファーストキス」のような、ラブストーリー映画ばりの展開を期待してこの記事をクリックしてしまった方、ごめんなさい。
「彼」は、私の愛しの恋人ではありません。
でも、映画に出てくる彼らに気持ちは負けていません。とても大切な人なのです。
「彼」は、今年米寿を迎える父方の祖父です。
祖父は、十年ほど前に認知症になりました。
発症してすぐの頃は、前回会った時のことを覚えていなかったり、就職した私に対して「大学はどう?」と尋ねたりと、違和感はありましたが、加齢による物忘れかな、という程度でした。
しかし、そこからの進行はとても早く、祖父は、自宅から歩いて数分の場所にある行きつけの歯医者に行くにも、道の途中で自分がなぜ今歩いているのかを忘れてしまい、歩いてきた道も忘れてしまい、祖母が探しに来るまで数時間、その場で座り込んでしまっているほど、深刻な状態になっていました。
私は昔から祖父のことが好きでしたが、そんな状態を両親から伝え聞くうち、彼に会うのが怖くなっていました。そしてそれから長い間、祖父には会いませんでした。
五年ほど前、たまたま祖父母の住む街に、友人と旅行に行くことになりました。
そこで、私はようやく祖父に会いに行く決意をしたのです。
「ピンポーン」
チャイムを鳴らすと、玄関のドアを開けてくれたのは祖父でした。
長年会っていませんでしたが、少し髪が薄く、白くなったぐらいで、明るい表情は、最後に会った時の彼のままです。
しかし、しばらくぶりに会った祖父の第一声は……。
「おや、このお嬢さんはどなたかな?」
彼は、やっぱり私のことを覚えていませんでした。
私が孫であることを伝えると、祖父はその場で泣き崩れてしまいました。
「ああ、やっぱり、来ない方が良かったのかな」心の中で呟いたその時、彼からこんな言葉をかけられました。
「ああ、こんな風になってしまって、ごめんね。初孫の美月だ。もちろん覚えているよ。あなたが生まれた時、おじいちゃんは人生で一番嬉しかったんだ。初孫は特別なんだよ。あなたの顔を初めて見た時のことは一生忘れないよ」
涙を浮かべながらそう話す祖父の前で、私も泣いてしまいました。
記憶が無い祖父に会っても傷つくだけ、それに、どうせ会ってもその記憶も忘れてしまうなら、会う意味はあるのだろうか。そんな風に思っていた自分が恥ずかしくなり、罪悪感でいっぱいになりました。
「おや、お嬢さん、どうしたの?」
そしてまた、祖父の記憶はリセットされました。
改めて私が孫であることを伝えると、彼からはまた新しい話題が出てきました。
「もちろん覚えているよ。ところで今、社会人になったの? 仕事は何をしているの? へえ、いい会社に入ったね。おじいちゃん自慢の孫だ。その会社は今の時代、本業一本でやって行くのは大変だから、確かいろいろなことにチャレンジしているよね。頑張り屋のあなたにぴったりだね。最近どんなことをしているか、教えてくれる?」
そしてこんな話題も。
「もう結婚はしたのかい? いつでもいいから、結婚したい人が現れたらおじいちゃんに紹介してね。あなたのお父さんみたいな人だったら困るから。(笑)なんて、うそうそ、ただ会ってみたいんだ。もちろん、あなたの選ぶ人だから、心配はしていないけどね」
そこにいたのは、幼い頃から変わらないあの祖父でした。
数分おきに自己紹介の時間は必要なものの、その後の会話は饒舌そのもの。認知症というのは、もしやいつものブラックジョークなのではと疑いたくなるほどでした。
帰り際、玄関の前で彼が口にした言葉は、私を迎え入れてくれた時と同じです。
「おや、このお嬢さんはどなたかな?」
今まであったことを祖父に話すと、彼はまた涙を流し、「今日は来てくれてありがとう。とても楽しかった」と言いました。
それから私は友人と予定通り旅行を楽しんで、実家に帰りました。
すると母が、「おじいちゃんから電話で伝言を頼まれたよ」と言うのです。
「おじいちゃんは今日、あの子と過ごせて本当に楽しかった。あと少ししたら覚えていないかもしれないけれど、この気持ちをどうしても伝えたくて。だから、彼女が帰ったらこの伝言を伝えてください。どうか宜しくお願いします」
その瞬間、私はまた祖父に会いに行きたくなりました。
彼は、記憶が無くなっても、愛情深さは昔のまま。前向きで聡明な祖父のままでした。
ここで、母方の祖母の話をさせてください。
彼女は、いつも明るく、冗談ばかり言う人でした。友人もたくさんいて、毎週末イベントや旅行に出かけていました。
しかし、彼女は糖尿病を患ってからふさぎこんでしまい、以前とはまったく違う人になってしまいました。もちろん今でも祖母のことは好きですが、顔をあわせるたびに、「私だって昔は元気だったのに、今は出かけられなくなって、辛くて辛くて仕方ない。あの頃の友達もいなくなって、みんな薄情だ。こんな人生が続くなら今にでも死にたい」なんて言われてしまうと、会いに行くのをためらってしまいます。
父方の祖父と母方の祖母、ふたりを見ていて思いました。
幸せになるためには、過去の記憶は重要ではないのだと。
祖父は、自分が認知症であることを当然認識しています。それに加えて、認知症を発症するずっと前から、週三回も人工透析に通うほど、身体に大きな問題を抱えています。大好きだった飲み会やゴルフにも長い間参加できていません。
辛さは、母方の祖母と代わりないはずです。
でも祖父は、現状に不満を言うことなく、誰よりも「今」を生きていました。
過去に固執せず、未来を想像して、今その時間を楽しんでいました。
祖父に再会したあの日、こっそり祖母が教えてくれました。
「おじいちゃんね、ひどい人だったのよ。飲み会で家のお金は使っちゃうし、浮気もするし、本当に憎らしくてたまらなかったの。それで今、そんなおじいちゃんのご飯を作ったり、外出の手伝いをしたり、すごく大変だし嫌なのよ。でも、毎晩おじいちゃんは、膝をついて『今日も一日、ありがとう』と言ってくれるの。そんなことされたら、明日もよろしくね、となっちゃうでしょう」
私も祖父のように生きたいと思いました。
過去の栄光や失敗にとらわれず、今、どう生きるべきかを考える。自分がどんな状況にいても、相手を想って行動する。
そうすれば祖父のように、たくさんの人に囲まれて、素敵な人生を送れるでしょう。
ああ、おじいちゃんのことを考えていたら、また会いたくなってきちゃったな。
あなたの記憶が全て無くなってしまっても、結婚相手を連れて、また必ず会いにいくからね。
***
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
★10月末まで10%OFF!【2022年12月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《土曜コース》」
天狼院書店「東京天狼院」 〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F 東京天狼院への行き方詳細はこちら
天狼院書店「福岡天狼院」 〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
天狼院書店「京都天狼院」2017.1.27 OPEN 〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
天狼院書店「プレイアトレ土浦店」 〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
【天狼院書店へのお問い合わせ】
【天狼院公式Facebookページ】 天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。