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すっかりお父さんになった私の思う母性


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記事:わかいく(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
わが家では、8年前に、夫婦の配置替えをおこなった。
共働きをやめて、夫が家事専門になり、妻の私が稼ぐ専門になった。
夫の健康上の理由による決断だったが、仕事に家事にと始終かけずり回っていた私にとっても、そんなに悪い話ではなかった。
日々の食事や洗濯、掃除などの「家の仕事一式」を夫に手渡すことができたのだから。
 
ただひとつ、夫に手渡した一式のなかに、後ろ髪をひかれることがあった。
3歳の息子のことだ。
忙しい毎日の子育てには大変さもあったが、まだまだ小さな息子との時間は、私にとって最高の癒しでもあった。
朝の支度、保育園への送迎、夫が帰宅する夜までのごはん、お風呂、絵本、寝かしつけ。
配置替えは、これらの役割も、すべて夫に手渡すことを意味した。
頭では分かっていたが、気持ちがすんなりとはついていかなかった。
 
内心に、「息子は、私でないとだめだろう」という思いもあった。
ある日突然、お父さんがお母さんのふりをしようとしても、それは馴染まないだろう。
これまでずっと息子のそばにいたのは自分で、一番息子のことを分かっているのも自分。
なにより、子供にとって母親というものは、代わりのきかない「特別な存在」なのだから。
 
ふたを開けてみれば、息子は、全然大丈夫だった。
最初の数日こそ不思議そうにしていたが、何の異議もとなえず、見事な速さで順応した。
無類の子供好きである夫は、そもそも最愛の息子の心をがっちりと掴んでいた。
現に、私自身、夫に息子の日常のすべてを任せることに何の不安もなかったのだ。
だけど、そのこととは別に、「子供にとって母親は特別な存在」という神話が、私のなかに刷り込まれていたのだと思う。
突然の母親の不在に対して、むずかるでもなく機嫌が良いままの息子を目の当たりにし、自分のこれまでの母親としてのかかわり方に大いに疑問を抱かずにはいられなかった。
けれど本当につらかったのは、油断すると沸いてきた寂しさの方だった。
誰にも言わなかったが、私のなかで、行き場のない母性が悲しんでいるようだった。
 
とは言え、私には、新たに課されたミッションがあった。
夫の分も稼ぐため、これまで以上に一生懸命仕事をした。
成果が出ると大きな励みになり、それがまたやる気につながった。
いわゆる好循環のなかにあって、頑張れば頑張るほど仕事が楽しくなった。
 
息子は、毎日跳ねるように保育園に通い、おおよそ上機嫌で、すくすくと育っていった。
元気な息子に会うと満たされ、感謝し、家のなかはいつも笑い声が絶えなかった。
私は、家族のために頑張り、その家族に癒された。
 
だけど時々、一抹の寂しさを感じることは、変わらずあった。
そして、その寂しさのなかには、「母親としてしてあげるべきことをしてあげられていない」という後ろめたさが、いつも混じっていた。
 
息子が寝る時間に帰宅が間に合わないことも、度々あった。
起きている息子に少しでも会いたくて、高速道路を使って帰っても間に合わなかったとき、大げさでなく泣きそうな気分になった。
 
小学校への入学前はミシンを買って、必要な布物を全部手作りした。
苦手な裁縫だったが、時間をかけてひとつひとつ丁寧に作った。
母親らしいことができたのが嬉しく、自分のなかでやりきった満足感があった。
 
2年生くらいまで、息子が私のことを「お父さん」と言い間違えることが頻繁にあった。単純に父親といる時間が圧倒的に長かったため、単に言い間違えているだけだったが、何となく悲しかった。
 
3年生になったある日、息子から、名前をちゃんづけで呼ばないようにという注文が入った。その成長を微笑ましく思い、その日から呼び捨てにした。
 
私は、やっと気がついた。
私が悲しいと感じるのは「母性を正しく使っていない」と思った時、私が嬉しいと感じるのは「母性が正しく使われた」と思った時だった。
その正しい、正しくないの基準は、何なのか。
何のことはない、私が生きてきたなかで刷り込まれてきた既成概念によるものだった。
現実の自分の家庭のあり方と、まったく関係のない既成概念。
自分がそういうものに縛られて苦しんでいたのだと気づいてからは、徐々に「母親の特別性」の神話からも自由になっていった。
 
息子は学校の友達とのやりとりで感じたこと、授業で経験したこと、自分が考えたことを、私をつかまえては雪崩のごとく話すようになった。
私と会話することを息子が欲している、と感じた。
 
息子は6年生になった。
元気でいればいい、と心から思う。
元気で笑って、何かに興味を持って、時には何かに傷つき、怒り、そうして成長してくれていれば、これ以上のことはない。
 
私が提供したかった母性は、単に私がそうせねばと思いこんでいた母性だった。
行き場をなくして悲しんでいた母性は、いまは自分のポジションを得た。
ただ見守ったり、声をかけたり、話をしたり、面白い提案を投げかけたり、そういうふうにしてしっかり働いていると思う。
 
早く帰宅するときは、お菓子のお土産を下げて帰る。
私の「お土産あるよー」の声につられて玄関までかけて来る息子に、ほくそ笑む。
「僕の好きなやつ!」と喜ぶ息子を見て、またほくそ笑む。
すっかりお父さんになった私、と我ながら思う。
 
子供のそばにいて面倒をみるのは、母親の専売特許じゃない。
父親だっていいし、それ以外でもいい。
愛情をもって育てるというのであれば、多分誰でも。
子供側から見れば、「母親らしく」「父親らしく」などという括りは関係のないことで、大事なのは、そばで愛情をかけてくれる誰かがいるかどうかなのだから。
 
既成概念は、時に人を苦しめる。
私が苦しかったように、もしかしたら夫も苦しかったかもしれない。
この8年間、息子の一番そばにいて、手間をかけ、小言を言い、愛情をもってここまで育ててくれた夫に、心から、感謝と労いを捧げたい。
 
息子は、いまだに入学前に私が心を込めて縫った上靴入れを使っている。
息子のランドセルにこの上靴入れが下げられているのを見るたびに、胸にじわーっと広がるあたたかいものを感じる。
ああ、いま母性が動いている、と思う。
とても幸せな気持ちだ。
 
 
 
 
***

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2020-05-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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