働き方改革の10年後に大学講義は役に立つのか?? ~大学で282単位を取得した編集者が教える2倍得する講義の受け
*この記事は、「取材ライティングゼミ・マスタークラス」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
<取材・構成 宮地輝光(取材ライティング・ゼミ)>
大学で講義を受けているみなさんには、将来の仕事を見据え、その仕事に役立つ知識や技能を講義から得たい(そして単位を取りたい)と考えている方は多いだろう。
ところが、今の世界はVUCA(Volatility<変動>、Uncertainty<不確実>、Complexity<複雑>、Ambiguity<曖昧>の頭文字)ワールドとも言われ、世の中が目まぐるしく変わる先行きの見えない時代である。実際、日本では政府主導で働き方改革が進められ、日本社会全体が対応に迫られている。この先10年後、働き方は今とは大きく変わっているだろう。そういった大きな社会変化の中で仕事をする上で、大学生のみなさんがまさに今受けている多くの講義から得た知識や技能、経験は、はたして仕事として役に立つのだろうか?
その疑問への一つの答えを、卒業所要単位数(124単位)の2倍以上である282単位を取得して早稲田大学法学部を卒業し、PHP研究所で100冊以上のビジネス書を手掛け、現在は天狼院書店の編集委員やライターとして活躍されている池口祥司氏から聞いた。
時代や職場が変わっても「軸」があれば仕事はブレない
私がかかわっている出版業界は、平成から令和へと時代が変わる中、大きく動いています。天狼院書店店主の三浦さんも「本の先の体験」と言っていますが、媒体が紙だけでなく、電子やセミナーやWebもあって、人に何かを伝える手段が紙の本である必要のない時代になっていると感じています。
私は大学卒業後、PHP研究所に就職、そこで多くのビジネス書の編集に携わりました。その中で、会社の内外で様々な人に出会いましたが、時代の変化を実感したのはファーストリテイリング(ユニクロ)の会長兼社長、柳井正さんの本「経営者になるためのノート」の出版にかかわったときです。
本を出版するならば自分の理念をしっかりと伝えたい、と柳井会長がおっしゃったこともあり、イベントの開催といった紙の本をただ編集すること以外のことにも携わりました。その経験を通して、紙の本を編集してベストセラーを出すことだけが編集者の仕事ではないと感じ始めたのです。
そして、自分はどちらかといえば黒子になり、書籍という枠組みにとらわれずに、いろんな人の伝えたいことを世に出す仕事がしたいという思いが募り、今の仕事に転職することを決めました。今では、Webの記事もお受けしていますし、企業の会報誌などの編集もやっています。PHP研究所からもお仕事をいただくこともあります。
こうやって時代が変わっても職場が変わっても、「何かを伝える」という点においては、ブレずに仕事ができていると思います。
「ブレない軸」を作るために大事なのは「やりきった経験」
この「ブレない軸」のようなものが身についたのは、大学におけるやりきった経験からです。なにか好きなものをやりきった経験は、大学時代には大事だと思います。
私は、大学4年間、月曜日から土曜日まで毎日休むことなくほぼすべての講義に出席し、282単位を取得しました。やり始めたら最後までやり通そうという気持ちで大学の講義に通いました。それが私の大事な「やりきった経験」の一つです。
この経験から身についた社会人として仕事をする上で大事な習慣の一つは、時間の使い方を工夫する習慣です。多くの講義に出席したものですから、とにかく時間がない生活でした。だから、自然と時間をどう使おうか考えてました。
例えば、お昼時に食堂や売店に並んで待っている時間がもったいないので、お弁当を作って大学に行きました。バイトは、大学が休みの時に一日で完結するようなもの、例えば試験官や帝国ホテルの催事で使ったレジをトラックに運び込む仕事とか、あるいは年末年始のジャニーズのコンサートの誘導係とか、隙間隙間の一日で完結するような仕事を選んでました。もちろん友人たちと遊ぶ時間もちゃんと作っていました。
講義を休むことなく出席する工夫も考えました。講義に出ると決めるだけでは、気持ちが緩んでしまうこともあって続きません。だから、できるだけ朝一番の講義を履修登録するようにしていました。朝から大学にいけば、その後の講義にも自然と足を運びやすくなります。
試験勉強をしなくても知識を定着させる方法も身につけました。講義をたくさん取ると試験もたくさんあるので、直前の試験勉強時間をなかなか確保できません。ですので、毎回講義に出たら、教授の雑談を含めてしっかりとノートをとりました。ノートをとっていると講義の内容が頭に入るんです。ですから、試験勉強はそんなにしなくて済みます。
そうやって毎日やっていることが自分を助けることは、社会人として仕事をする上でもよくあることです。社会に出て痛感しましたが、やるべきこと後回しにするとろくなことはありません。ライターをしているといくつも〆切があります。その〆切に間に合うように段取りをして仕事を進めることは大事な力になってきます。
いま振り返れば、大学生活の中で何かをやりきる経験を通して、社会に役に立つさまざまな力を自ら考えて身に着けていたのかもしれません。人から教わる力と比べて、自ら考え出した力はまるでアスリートの「体幹」のように身につきます。この力は私の考え方や行動の「軸」になっています。
学びきった知識や技術は仕事の端々で助けてくれる
大学で専門とする学問も、やりきることで仕事に役立ちます。文系と比べると、理工系の学生さんのほうが、大学でご自身の専門を極めたいと思う方は多いかと思います。ただ、変化の大きな時代ですから、大学で極めた専門の知識や技術は、短いスパンで陳腐化してしまうのではないかという不安はあるでしょう。
けれども社会で役に立つのは、知識や技術そのものより、その知識や技術を学びきった経験からにじみ出てくるような力です。例えば私の場合、法学部を卒業しましたが法学に関わる仕事には就きませんでした。ですから、弁護士になって日々法律を使う仕事をしている方々と比べれば法学の知識は圧倒的に少ない。
でも、法律が関わる話へのアレルギーはそこまでありません。世の中に出ると契約書の確認とか、著作権とか商標とか法律が関わることもあります。そういう法律の授業を大学で受講していたので、講義の内容は忘れていますけど、必要になったときに見直せば多少はわかります。
こういった感じで、専門とした法律ががっちりと仕事に役立っているのではなく、ちょっとずつ仕事に活きていると感じます。文系や理工系といった分野にかかわらず、大学時代に学びきった経験が、仕事の端々で助けになるものです。
専門のような知識や技術を学びきることに限らず、何か自ら決めたことをやり切る経験を大学時代にしておくと、その経験の中で、将来、仕事に役立つ技能が身につくと私は思っています。
多くの講義を通した思考の往復運動で「本当の自分」が見えてくる
仕事では、異なる世代の、自分とは違う考え方の人との接し方が大事になります。この時、「本当の自分」、自分はいったいどんな考え方をする人間なのかをよく理解しておくことが大事になります。
大学では、サークルや講義で友達や先輩といった自分と同世代の仲間と出会います。それに加えて、大学の講義を通して、異なる世代の人との接点を増やすこともできます。
講義の良いところは、先生と面と向かって接しなくても、接点が持てるところです。ただ講義を聞くだけでも、さまざまな思想に出会えます。異なる世代、大きく価値観の違う人と接するには入門的な場が講義といえます。
例えば私は、中東情勢の研究をしておられる先生の話からは衝撃を受けました。イスラム文化圏にどっぶり浸かった先生で、その文化圏を基礎にした発想で講義をされます。その講義の内容が日本人の視点からの話とはまるっきり違っていて本当に衝撃的でした。
こういった自分と背景が異なるさまざまな先生の話を講義で聞くと、自分はこう思うんだけどこの人はこう思ってるんだ、といったように自分の考えを相手の考えと突き合わせてみて、思考のトライ&エラーのようなことが講義を受講するたびにできます。
さらに講義の最後にレポート課題があると、自分の考えをより深掘りし、客観視することができます。レポートを書くには、先生が考えていることに加えて、その考えを受けて自分が考えたこともまとめなければならない。ですから強制的に自分と向き合わざるを得なくことになります。
このレポートで記憶に残ってるのは、例えば弓削尚子先生が講義でお話しされていたジェンダーの問題。当時は、田嶋陽子さん(元法政大学教授)や上野千鶴子さん(東京大学名誉教授)といった女性の先生が活躍されていて、ジェンダーの議論が激しくなり始めた時代でした。そのジェンダーの議論を聞いてると、却って逆差別も発生するのではないかと当時の私は感じました。女性専用車両を作るなら男性専用車はいらないのかといった具合です。
そういうことに関して弓削先生はご自身の論を講義で主張され、それを聞いて私は私の考えや意見を講義後のレポートにまとめて書いて提出する。先生と直接コミュニケーションをとったわけではありませんが、レポート紙面上で自分の意見を一つ一つ、飛んできたボールを打ち返すように書いて、そのレポートに対して評価をもらうことで意見のやりとりができたわけです。このやり取りの中で、自分の考えを深掘りできましたし、評価されることで自分の考えを客観視することもできました。
このやり取りは、思考の往復運動と言えるでしょう。受ける講義が多ければその分、思考の往復運動はより多く繰り返されて、自分の考え方を内面と外面の両方からどんどん深く知ることができ、その結果、自分というものがどういう発想をもって、どんな考え方をするのかを、まさに本当の自分を理解することができました。
読書は「思考の往復運動入門」、ゼミは「思考の往復運動実践編」
大学講義で先生方の話を聞くにあたって難しいのは、その場で話や議論がどんどん進むことだと思います。講義時間とかレポートの〆切といった具合に、思考の往復運動のための時間が限られているのも大学講義を受けるにあたって難しい理由の一つです。
そこでおススメなのは「読書」です。読書では、自分のペースで著者の話を読むことができます。ですから、ひっかかるところを何回も読み返して、時には一ページを読むのに30分以上かけて一人で思考の往復運動を繰り返し、著者の考え方や経験を「追体験」できます。
一例として私の読書による追体験の経験をお話ししますと、私は太宰治が好きで太宰の作品をたくさん読んでいました。すると、その著書の中で志賀直哉に対する悪口のようなことも書かれているんです。ですから太宰好きの私は、太宰の肩を持って、志賀直哉の小説はほとんど読まずに今日まできてしまいました。著作から太宰治と志賀直哉の喧嘩を追体験したと言ってもよいかもしれません。
こういった読書の追体験では、著者に与したら批判相手はいわば敵になりますけど、批判されてる人からみたら著者はどうなんだろうなとか、著者に無理があるからちょっと批判相手の視点も気になるから読んでみないと、などと考えをめぐらすようになります。
こういった読書によって思考の往復運動をすることに慣れておけば、大学講義で先生方の話を聞いて思考の往復運動をすることが断然やりやすくなります。読書と違って思考の往復運動をする相手が目の前にいる大学講義が、より魅力的に感じられることも増えると思います。そして、読書にはない時間の制約の中で大学講義を受け続けることで往復運動の瞬発力、思考のキレが増していきます。
大学を卒業して実社会で仕事をするようになると、話の相手との距離感はより近づきます。そして話の進むスピードはより速くなり、話の内容は時々刻々と変化していきます。ですから、思考の往復運動の瞬発力、思考のキレみたいなものが必要になると思います。けれどもこの力を身に着けるためには、大人数の学生がいる講義室で受ける講義だけでは足りないように思います。
ですから大学の3~4年生では、ゼミと呼ばれる教員と学生とが共同で行う研究活動が講義の一つとしてあります。講義室での講義と違って少人数な形式ですから教員の話を聞くことができますし、教員だけでなく学生も交えた話や議論がなされます。
ちなみに私の場合、3年生から2年間、労働法の石田眞先生のゼミを選びました。大学1年の時に受けた入門的な法律の講義の一つとして石田先生の話を聞いていましたが、その講義から石田先生の人柄にすごく惹かれました。これが石田ゼミを選んだきっかけでした。
ゼミは、多様な個性をもった学生が集まる「るつぼ」のようで、「るつぼ」の中で自由闊達に議論していました。こういった多様な人間との議論によって、より実社会に近い実践的で濃密な思考の往復運動を行うことができて、私も思考の瞬発力を鍛えることができたと思っています。
10年経っても記憶に残る「失敗した講義」
大学の講義のことを思い返すと、普通に単位が取れた授業はあまり記憶に残っていません。一方、自分の考えが講義を担当する先生の考えと違ったことは、強烈に記憶に残っています。例えば、大学一年前期に開講していた中島徹先生の「憲法」の講義です。
この講義の単位をいきなり落としました。単位を落としたことも失敗なのですが、それよりも講義で説明のあった中島先生の主張とは違う主張を試験で解答したことも“失敗”でした。試験問題の内容は、首相が靖国参拝するのを合憲か違憲かというものでした。これは政教分離の観点から違憲だというのが憲法学者の通説で、玉串料を個人で出しているか、公用車を使っているか、アメリカのレモン・テストと比較してどうかなどの論点があったと記憶しています。
でも私は、首相だから公用車を使うのは仕方がなく違憲とは言えない、という先生とは違う論をぶつけました。その結果、成績は不可。もちろん、違う主張をしたから単位を落としたのではなく、私の主張は論理構成が破綻していたのだと思います。ですから中島先生からは、来年取り直せば大丈夫と慰められました。悔しくて、翌年、中島先生の講義を再履修して「憲法」の単位を取得しました。
「考えるための日本語」といった思考と表現をテーマとするオンデマンド講座も記憶に残っています。通常の講義とは違って、受講生は一度も講義室には集まらず、オンデマンドで配信される先生の講義に対して、受講生がコメントして課題を提出する講義でした。普通の学部生の講義とは違う雰囲気で、大学院生が多く受講していました。
この講義で記憶に残ってるのは、議論がすごく白熱したことです。オンデマンド講義ではチャットのように文字上で意見を述べるのですが、受講生が先生が決めている方向性と違う意見を書き込んで、結構激しい議論になることもありました。先生の考えはちょっと違うのではないかと思って先生とは違う意見を書き込む。そうすると先生に火が付いて、受講生もさらに火が付いて。そういった流れで、私を含めて何人かでの議論がヒートアップしてしまいました。今、その議論を振り返ると未熟な部分もあったなと思えて、“失敗”として記憶に残っています。
失敗した講義の記憶は10年後を支える「器」になっている
こういった「失敗した講義」の経験は、まず、卒業するまで多くの講義を受講する中で役に立ちました。大学の先生は研究者であって、その先生が一生を賭けた研究を講義では追体験できます。その追体験から、こんな考え方をしてもいいんだなとか、自分と全然違う考え方だなとか、ちょっと斜に構えた考えだなとか、面白くない考えだなとか、相手のさまざまな意見を受け入れる「器」ができたと思います。
この「器」というのは、日経BP社で編集者をされ、現在は東京工業大学で教授をされている柳瀬博一さんから伺った言葉です。「編集者は、いろんな著者といろんなジャンルの本を扱わないといけない。だから編集者は空の器で、その本を担当するときに著者の先生から吸収して、吸収したものを素人代表として読者に届ける」といった趣旨のことをおっしゃっていました。
自分の興味だけで器が満たされていると、もう他の主張が器に入る余地がなかったり、相手の話を聞いても感心して聞けなかったりしてしまいます。そうなってしまうと、記事にしたり本にしたりするときに、自分の視点が入りすぎてしまい、取材相手の言いたいことをしっかり伝えられないということがあります。
どんな仕事でも、他者に何かを伝えることは重要ですよね。ですから、編集者のような空の器ではなくても、何かしらの「器」が自分にできていないと、伝えることは難しいと思うのです。ですから「器」は仕事をする上でとても重要です。
私が大学時代に培った「器」は、大学を卒業して編集の仕事を始めてからより一層役に立っています。編集の仕事でもいろんな方に出会います。中には、難しい方とか、全然納得してくれない方もいて、先輩編集者には裁判までやった人もいます。お電話でいろいろな意見をおっしゃる読者の方もいます。時には、とんでもない上司に出会うこともあります。そういった人に出会った時、大学で多様な先生に触れた経験のおかげで、少しは冷静に対応することができていると思います。
大学時代、ついつい先生の主張と逆のことを考えてしまっていた私の根のところは丸くなっていないのかもしれませんが、自分に「器」ができたことで、こういう意見もあるんだな、と一呼吸おけるようにはなり、相手の考えや思いを人に伝えやすくなったと思います。この「器」は、いろいろな人の伝えたいことを世に出したい、という私の仕事には欠かせないものになっています。
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*この記事は、「取材ライティングゼミ・マスタークラス」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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