自分のためだけに生きる人間に価値はない
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:雨辻ハル(ライティング・ゼミ通信限定コース)
この世の中は偏見や、誰が決めたのかもわからないような常識で溢れている。自分が正しいと思ってしたことでも、それが必ずしも正しいとは限らない。そんな世の中で私たちは生きている。
そんな世の中で生きていると、私たちは次第に世界を色眼鏡で見るようになっていく。はじめは透明だった自分の眼鏡が、偏見や常識によって色を帯びてくる。そしてついに透明だった眼鏡が色で染まり、その眼鏡を通して世界を見るようになってしまうのだ。
話は変わるが、この世には漂白剤というものがある。私たちが着ている服は、気づかないうちに洗濯では落ちない汚れがついていることがある。その服の汚れをきれいに落とすために使われるとても便利なアイテムだ。
私が世界を見るのに使っているこの色眼鏡と服は似たような関係にある。それはどちらも使っているうちに汚れてしまうということだ。何度も使っていて気づいたら汚れでいっぱいだったりする。
この汚れを落とすために使われるのが服だったら漂白剤なのだ。では、普段私たちが世界を見ているこの色眼鏡の汚れを落とすためのもの、いわゆる漂白剤はなんなのだろうか。
その答えはパートさんが持ってきた1冊の本だった。
「この本好きでしょ?」
声のする方を振り返ってみると、職場で仲の良いパートさんが1冊の本を腕に抱えている。
そのパートさんは本が好きなので、よく私が好きそうな本を見つけると教えてくれる。しかも紹介してくれる本のジャンルが多岐にわたっているので面白い。ミステリーだったり、時代小説だったり、ファンタジーだったり。彼女が持ってくる新しい出会いを毎回楽しみにしているのだ。
「今日はどんな本を持ってきてくれたんですか」
こう私が尋ねると彼女はニコニコしながら腕に抱えている本を手渡した。表紙を見てみると『菜根譚』と大きく書かれている。どうやら哲学書のようだ。
私は学生のころから哲学や思想がとても好きで、よく哲学書を読んでいた。なのである程度の知識は持っていると思っていた。しかし今回彼女が紹介してくれた哲学書は、哲学好きの私が名前も知らないものだった。
なんて読むのだろう。こんさいたんと読めばいいのだろうか。そんなことを思いながらまじまじとその本を見ていると、パートさんが教えてくれた。
「あれ、菜根譚知らないの?さいこんたんって読むのよ。てっきり知っていると思ってたんだけど 」
彼女曰く、どうやらこれは有名な本らしい。私は菜根譚を知らなかったことを恥じ、自分の勉強不足を嘆いた。
早く読みたいと思って時計を見たが、もうお昼休みが終わってしまう時間を指している。しかし好きな哲学の本を前にして我慢できる私ではない。すぐ手に持っているその本をパラパラとめくってみる。
とりあえずこの菜根譚がどんなものかを知るために、「はじめに」 だけを読むつもりで読み始めたが、ページをめくる手が止まらない。次へ次へと進んでいってしまう。しかもその内容も今の私にとって戒めや励みとなるような言葉ばかりなのでもっと読んでしまいたくなる。
早く続きが読みたいという強い衝動を残して昼休憩が終わった。続きは仕事を終えてからだ。
早く菜根譚が読みたい一心で仕事を終わらせ、急いで家に帰った。ようやく続きが読めると思うと嬉しくてたまらなかった。
昼休みの続きから1ページずつめくっていく。読み進めていく中で私は、自分の眼鏡の汚れが落ちていくことに気づいた。偏見や常識という色眼鏡を外し、ありのままで世界を見つめることができるようになっていったのだ。
私は自分が正しいと思っていることは、絶対に曲げないタイプだ。その歪んだ正しさを他人に押し付けたりしてトラブルになることが多かった。いわゆる頑固者なのだ。その一方で流されやすい一面もある。自分が正しいと思うこと以外については世の中の流れに身を任せてしまいがちである。なので私の眼鏡は言うまでもなく、自分の色に染まりきってしまっている。その眼鏡を通して世界を見ていた。
しかし、この菜根譚によってこの眼鏡の色が落ちていっている。偏見や歪んだ正しさで世界を見ようとするのではなく、ありのままの姿で世界を見なければならないと思えるようになったのだ。
春至時和、花尚鋪一段好色、鳥且轉幾句好音。士君子幸列頭角、復遇温飽。不思立好言行好事、雖是在世百年、恰似未生一日。
この一節が私の色眼鏡の汚れを落としてくれた、いわば漂白剤のような一節だ。端的に意味を述べると、「自分のためだけに生きる人間に価値はない」という意味になる。他人に歪んだ正しさを押し付けていた私にとって、この言葉は私の欠点をズバッと指摘してくれたのである。
この言葉を知ってから、自分の正しいと思うことは相手にとっても正しいことなのか、一歩引いて物事を考えられるようになった。自分にの正しさを相手に押し付けるのではなく、自分の正しさは本当に正しいものなのか。その歪んだ正しさを洗い落としてくれたのが、菜根譚だった。
【紹介した本】
野中根太郎『全文完全対照版 菜根譚コンプリート』(新光社)
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